mardi 6 septembre 2016

神業の意味するもの



昨日、神業という言葉が出てきた
それは次のような感覚のせいではなかったのだろうか
そのことには翻訳作業の後半から気付いていた
さらに振り返れば、テーズを纏める最後の段階でも感じていたものである

それは、やっているのはこの「自分」ではないという感覚である
それが神という言葉につながったのだろう
しかし、それは普通の神が意味する超越的なものという含みはない
寧ろ、自分の内に潜んでいる力のようなものである
それは生命が齎すものである

それぞれの個体の中に本来あるものと生きる中で蓄えられたものが混沌の内に形になったもの
忙しくしていると、そのことに気付かない
自己との対話を繰り返すうちに、少しずつ姿を現すものである
言ってみれば、その個体の生命の本質のようなものだろうか
したがって、神頼みの神とも異なる 

その内なる力、もう一つの自分とも言えるものに仕事をやってもらうという感覚である
いまこれをやっているのは「自分」であると思いがちであり、実際そう見える
しかし、それをやっているのは内なる形容し難いものである
つまり、それがやりやすいように「自分」が取り計らうという感覚に近い

こういう認識に達すると、何をやる時でも精神的に楽になり、安定してくる
どんなものにも耐えられるという気持ちになってくる
それをやるのはこの「自分」ではないからである


パリは一気に秋らしくなってきた





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