2020年5月27日水曜日

現代哲学のまとめ(1)




ロジェール・プイヴェ著『現代哲学』を読み始めたのは今年の1月17日で、全くの偶然であった
それからなぜか読み続けるようになった
よくもここまでという思いで、信じられない
正直、あまり興味が湧かないところも読んで来た
このようなことはこれまでになかったことだ
このあたりで一区切りにしてもよいのではないかという考えが浮かんできた
ということで、「結論」を掻い摘んで読んで終わりにしたい

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ここで、結論として現代哲学を評価してみたい
これを行うことで現代哲学の教師の場合仲間に敵を生み、読者には幾ばくかの疑念が生まれるだろう
なので、少しばかりの知的勇気を持つことだ

現代哲学は何のためになるのか
わたしは多様な見方を位置づけようとしながら、分析哲学に対する好みを隠すことはしなかった
それぞれの見方の強みと弱みから出発して、多様な見方を分け、対立させるものを論じてきた

本書の野心は、現代哲学の出来るだけ大雑把な地理の本であること、道に迷わないための地図を提供することである
その結論は哲学の良い点と悪い点を示そうとするより、評価が可能になる基準を検討しようとするものである
わたしにとっての最良の基準は、明晰さに関するものである
しかし現代哲学の様々な流れは、同じように基準を満たすところからはほど遠い状態にある








2020年5月25日月曜日

哲学における論理学の役割(21)




論理学の哲学と哲学的論理学(4)

私がここでやりたいことは、これらの問題を検討することではなく、哲学的問題の宝庫に注意を促すことである
それは、「論理学の哲学」と「哲学的論理学」という論理学である
哲学の金塊を採掘する努力が推奨されるべきである

恐れがあるのは次のことである
論理学は自称本物の哲学の無礼で最悪の宿敵であるという主張を真に受けた学生が不幸にも道を間違えることである
それは彼らを騙すことになる

全ての哲学初学者は、自らを立言の厳密な分析者としてよりは、概念の創出者(それがどんなものであれ)として見る
カントの表現を借りれば、哲学における「偉大な権威」という品位は、論理学や哲学的論理学に対する軽蔑を誇示する哲学者のスタイル方の中に見られる

もし哲学の学生が論理学をやらなければならないとしたら、それは論理学のためというより論理学についての哲学的省察のためである
しかし、特定の専門性を習得するためには十分な真剣さをもって行うことが前提となっている
結局のところ、論理学はある哲学者が間違ってそう信じているような論法の習得ではなく、哲学の王道なのである







2020年5月24日日曜日

COVID-19 の最新情報





久しぶりにジョン・キャンベルさんの5月20日の発信を振り返ってみたい

今回は、一度感染して免疫ができた後、再度感染するのかという問題が取り上げられている
この問題の背景には2つの疑問があった
一つは、このウイルス(SARS-CoV-2)が変異を起こし、新しいウイルス株が感染するのではないか
二つ目は、感染よって免疫応答(抗体産生)が起こらないことがあるのではないか

最初に免疫ができても新しい株には免疫がないので再感染するという可能性だが、それはなさそうである
勿論、変異はするが、病原性を変えるような変異はしないと考えられているからである
また、免疫応答が起こらないということもないらしい
つまり、一度感染して抗体が産生され、ウイルスを排除すれば再感染せず、他人を感染させることもない

韓国の報告を取り上げている
中国、日本、イタリアで一度ウイルスが陰性になった後、10週以内に再度陽性になった例があった
検出されたのは感染力のあるウイルスではなくその断片で、回復した人にも見られることがあるという
ある意味では偽陽性で、PCRでは活性のあるウイルスとそうでないウイルスの識別ができない
それから免疫の持続期間だが、長期の免疫が予想されるが、具体的な数字は明らかになっていない

纏めると、一度感染してウイルス除去に成功すれば健康になり、ある程度の期間免疫が保持される
そして、他人を感染させることもない

心配された条件がクリアされ、ジョンさんの考えは非常に楽観的だ
これから次第に集団免疫ができ、数年後には歴史的な物語になるのではないかというものである


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5月23日の発信では、改めて感染防御法について触れている
改めて言うまでもないだろうが、念のために書き出しておきたい

