これまでに体験した二つの文化の対 <科学と哲学、日本とフランス> のインターフェースから見える世界について綴ります
書き終わった(と思った)エッセイを読み返す
修正点が結構出てくる
文章の繋がり、あるいは論理の流れがスムーズでないところが残っているのだ
それは対象をよく理解していないことから来ることが多い
また、このようなエッセイを書いて思うのは、それが一つのテーマへの入口にしか過ぎないということである
これまでに触れたテーマや人物は相当の数になる
それだけの「ひと・もの・こと」が手元にあることになる
そこに入るための門が控えているということでもある
丁度、吉野の修行門のように
0 件のコメント:
コメントを投稿