2020年4月24日金曜日

精神と魂と身体(13)





性向と人間の魂(2)

しかし、「現代の」哲学は何に関わっているのだろうか
アリストテレスと共に、古代哲学に関わるのだろうか
神経科学の時代にいる現在、アリストテレスのモデルが少しでも意味があるとどのように信じるのだろうか
確認したいのは、アリストテレス・モデルの貢献に異議を差し挟むものではないことである
ただ、アリストテレスの伝統は今なお存在している

機能主義において何かを思考にするものは、欲求や苦痛、あるいは如何なる心的状態も内的な構成には依存しない
依存するのはその機能であり、認知システムにおける役割だけである
それは最終的には、アリストテレスの教義から遠く離れるものなのだろうか
現代のこころの哲学者の中には、アリストテレスの伝統を明確に主張し、理性的魂に現実味を与える者がいる

人間における生の原理は、成長、繁殖したり、動き、知覚するだけでは駄目で、理解し考えなければならない
こころの研究は、人間の理性的性向の研究でなければならない
その性向は、人間に他の動物との特異的な違い(理性)を付与することなしには理解できない活動や振る舞いに表れる
 
その視点から見れば、感情は認知的であるというテーゼは、こころの哲学の一つのやり方を示している
それは、心身の違いを基にして議論するやり方とは異なるものである
感情は、ある状況を理解し、しばしば道徳的に適切に反応する人間に特有なやり方である
人間を理解するということは、魂と身体で構成される存在、全体性に興味を持つことである
その存在は、他者と共にいる世界、社会生活の中、自然物と人工的なものの中にいる
どんなやり方であれ、その全体を断片化する時、人間的現実から離れる危険を冒すことになる

「こころの哲学」という表現は、デカルトのパラダイムの中にある理論を特徴付けるために取っておくことができる
それは心身の関係に関する議論になる
対する「魂の哲学」は、我々を全く違う伝統の中に置く
そこでは、人間の研究がその潜在性を基に存在の種類を区別する形而上学と結び付いている
従って、心的状態について調べるよりは、道徳的な反応や芸術的、宗教的な活動を研究して人間について学ぶのである















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