冒頭、アメリカのCDCは素晴らしいデータを持っているのだが、マスコミに出る情報とのギャップがあることを指摘
パブリック・リレーションズの重要性に触れていた

このウイルスの伝搬様式は、主にヒト・ヒト間で起こる
そのため2メートルの距離を保ち、室内であれば換気に気を付けること
咳、くしゃみ、会話などによる飛沫が粘膜だけではなく、口や鼻の皮膚についてから吸入されることがある
インフルエンザよりも容易に感染する
動物からヒトへの感染可能性は低いが、ヒトから動物(犬、猫)への感染の方がリスクは高いかもしれない

それから、いろいろな表面に触れることで感染することも、多くはないがあり得る
銅で4時間、段ボールで1日、プラスチック、ステンレスでは2-3日後でも感染を起こすことができるという
これはNew England Journal of Medicineの報告による

最良の感染防御法は、すでに実践されていることと思うが、ウイルスに暴露しないようにすること
1)人との物理的距離を取ること
2)手をよく洗うこと
3)いろいろな表面を消毒すること









2020年5月23日土曜日

哲学における論理学の役割(20)




論理学の哲学と哲学的論理学(3)

ここで、哲学的論理学の問題点の一例を挙げたい

わたしが「ボヴァリー夫人は夫を裏切った」と言う場合、それは真か偽か、真でも偽でもないのか
改めて、それは意味論の問題である
今回は、問われているのが虚構の記述の問題だということである

その記述に真理の価値はあるのか
もしそうだとすれば、その根拠はどこにあるのか
存在しないが真実味がある範疇や状況なのか
 「金の山」や「四角い丸」についてアレクシウス・マイノングが提示したように
「ボヴァリー夫人は夫を裏切った」という発言を理解する人の頭の中にある考えなのか
そうだと言えるが、「フローベールの小説において」と加えるならば、ということではないだろうか

検討すべき他の可能性は、まだ多数存在している
架空の発言は根拠がなくても意味を持つ限りにおいて?
(なぜならそれは何物にも基づいていないから)
これらの解決にはそれぞれ長所と短所がある

あるものは、ボヴァリー夫人に関して我々が真か偽を言うことを可能にするように見える
しかしそれは、奇妙な現実の存在を仮定することによっている
 ボヴァリー夫人という架空の存在やボヴァリー夫人が夫を裏切ったという考えなどの
しかし、我々はそれなしに済ますことができるだろうか
 「ボヴァリー夫人は夫を裏切った」のような発言が何も言っていないことを肯定することなく

このような発言の論理的、哲学的解析は、意味論的、存在論的問題及び美学と芸術の哲学の問題を呼び込むことが分かる
そこで提起されるのは、虚構の問題である









2020年5月22日金曜日

哲学における論理学の役割(19)




論理学の哲学と哲学的論理学(2)

3)基本的な要素として命題を扱う命題論理とは異なり、述語論理においては命題は綿密に分析される
例えば、「すべての x はFである」あるいは「ある x はFである」のように書かれる
その際、「数量詞」、「変項」、あるいは特定のものを意味する固有の用語を用いる
「数量詞」の中には、「すべての」のような普遍的なものや「がある」のような実存に関わるものがある

ところで、固有の用語とは何を言うのだろうか
クリストフとかパリのような固有名詞のことなのか
「わたし」、「あなた」、「彼」、「これ」、「あれ」は何を指しているのか
限定された「現在の共和国大統領」、あるいは「現在のフランス王」と今言う場合はどうなのか

固有名詞は意味を持っているのだろうか
「グラス1杯のビール」が固有の用語であれば、「ビール」もそうなのか
「19h45のTGVがナンシー駅に到着」という出来事は、TGVが20hに着いた場合に固有の用語なのか
9という数字は何なのか
「個別の」とか「固有の」とは何を意味しているのか

要するに、命題論理の哲学的解釈はパンドラの箱を開けるのである
そしてその中には、形而上学的、存在論的、意味論的な悦楽が入っている

4)述語論理の述語とは何を意味しているのか
もしわたしが「神は存在する」と言うとする
その場合の「存在する」は、「アルノーは大きい」の「は大きい」のような述語になるのだろうか

それに対して、「NO」と答えたくなる
「存在する」は何かの特徴を示すものではないからだ
カントの伝統を継ぐ議論では、「xは怒っている」と言えば、「そして彼は存在する」と加える必要がない
「xは存在している」と「xは白髪である」という記述の間には顕著な違いがある

