2022年7月9日土曜日

ゲーテの言葉から(18)

























1828.9.11(木)

「ここに描かれているシラー(1759-1805)も、例の通り、高貴な天性を完全に失わないでいるよ。・・・何ものにも制約されず、あの思想の翼をひきおろすようなものは何一つない。彼の心の中に生きている偉大な見識は、遠慮会釈なくいつでも自由に口をついて出る。これこそ本当の人間だったのだ、みんなもあのようにならなければだめだよ!――ところがだ、われわれはいつだって何かしら制約を感じている。自分たちを取り囲む人とか物とかに影響をうけている。・・・こういった次第で、いろいろと気兼ねをしているうちに、いつしか心も麻痺してしまい、われわれの天性に備わっているかもしれない何か偉大なものを自由に表現するまでにはいたらないのさ。われわれは、外界の事物の奴隷にすぎず、事物がわれわれを委縮させるか、のびのびさせるかに応じて、われわれは、つまらない人間にも見えれば、偉い人間にも見えるのだよ」



1828.10.1?(水)

アリストテレス(382 BC-322 BC)は、どんな革新的な学者よりもよく自然を見ていた。しかし、自分の意見をまとめるのに性急すぎた。自然から何ごとか得ようとするなら、ゆっくり時間をかけて自然を探求しなければだめなのだ」

「私が、自然科学の対象を研究して、ある見解に到達したとしても、ただちに自然が自分の意見の正しさを認めるべきだなどと望んだことはなかったね。むしろ私は、観察や実験を試みながら、自然の後に従っていき、自然が時として私の意見を好意的に実証してくれるようなことがあれば、それで満足だった。そうでないときにも、自然は、私を他の着想へ導いてくれたので、私はそれに従った。おそらく自然の方でも、それを確証することを、どちらかというと、望んでいるようだったね」



1828.10.3(金)

「人間には、明るさと晴朗さが必要なのだから、かつて秀れた人びとが完璧な教養に達したような時代、その結果、彼ら自身快適であり、さらに彼らの文化の恩恵を他の人びとにも及ぼすことのできたような芸術や文学の時期に、どうしても目を向けることが必要なのだ」


「そんな偉大な外国作家たち<ヴォルテール(1694-1778)やウォルター・スコット(1771-1832)>とくらべれば、もちろん、ドイツの近代作家など相手にならないね。しかし、君がだんだんと内外のすべてに通ずるようになり、詩人の必要とする高度の世界的教養というものが一体本来どこからもたらされるべきかをわきまえるようになるのは、結構なことだよ」

「結局、君はウォルター・スコットのどんなところを読んでも、その描写にじつに安定感と完全性があるのに気づくだろうが、そういったものは、彼の現実世界に対する包括的な知識から生まれているのだ。一生をかけて研究や観察を怠ることなく、重大なことを日ごろから十分に検討していたからこそ、あれほどの域まで達したのだ。しかも、彼は、偉大な才能をもち、包容力のある人物だった! 君は例のイギリスの評論家(カーライル、1795-1881)が、詩人を歌手の声にたとえたことを思い出すがいい、人によってはほんの僅かしかいい音を思うように出せないのに、一方では高音から低音まできわめて幅広い音を完全にあやつれる人もいる、というのだ。ウォルター・スコットは、後者に属するな」


(山下肇訳)








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