かなり前のことかと思って調べると、この月曜のこと
驚くほどの悠々たる時の流れである
その時、ミシェル・セールさんの古い作品との出会いがあった
現在、取り寄せている最中なので、興味深いものであれば書くことがあるかもしれない
セールさんの記事を探すために古いブログを散策している時、もう一つの再会があった
ウィリアム・ジェームズさんの伝記に関する11年前の記事に出くわしたのである
その中に、こんな言葉が見つかった
生物学者でもなく、医者でもなく、心理学者でもなく、哲学者でもない。彼の知に飢えた熱に応える科学的なアプローチなどどこにもない。彼は未知を前にして不安に慄く人間なのだ。
副題の「自由思索者」が気に入って手に入れた本であった
さらに、以下のような言葉も
彼はいかなる形而上学に逃げ込むこともなく、宗教に至るまで科学知に基づいて説明しようとした
ただ、科学的方法を尽くしても説明ができないことがあることにも気づいていた
哲学とは純理論的な議論で終わるものではなく、人生と思索の間の行き来とその一致であると理解していた
その上で、人間の生の本質を理解しようとした
記事を読んでいる時、この本を買った時の情景が浮かんできた
そして、具体的な言葉は覚えていなかったが、これらはすでにわたしの血となり肉となっているものである
ジェームズさんは拙エッセイシリーズで5回登場している
まだその中に入っていないが、どこかに共通する問題意識を見ていたのだろうか
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