例えば、「ロバは鼠色である」は、「すべてのロバ」あるいは「あるロバ」についての記述であり得る
「ロバは鼠色ではない」は、「すべてのロバ」あるいは「あるロバ」は鼠色ではないことを意味し得る

反対に「ロバは存在する」は、「すべてのロバは存在する」あるいは「あるロバは存在する」ということではない
ロバが存在すると肯定することは、すべてあるいはあるロバについて何かを言うことではない
ロバが存在すると言うことである

「ロバは存在しない」ということは、ロバがいないということである
ロバが全くいないことでも、ロバの中の何頭かが存在しないことでもない







2020年5月21日木曜日

哲学における論理学の役割(18)




論理学の哲学と哲学的論理学(1)

論理学の哲学は、論理学者によって使われる正式な道具と概念を対象としている
哲学的論理学は、哲学の伝統的な問題の検討において論理的解析をすることから成っている
そう言えば、これは最も伝統的な哲学のやり方の一つであった

ここに、論理学の哲学において扱われる問題のいくつかの例を挙げたい

1)命題論理の「命題」とは何を言うのだろうか
「猫は絨毯の上にいる」という文が p で記号化されるとしよう
その場合、一連の言葉、一つの意味を持つ一文、誰かが「猫は絨毯の上にいる」と言うことを形式化したのだろうか
それは「意味論」の問題であり、言語と現実との関係に関する「哲学的」省察に関わってくる

2)論理演算子は、「と」「あるいは」「もし・ならば、・である」のような普通の言語を十分に表しているのか
真と偽の二つの価値しか存在しないのか
1)と同様、それは意味論に関するものである
そのためには、形式的言語と非形式的言語の関係について哲学的省察をすることが求められる





2020年5月20日水曜日

哲学における論理学の役割(17)




いろいろな論理学(3)

例えば様相論理において、必然性と可能性の演算子が用いられる
「・・であることは必然である」、「・・であることは可能である」などである
時相論理においては、時間の矢を考慮に入れる
3値論理では、一つの命題に対して真・偽という二つの価値しかないのではなく、第三の価値(未確定)がある

形式論理学の領域におけるこのような発展の豊かさは印象的である
その後に、こう続けることができるだろう
「そうだがしかし、それが哲学とどんな関係にあるというのか
 それは、概念の創出を天職としている哲学者を回り道させるのではないか」

それは哲学のものであり、興味を持つに値するのか
アリストテレス(『分析論前書』)、ストア派の哲学者、多くの中世哲学者、ライプニッツは疑問に思わなかっただろう
彼らにとって、普通の言語を形式化する可能性や議論の論理的機能の研究は哲学的に決定的である

確かに形式論理学の発展は、哲学的問いかけと何ら密な関係は維持していないかもしれない
見習い哲学者は、以下のような論理学者である必要はない
自分自身のために考えられた形式的体系や抽象的に検討された推論の手順に熟達した専門家

反対に、見習い哲学者にとって論理学は二つの利点を持っている
第一に、哲学にとって形式論理学は極めて重要な対象であること
第二に、すべての哲学的問いの集合は論理的処理を要求していることである

このように、論理学は哲学にとって二つの意味で興味深いものである
つまり、「論理学の哲学」と「哲学的論理学」の枠組みにおいてである







EU域外からフランスに入国する際の自発的隔離について





昨日のル・ドリアン欧州・外務大臣の発言について、在フランス日本大使館から連絡が入った
関係するところは以下の通り

1)依然、日本からの入国はできない
 (フランスの滞在許可証がある場合はその限りではない)
2)EU域外から入国するフランス人、滞在許可証を有する外国人は、14日間の自発的隔離が求められる

ということで、この二つの条件が変わるまで様子を見ることになりそうである









2020年5月19日火曜日

哲学における論理学の役割(16)




いろいろな論理学(2)

論理学は、形式的(記号を用いる)であると同時に哲学的な研究分野である
形式的とは、それが公理と規則の形をとる論理的体系から成っていることである
その体系は、他のものからある式を導き出すために、認められた記号と規則の連なりから構成されている

これらの論理的体系は演算として機能している
そこから情報科学やコード化されたデータの自動処理システムの発展における体系の根本的な役割が生まれる
コンピュータを使っている人は、論理学が何の役にも立たず、何も齎していないと言うことができるだろうか

