今朝、テレビをつけると雰囲気が違う
週末モードなのだ
曜日の感覚がずれてきたのかと一瞬思ったが、そんなはずはない
暫くして天皇誕生日であることを知った
いつもはフランスにいるので、この日を日本で迎えるのは初めてであることに気付いた
それならば、ということでお休みモードに切り替えることにした
夜、Utubeに行くと、司馬遼太郎(1923-1996)の「街道をゆく」が現れた
何を書いてもよいという依頼で、唯一の条件は毎週書くことだったという
結果、作者が亡くなるまでの25年間に亘る連載(1971-1996)になった
実は、司馬作品は読んだことがない
若い頃本屋で立ち読みし、文章が自分には馴染まないと感じたからだろう
あるいは、扱っている対象が自分の興味と違っていたからかもしれない
ただ、時折テレビで話を聴いていると、もの・ことを捉えるスコープが広いことには気付いていた
当時から、大きく、広く、「を超えて」捉えることに対する憧れはあったのだと思う
それは望ましいことだという感想を持ったことを思い出す
近頃、司馬の歴史観には批判があると聞く
司馬の歴史観自体よく分からないので批判の正当性についても分からない
言えることは、批判は重要な行為であり、論争は何かを生み出す可能性がある場合には望ましいだろう
その上で、批判する側は司馬に代わる歴史観で貫かれた作品群を創ることではないだろうか
そうすれば、それぞれの見方の違いがより鮮明になるだろう
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