2022年7月8日金曜日

ゲーテの言葉から(17)

























今朝、出かける前にテレビを付けると、何とも懐かしい方が出ていた

熊田千佳慕(1911-2009)

フランスに渡る前にテレビで観て感動したことを思い出す

その番組が今日のものと同じかどうかは定かでないが、その時のメモが残っている

その後、一時帰国した時の記事も見つかった

立ち読みで熊田千佳慕さん(2010.8.12)


ほんのりした気持ちになってからアトリエへ

今日もゲーテを読みたい


1827.7.15(日)

「フランス人たちはどうも事実にとらわれすぎて、観念的なものを思いえがくことが不得手だ。ところが、ドイツ人の方は、観念的なものを自家薬籠中のものにしている。インドのカースト制度について、この人(ハインリヒ・レオ、1799-1878)はきわめてすぐれた見解を有している。貴族主義と民主主義の話をいつもよく聞かされるが、ことはきわめて簡単だ。つまり、若い頃は、われわれは何も所有していないか、所有というものの安らぎの有難味がわからないので、民主主義者となる。ところが、人生を長く生きているうちに、財産がたまると、これを守りたいと願うだけでなく、子供や子孫にも自分の手に入れたものをのんびりと享受させてやりたいとも願うのだ。したがって、たとえ若い頃に他のいろんな思想にかぶれていても、年をとると、いつも例外なく貴族主義者になる。レオはこの点について聡明に語っている」

「たしかに美学の分野において、わが国はもっともおくれているようだ。だから、われわれの中から、カーライル(1795-1881)のような人物が登場してくるには、仮すに時をもってしなければなるまい。しかし、現在では、フランス人やイギリス人、ドイツ人の間で親しく交渉することで、おたがいに補正しあえるようになってきているのは、まことに好ましいことだ。これは世界文学にとっては大きな利点となり、この利点はますます現れてくるだろうね。カーライルはシラー(1759-1805)の伝記を書き、全体として、まずドイツ人にはちょっとまねできないような批評を下している。ところが、われわれも、シェークスピア(1564-1616)やバイロン(1788-1824)に通暁し、その業績をおそらくイギリス人自身より見事に評価できるだろうよ」

 

1827.7.21(土)

「このような不安を、マンゾーニ(1785-1873)は駆使して、しかもすばらしい成功をおさめている。つまり、彼は不安をときほぐして感激に変え、感激によってわれわれを驚歓させるにいたるからだ。不安という感情は元素のようなもので、読者ひとりひとりの胸に生じるだろう。しかし、驚歓は、作者がその場面場面でいかに見事に腕をふるっているか、を理解してはじめて生じてくるものであり、したがって、目ききの人だけが、これを感じとる能力にめぐまれているわけだね」

「フランス人は、われわれほどには純粋に愛着を感じながら作品を受け入れるようなことはめったにない。彼らは著者の立場に立って考えることがおっくうなのだし、どんなすぐれた作品に対してさえも、彼らの心にそぐわないところ、著者がもっと違ったように書いてもよさそうなところを見つけ出すのが、いつもうまいというわけさ」

「四つのことがマンゾーニに有利に働いて、彼の作品をじつにすぐれたものにすることに役立っている。第一に、彼が卓越した歴史家であり、そのため、彼の文学は大きな威厳と説得力にめぐまれ、それが、通常小説ときいてすぐ思い浮かべるようなもののすべてから、彼の文学を一頭地を抜いたものにしている、ということだ。第二に、かれがカトリックであることが有利に働いており、もしプロテスタントであったら、得られなかったろうと思われるような詩的な状況がいろいろと生じている。同様に第三として、著者が革命の軋轢にひどく悩まされたことが、彼の作品に役立っている。彼自身はその渦中にまきこまれなかったにせよ、彼の友人たちはそれに出くわし、そのうちのある者はとうとう身を滅ぼしてしまったのだ。そして最後に、第四にだが、この小説に幸いしたのは、これがコモ湖畔の魅力的な地方を舞台に展開されており、しかもこの地方の印象は、若い頃から詩人の心ふかく刻みこまれているので、この地方をすみずみまで知りつくしていることだ」


(山下肇訳)






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