2022年7月25日月曜日

メチニコフの『近代医学の建設者』を読む(2)





























Justus von Liebig (1803-1873)



今日もメチニコフを読んでいきたい

この本では、パスツール(1822-1895)、リスター(1827-1912)、コッホ(1843-1910)が取り上げられている

少なくとも、パスツールのところだけでも目を通しておきたい

今日は、第2章の「醗酵と伝染病」について


リミア戦争(1853-1856)当時の考え方は、伝染病の伝播は悪臭ガス、すなわち腐敗によるというものであった

従って、腐敗、醗酵の本体を明らかにすることが、伝染病の解明にも繋がると考えられていた

しかし当時の有機化学は、ドイツの化学者リービッヒ(1803-1873)によって支配されていた

彼はしばしば有機物の分解ーー腐敗と醗酵ーーを研究した

この時代、醗酵は微生物(酵母)によるもので、その生活作用で有機物を分解するという仮説が出されていた

これに対してリービッヒは、醗酵に必要なのは生きた酵母ではなく、分解された細胞の死骸であると主張した

伝染病の原因が下等生物によるという仮説にも反対し、こう書いている
「どんなに細心に調べてみても、天然痘、ペスト、梅毒、猩紅熱、麻疹、腸チフス、黄熱、炭疽および狂犬病などの伝染性を説明し得るような微生物や他の生物は発見されることはない」(宮村定男訳)

化学者の意見には特別の注意を払うとされる医学界では、リービッヒの説が広く受け入れられていたのである































Jakob Henle (1809-1885)



そんな中、独自の説を展開する学者もいた

ドイツの病理学者ヤーコプ・ヘンレ(1809-1885)である

彼は、伝染の原因を、体内に侵入し、発育する極微の有機体とし、それが見つからないのは顕微鏡の性能のためであると考えた

しかし、リービッヒの影響が大きかったせいか、ヘンレ自身、この問題の重要性を見ていなかった

メチニコフがヘンレの下で研究した時(1866年頃)には、伝染病の原因は研究室で問題にされていなかったという


化学的見地が生物学を支配していたフランスでは、リービッヒの考え方が教義にもなっていた

この教義と戦うには、いかなる権力にも屈することなく、自らの道を進むことができる学者が必要になる

それがパスツールだったのである









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