2022年6月25日土曜日

ゲーテの言葉から(11)






















今日は昨日と打って変わって快晴だ

午前中はその中で瞑想(と名付けて転寝)と決め込んだ

素晴らしい時間であった

さて早速、ゲーテ(1749-1832)を始めたい



1827.1.4(木)

「彼(ヴィクトル・ユゴー、1802-1885)はたしかにまぎれもない才能だ。それも、ドイツ文学から影響をうけている人だ。惜しむらくは、若いころの詩は古典派の杓子定規(ペダンテリー)に邪魔されているが、いまは『グローブ』を味方にしているから、たいへんうまい具合だ。・・・彼をちゃんと見てみれば、彼やその他の仲間の新鮮な才能がどういうところから来ているのか、私にはよくわかる。それは、シャトーブリアン(1768-1848)から来ているのだよ。むろん非常に重要な、修辞的詩的才能の持ち主だ」


「(フランス人の詩が現実のたしかな基盤からけっして離れないということ)はね、フランスの詩人たちに学識があるせいなのだ。ところが、ドイツの馬鹿どもときたら、学識を得ようとすれば、才能をなくしちまう、などと思っている。どんな才能だって、学識によって養われねばならないし、学識によってはじめて自分の力倆を自在に発揮できるようになるのだというのに。まあ、しかし、馬鹿は馬鹿のするにまかせておこう。馬鹿につける薬はないさ。それに、本当の才能ある人はちゃんと自分の道をみつけるものなのだ。今さかんに仕事をしている多くの若い詩人たちは、どうもろくな才能じゃない。ただ無能ぶりを暴露するばかりで、ドイツ文学の高さのおかげで、刺戟されてやっと作っているだけのものだよ」



1827.1.14(日)

「とにかく、私には、自分の作品がぜんぜん見おぼえがなくなってしまっていることが、よくあるね。この間もあるフランスのものを読んで、この人はなかなか気のきいたことを言うな、私自身でもこうとしか言わないだろう、などと読みながら考えたものだ。ところが、よく見てみると、私自身の書いたものからの翻訳じゃないか!」



(山下肇訳)















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