2022年6月15日水曜日

ゲーテの言葉から





























Goethe (1829)  @Angers (2015.10.17)



今日はゲーテ(1749-1832)の声に耳を傾けてみたい


「私の本当の幸福は、詩的な瞑想と思索にあった。だがこれも、私の外面的な地位のおかげでどんなにかき乱され、制限され、妨害されたことだろう! もっと、公的な職務上の活動から身を退いて、孤独に暮らせたら、私はもっと幸福だったろうし、詩人としても、はるかに多くの仕事をしていただろう」(1824.1.27)



「私が一八歳のころは、ドイツの国もやっと一八歳になったばかりだから、まだ何事かがやれたんだ。ところが、今では、信じられないほどたくさんのことが要求され、しかもどの方面を見ても道はふさがれてしまっている」

「ドイツ自体が、あらゆる分野にわたって高いレベルに達しているので、とても全部は見きわめきれないといっていいほどだ。そのうえ今では、われわれは、やれギリシャ人になれの、ローマ人になれのと責められるし、おまけにイギリス人になれ、フランス人になれとまで言われる。しかも、オリエントまでめざせという狂気の沙汰だ。これでは、若い人が、まったく途方に暮れてしまうのもあたりまえさ」

「しかし、前にもいった通り、私はこの何もかも出来上がった時代にあって、自分がもう若くないことを天に感謝しているよ。若かったら、いたたまれないだろうね。まったくのところ、アメリカへ逃げだそうとしたところで、もう遅すぎるのだ。そこももう、あまりに明るすぎるだろうからね」(1824.2.15)



「実際、人間には、自分がその中で生まれ、そのために生まれた状態だけが、ふさわしいのだからね。偉大な目的のために異郷へかりたてられる者以外は、家に留まっているほうがはるかに幸福なのだ」(1824.2.22)



「もしも、精神ともっと高い教養が人々の共通の財産になるようになれば、詩人は、十分に活動できるだろうし、いつも完璧に真実であることができるし、最善のことを言うのに、なにも恐れたりする必要がなくなるだろう。だが、いまは、いつも、ある水準に身を置いていなければならない。詩人は、自分の作品がざっぱくな世の人の手に渡ることを顧慮しなければならない。だから、あまりあからさまに表現して、大勢の善良な人たちの怒りを買わないよう注意するのは、もっともな話だ」(1824.2.25)



「これから何年か先に、どんなことが起こるか、予言などできるものではない。だが、そう簡単に平和はこないと思う。世の中というものは、謙虚になれるような代物ではない。お偉方は、権力の乱用をしないではおれないし、大衆は漸進的改良を期待しつつ、ほどほどの状態に満足することができない。かりに人類を完全なものに仕上げることができるものなら、完全な状態というものもまた考えられよう。けれども、世の中の状況というのは、永遠に、あちらへ揺れ、こちらへ揺れ動き、一方が幸せに暮らしているのに、他方は苦しむだろうし、利己主義と嫉みとは、悪霊のようにいつまでも人々をもてあそぶだろうし、党派の争いも、はてしなくつづくだろう」(1824.2.25)



「不死の観念にかかずらわるのは上流階級、ことに何もすることのない有閑マダムにうってつけだ。しかし、この世ですでにれっきとしたものになろうと思い、そのため、毎日毎日努力したり、戦ったり、活動したりしなければならない有能な人間は、来世のことは来世にまかせて、この世で仕事をし、役に立とうとするものだ。その上、不死の思想などというものは、現世の幸福にかけては、最も不運であった人たちのためにあるのだよ」(1824.2.25)


(山下肇訳)









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