2022年7月23日土曜日

ゲーテの言葉から(29)

























1830.3.21(日)

「信じられないほどだ。肉体を維持していくのに、精神がどれだけ力を持っているかはね。私はよく腹具合が悪くなるが、精神の意志の力と上体の力で持ちこたえている。ただ精神が肉体に負けてしまわないように注意しなければだめだ!」



1831.2.14(月)

モーツアルト(1756-1791)は五歳で、ベートーヴェン(1770-1827)は八歳で、フンメル(1778-1837)は九歳で周囲を驚かせていることについて

「音楽の才能がたぶん最も早くあらわれるのは、音楽はまったく生まれつきの、内的なものであり、外部からの大きな養分も人生から得た経験も必要でないからだろう。しかし、モーツァルトのような出現は、つねに解きがたい奇蹟であるにちがいない。けれども、もし神が時としてわれわれを驚かせるような、そしてどこからやってくるのか理解できないような偉大な人間にそれを行わないならば、神はいったいどこに奇蹟をおこなう機会を見出すだろうか」



1831.2.17(木)

「たしかに世界は、平地にいるときと、前山の頂にいるときと、また原始山脈の氷河の上にいるときでは、違って見えるだろう。ある立場にたてば、世界の一角は他の立場におけるよりもよく見えるだろうが、しかしそれだけのことで、ある立場における方が別の立場よりも正しいなどということはできない。そのために作家は、自分の人生のそれぞれの年代に記念碑を遺そうとするならば、生まれつきの素質と善意を手放さないこと、どの年代でも純粋に見、感じること、そして二次的な目的をもたず、考えた通りまっすぐ忠実に表現すること、それがとくに大切だ」



1831.2.20(日)

「とかく人間は、自己を天地創造の目的と考え、他のいっさいのものはただ自己との関係において、またそれが自己に奉仕し、役に立つときに限って認めようとしがちだ。人間は植物界と動物界を支配し、他の生物をちょうどよい食べ物としてむさぼり食いながら、神を信じ、父のように自分を養ってくれるその神の慈悲をたたえるのだ。牝牛からは牛乳をしぼり、蜜蜂からは蜜をとり、羊からは羊毛をとって、また事物には自己に役立つ目的を与えることで、それらの物はそのためにつくられたのだと信じている。いや、それどころか、どんな取るに足らぬ雑草でも、人間のために存在しているのではないとは考えてもみないのだ。そして今はまだその利用法がわからないとしても、いつかはきっとみつけ出すだろうと信じているのさ」

「目的を尋ねる質問、つまり、なぜという質問はまったく学問的でない。だが、どのようにしてという質問ならば、一歩前に進めることができる。もし、牛はどのようにして角をもつか、と尋ねるなら、そのことは牛の身体の構造を観察することになり、同時に、なぜ獅子に角がなく、またありえないのかを教えられることになるからだ」










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