lundi 24 octobre 2016

真っ暗な日本に到着、そして日常に溢れる創造



もう6時には真っ暗な日本に着いた

帰りのJAL機内ではオーディオが全く聞こえない席になった
こちらは諦めていたが、5-6回は調整していただいたのではないかと思う
しかし、それでもダメ
着陸時、迷惑をかけたのでコンペンセーションをしたいと言う
その上、何人もがお詫びに現れ、恐縮する

こんなことはエア・フランスでは考えられないのではないだろうか
1-2度確かめて、笑い飛ばすかもしれない
日本の対応が徹底していることに改めて感心する
しかし、あそこまでやる必要はあるのだろうか、という思いも湧いてくる
日本では、それが求められているということなのか
今のわたしには、随分と窮屈な世界に映るのだが、、

終わってみれば、落ち着くところに落ち着いたという今回の移動であった


これは最近の変化になるが、こういうことが起こっている
何かの動きをしている時、「これは予定していたものとは違う!」とはっきり感じる瞬間が増えている
今回のようにはっきり分かるものだけではなく、どんなに小さなことでも見逃さなくなっている
大袈裟に言えば、それは分かれ道であり、決まった軌道からの揺らぎである

買い物に出る、カフェに向かう、その移動やそれぞれの場所で起こることや人の言葉や態度など
実は日常に溢れているが、忙しくしているとそのことを意識できないだけのものである
これらは何とも小さなことのように見える
しかし、それを大きなこととして考えることができるようになっている
人生がそこで創造されているという感覚である
そして、その瞬間、「にやっ」 と心の中で笑みがこぼれ、その次を期待しているのである
それらの微妙な変化を捕え、味わう中に人生の悦びさえあると考えるようになっている
忙しくしているということは、このような楽しみを奪っていると言えるかもしれない

これはエピクロスの言う「揺らぎ」にも繋がるものだろうか
より詳しく見れば、上で「揺らぎ」という言葉が浮かんできたことで、エピクロスが出てきたのだが、、
あるいは、「わたしの発見」 になるのか
いずれにせよ、そこに悦びを見出せるか否かが重要なのである





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