2022年6月22日水曜日

ゲーテの言葉から(8)
















今日は当初予定されていた『免疫学者のパリ心景』の発売日である

何か新しい情報がないかとサーフしている時、驚きの発見をした

紀伊國屋書店の「教育と研究の未来」サイトに6月の新刊として取り上げられ、紹介文が続いていた 

それを読むと何か大変なことになっていて、この本の著者は一体どんな人なのかという感じになった

もしその人を知らなければ、わたしも手に取りたくなるような "enticing" で過分な紹介文であった


さて、本日もゲーテ(1749-1832)である

昨日ゲーテは、学ぼうとする人との相性が重要だと言っていた

これまでのところ、ゲーテとの相性は極めて良好のようである

それでは、始めたい


1825.6.11(土)

「詩人は特殊なものを理解すべきだが、それが健全なものであるかぎり、そこに普遍的なものを表現することができる。イギリスの歴史は、文学的な表現にはお誂え向きだ。それが、たくましく、健康で、したがって普遍的で、反復してあらわれるからだ。それと反対に、フランスの歴史となると、文学には向かない。くり返しのきかない生の一時期をあらわしているからだ。だから、この民族の文学は、そうした時期に根拠をもちつづけるかぎり、一つの特殊なものとして存在し、時代とともに老衰してしまうだろうね」

「やたらに定義したところで何になるものか! 状況に対する生きいきした感情と、それを表現する能力こそ、まさに詩人をつくるのだよ」


1825.10.15(水)

「研究者や作家の一人ひとりに性格の欠けていることが、わが国の最近の文学の諸悪の根源だ。とくに批評においては、この欠点が世間にいちじるしい害毒を流している。真実なもののかわりにまちがったものをふりまいたり、あるいはみすぼらしい真実のおかげで、われわれにとっていっそう役立つ偉大なものを奪いとってしまうからなのだよ」

「たいていの人間にとっては学問というものは飯の種になる限りにおいて意味があるのであって、彼らの生きていくのに都合のよいことでさえあれば、誤謬さえも神聖なものになってしまうということだったよ」

レッシング(1729-1781)のような男が、われわれには必要なのだ。彼が偉大なのは、その性格や意志の強固さによるもので、それ以外に何がある! あれくらい賢明で、あれくらい教養のある人物なら、他にもたくさんいるが、あれくらいの性格がどこにある!

じつに才たけて知識も豊かな人は大勢いるが、同時に、虚栄心も強い。近視眼的な大衆から才気のある人とほめられたい一心で、恥も外聞もなくしてしまう。彼らにとっては、神聖なものなど全く存在しないのだ」


1825.12.25(日)

シェークスピア(1564-1616)について、何か言える資格のある人はいない。何を言っても、言い足りないのだ。私は『ヴィルヘルム・マイスター』の中で、彼にちょっとだけふれてはみたが、それはたいして言うほどのこともない。彼は、劇場の詩人などではないのだよ。舞台のことなど念頭になかった。舞台なんか、彼の偉大な精神にとっては、あまりに狭すぎたのさ。それどころか、この目に見える全世界すらも、彼には狭すぎるくらいだったのだ」


(山下肇訳)







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