2022年7月18日月曜日

ゲーテの言葉から(25)


























1829.4.7(火)

「これまでアイルランドでは、二百万のプロテスタントが、五百万の優勢なカトリックのお陰で、どんなにひどい状態に置かれていたかは先刻承知の通りだ。たとえば貧しいプロテスタントの小作人などは、カトリック教徒に隣り近所をとりかこまれてひどく圧迫され、痛めつけられ、苦しめられてきたものだ。カトリック教徒は、仲間同士でいると仲が良くないが、いったんプロテスタントに対抗するとなると、いつも一致団結する。ちょうど咬み合いばかりやっているくせに、鹿でも現れたとなると、たちまち一団となって突進する猟犬の群みたいなものだ」



「それ(世界の大事件をやすやすとやってのけたこと)は、偉大な才能には生まれつきのことだよ。ナポレオン(1769-1821)が世界を手玉にとるのは、フンメル(1778-1837)がピアノをひきこなすようなものだった。・・・ことにナポレオンが偉大だった点は、いつでも同じ人間であったということだよ。戦闘の前だろうと、戦闘のさなかだろうと、勝利の後だろうと、敗北の後だろうと、彼はつねに断固としてたじろがず、つねに、何をなすべきかをはっきりとわきまえていて、彼は、つねに自分にふさわしい環境に身を置き、いついかなる瞬間、いかなる状態に臨んでも、それに対処できた。ちょうど、フンメルにとっては、アダジオだろうがアレグロだろうが、バスだろうがディスカントだろうが、演奏に変わりがなかったのと似ている。平和な芸術においても、戦争の技術においても、ピアノに向かっていても、大砲のうしろにいても、真の才能の行くところ、可ならざるはなしだな」


「プリエンヌ氏のこの書物(『ナポレオンのエジプト遠征』)には、ナポレオンがエジプトにたずさえていったいろんな書物のリストがのっているが、中には、『ヴェルテル』もはいっている。ところで、この目録を見て注目すべき点は、書物をさまざまな項目に分類する方法だ。たとえば、『政治』の項目には、『旧約聖書』『新約聖書』『コーラン』などがあげられている。このことから、ナポレオンが宗教的なものをどういう観点から眺めていたかが、わかるね」




1829.4.10(金)

「いつの時代にもくり返し言われてきたことだが、自分自身を知るように努めよ、とね。しかしこれは考えてみると、おかしな要求だな、今までだれもこの要求を満足に果たせたものなどいないし、もともと、誰にも果たせるはずはない。人間というものは、どんなことを志しても、どんなものを得ようとしても、外界、つまり自分をとりまく世界に頼るものだ。そしてなすべきことといえば、自分の目的に必要な限り、外界を知り、それを自分に役立たせることだ。自分自身を知るのは、楽しんでいるときか、悩んでいるときだけだ。また、悩みと喜びを通してのみ、自分が何を求め何を避けねばならぬかを教えられる。だが、それにしても人間というものは、不可解な存在であって、自分がどこから来てどこへ行くのかもわからず、世の中のこともろくろくわかっていないし、ましてや自分自身のことになると何よりもわからないのだ。私もやはり自分を知らないし、また知ることなど真平御免だね」



(山下肇訳)












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