これらの体系によって議論を形式化し、それが有効か、矛盾しないか、根拠があるか否かを決めることができる
それらは含まれる論理演算子に応じて、普通の言語による記述を形式化するのに多少なりとも適している
普通の言語の細かい形式化の要求に応じる論理的体系の発展にとって、20世紀は特に豊かな時代であっただろう

見習い哲学者が「古典的」とも言うべき命題論理と述語論理を主に学ぶ
そうだとしても、より繊細な表現力がある「非古典的」論理体系は存在する
例えば、様相論理、義務論理、直観主義論理、認識論理、時相論理、3値論理である
さらに、論理演算、ファジィ論理、矛盾許容論理などもある

この繊細さは、代わりに論理的決定可能性のような特定の形式的特性がないという恩恵を受ける
我々は論理学及び論理学と哲学の関係にとって素晴らしい時代に生きている
そのことを有効に利用し、楽しむべきではないのか

(つづく)









2020年5月18日月曜日

『知性改善論』、あるいは世界の理解と幸福に至るための道標




『医学のあゆみ』誌に連載中の「パリから見えるこの世界」第91回を紹介いたします
『知性改善論』、あるいは世界の理解と幸福に至るための道標
 医学のあゆみ(2020.5.16)273(7): 615-618, 2020

このシリーズのテーマが今年に入ってからすべて繋がっていることに気付き、驚いている
実は、来月のエッセイもその延長線上にある
このようなことは、これまでになかったのではないだろうか
この先どういうことになるのか、わたし自身が大いに興味を持っている

お目通しいただき、お楽しみいただけるとすれば幸いです














哲学における論理学の役割(15)




いろいろな論理学(1)

しかし、論理学が20世紀の哲学において歴史的重要性があれば、分析哲学者はその有用性を誇張しなかったのだろうか
論理学をやることによってじっくり考えることを学ぶということは、疑わしい
論理学に熟達することが厳密に哲学する能力を保証するという証拠は何もない

第一に、始める前提が疑わしかったり間違っているとすると、厳密な論理的推論をすることは何の役に立つのか
これは、特定の、ひょっとすると全ての分析哲学者を非難できることである
彼らは哲学の真の争点について間違っているように見える
非の打ちどころのない推論をすることではなく、明らかにする展望を提案することである
彼らの議論の論理的構成が、時に彼らを知的傲慢さに導くことも加えておきたい

第二に、述語論理や最も洗練されたアルゴリズムの第一人者は、厳密に形式的な領域を出た途端に突飛な考えを採用する
それは一部ではあるが、科学者や数学者でもよくある知的態度である
あるいは、彼らはそれが科学の体裁を取っているか否かは別にして、流行りの考えや時代の空気を取り入れる

このように、分析哲学者や論理学者は厳密さを取り違えていないだろうか
論理学は彼らに本当は何を教えたのだろうか

(つづく)








2020年5月16日土曜日

哲学における論理学の役割(14)





哲学史における論理学(3)

「もの・こと」をこのように語るのが正しいのだと仮定する
その場合、教養課程や哲学の道具として言語の解析や帰結理論に関わる論理学の排除は、哲学史の余談になる
全体的に見ると、これは長い歴史の中の2世紀を表している

20世紀のフランスでは、デカルトの明証主義は放置されたままであった
しかし、形式的な方法や論理学の拒絶は存続していた
論理学は何も生み出さない、真の思考の方法ではない、哲学者は遣り過ごしてもよい
このような意見が優勢であり続けたのである

真の思想家は天賦の才能(ingenium)を持っている
ドゥルーズとガタリの『哲学とは何か』の序は、この点から見ると重要である
彼らはこう言っている
論理学的解析は、認識論、言語学、精神分析のように、哲学にとっての「無礼」で「最悪の」宿敵である

宿敵が非難されているのは、かなり曖昧なままなのだが、概念の創出者(哲学者)の思考の自由を攻撃するからである
そこに、論理学を哲学の道具とした哲学の伝統全体との断絶がある
広い意味でこれらの問題を扱ったアリストテレスの論文に与えられた名前の「オルガノン」は道具の意味であった

論理学の拒絶は、20世紀の哲学において重要だったことに関して無理解であったことを物語っている
特にドゥルーズとガタリにおいて明らかである
自分の時代に敏感で、その哲学的思考が時代の深い意味を掴む能力に基づくとされる哲学者にしては意外である








2020年5月15日金曜日

哲学における論理学の役割(13)




哲学史における論理学(2)

