2022年6月21日火曜日

ゲーテの言葉から(7)

























今朝、快晴の下、陽の光に輝く緑を眺めながら紫煙を燻らすという至福の時を味わった

徐に、今日もゲーテ(1749-1832)の声に耳を傾けたい



1825.4.20(水)

「全体の中へ入っていく厳しさもなければ、全体のためになにか役に立とうという心構えもない。ただただどうすれば自分を著名にできるのか、どうすれば世間をあっといわせることに大成功するか、ということだけをねらっている。・・・いたるところで、一人ひとりが自分を立派に見せようとしている。どこへいっても、全体のため、仕事のために自分自身のことなど気にならないような誠実な努力家は見あたらない」

「私の詩に具象性のあるのはやはり、あの深い注意力と目の訓練を大いにやったおかげなのだ。そこから得た知識も、同じように高く評価しなければいけない。しかし、修業の限界をあまり広げすぎないように注意すべきだね。

自然研究者がいちばんそうした誘惑におちいりやすいよ。自然観察のためには、実はしっかり調和のとれた普遍的な修業が要求されるからだ。
だがこれに反して、自分の専門に欠くことのできない知識に関しては、せまく制限したり、一面的な見方におちいることをつとめて警戒しなければならない。

結局、最も偉大な技術とは、自分を限定し、他から隔離するものをいうのだ」



1825.5.12(木)

「いつも大事なことは、われわれが学ぼうとする相手の人たちが、われわれの性分にふさわしい人であるということだ」


モリエール(1622-1673)はまったく偉大だから、くり返し読むたびに、今さらのように感嘆させられる。彼は独特な男だ。その作品は、悲劇と紙一重だし、不安にさせるところがある。それで、だれも彼の真似をしようなどという勇気のあるものは一人もいない」

「私は、モリエールの作品を毎年いくつか読んでいる。それは、私が偉大なイタリアの巨匠たちの銅版画をときどき眺めるのと同じことだ。われわれのような小粒の人間は、こういうものの偉大さを、心の中にしまっておくことなどできないからな。そこでときどきそこへ帰って行って、その印象を心に蘇らせることが大事なのだ」


「独創性ということがよくいわれるが、それは何を意味しているのだろう! われわれが、生れ落ちるとまもなく、世界はわれわれに影響をあたえはじめ、死ぬまでそれがつつづくのだ。いつだってそうだよ。一体われわれ自身のものとよぶことができるようなものが、エネルギーと力と意欲の他にあるだろうか! 私が偉大な先輩や同時代人に恩恵を蒙っているものの名を一つひとつあげれば、後に残るものはいくらもあるまい」


「要するに、人はただ自分の愛する人からだけ学ぶものだ。今日すくすくと成長している若い才能の持ち主たちの中にも、私に対してそういう心情を持ってくれる人もいるにはいるが、私の同時代の人たちとなると、そうした人はめったにみつからなかったのだ。それどころではなく、すぐれた人たちの中で私に心酔してくれたような人は、ただの一人もあげるのが難しいほどだ」


(山下肇訳)



今日は嬉しい発見をすることになった

太字部分は、フランスに渡ってからの生活の中で、わたし自身が感得することになった重要なことである

ゲーテ自身もそのことを感じていたことが分かった

このような発見をする時はいつも、そよ風が頭の中を吹き抜ける

この点については『パリ心景』でも繰り返し取り上げている

















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