2020年11月16日月曜日

「編集するために撮る」ということ


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先週、黒澤明のドキュメンタリーを観た

最近、このような人間の生の姿が出るようなものが好みになってきた

本当にタイミングよく遭遇することができた

その番組の最後の方でなかったと思うが、黒澤の言葉がすんなり入ってきた

それは、自分は編集するために撮っている、というもの

その含みは、撮ってから編集するのではない、ということ

 

なぜすんなり入ってきたかというと、以前に触れたようにも思うが、わたしと写真の関係に似ていたからである

昔は写真を撮るその時が重要だった

その時に良いと思うものを大切に撮るという感じだった

フィルムだったことも関係していたかもしれない

それが変わったのは、2005年にブログを始めてしばらくしてからである

毎日出す写真を選ぶ過程が入ったのである

そこで重要になるのは、選ぶ時にどう感じるかで、撮った時の気分はそれほど重要ではない

極言すれば、写真を撮る時には手当たり次第でよいことに気付いたのである

勿論、その時点でそれなりに撮るのだが、選ぶのは未来の自分なので責任は負えないという感覚だろうか

 

 

 

 

 

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