それでは、特にデカルトには何が起こったのだろうか
それを理解するためには、『精神指導の規則』の規則第二と第十を読むとよいだろう
デカルトは彼が弁証法と呼び、我々が論理学と呼ぶだろうものの中にある知的競争心に何も反対しなかった

しかし、彼は論理学を形而上学と哲学に固有の方法としては拒否し、数学が構成する方法を採ったのである
デカルトが数学から学んだものは、急いで言えば、特に幾何学において真理の直観的把握が果たす役割である
認識の理想として数学的明証性を提示することは、論理学の形式的な方法の価値に疑義を差し挟むことになる

結局のところ、議論を点検することは、本質の補助的側面にしか過ぎない
『方法序説』や『省察』が書いた認識の苦行について精神の回心を通して至る証拠である
デカルトの思想は17世紀と18世紀に多くの批判の対象になった

しかし、明証性の決定的役割のために、優先的方法としての論理学を拒絶した
それが、この時代以降の哲学に深い刻印を残したのである
この視点から見れば、ライプニッツは輝かしい例外である
フレーゲと分析哲学、一般的にはハノーファーの哲学者とを結ぶ絆は、この点で明らかである

重要なことは、デカルト的で反ライプニッツ的な一般的な傾向である
形式的方法と議論における論理的価値の検討の拒絶である
この反形式主義はフレーゲや一般的には分析哲学者まで続いた
その中には、ラッセル、ヴィトゲンシュタイン、カルナップ、ポーランドのルヴォフ・ワルシャワ学派が含まれる
彼らは数学の前提となっている方法である直観的明証性より、言語や議論の論理的検討の解析に重きを置いていた

(つづく)







2020年5月14日木曜日

哲学における論理学の役割(12)




哲学史における論理学(1)

思想史について何世紀にも亘って意見を述べることは、単純に滑稽ではないとしても無謀なことである
しかし、それをやってみようではないか
読者にはこの話を少し後ろに下がって、いくらかの皮肉をもって読んでいただくようにお願いしながら
現状を理解するためには、それが不可欠なのである

まず、中世における哲学から始めよう
このテーマについて語り始めると、時代錯誤の危険性が大きくなる
18世紀のパリ大学哲学科の学生と今日の学生の間に大きな共通性はなく、その知的世界は大きく異なっている

しかしデカルト以前には、哲学と神学の研究と本格的研究全般は、論理学の学習から始まったことが明らかである
今日の哲学科の学生と中世のパリでサント・ジュヌビエーブの丘に足繁く通う将来の聖職者には多くの共通点がなかった
それと同様に、当時の論理学はフレーゲ以後の正式な学科と同一視できない

中世における論理学(logica vetus=old logics)はまず第一に、アリストテレスのテクストの研究であった
具体的には『範疇論』、『命題論』、ポルピュリオスの『エイサゴーゲー』(アリストテレスへの注釈)である
ボエティウスもこのような注釈をしている

12世紀の中頃から、新たに再発見されたアリストテレスの3論文と遅れて発見された1つを新しい論理学とした
logica modernum=modern logicsである
3論文とは『分析論前書』、『詭弁論駁論』、『トピカ』で、後から見つかったのが『分析論後書』である

これは用語(言語)とその帰結(議論)の理論である
研究の構成の中心には、自由七科(リベラル・アーツ)がある
言語に関わる三学(トリウィウム: trivium)と数学に関わる四科(クワードリウィウム: quadrivium)に分けられる

三学とは、文法、修辞学、論理学である
それぞれの学生はこれらを必ず実践しなければならなかった
真理に至るためには論理学が不可欠であるという考えが優勢だったのである

(つづく)






2020年5月13日水曜日

哲学における論理学の役割(11)




フレーゲ、あるいは新しいアリストテレス?(5)

ここでフレーゲの思想のまとめのようなものをしようとするものではない
彼の仕事は、数学の哲学の技術的な問題に属するように見える
しかしここで主張したいのは、その仕事は哲学史の流れを大きく変えたことである

分析哲学のすべての流れにとって、同時代の著しい貢献とされるものよりもずっと大きな重要性を持っていた
ニーチェ、フロイト、マルクスは、ラッセル、クワイン、プランティンガ、D・ルイスには並外れた印象を残さなかった
ポール・リクールは、ニーチェ、フロイト、マルクスを「懐疑の大家」(maître du soupçon)と呼んだ

懐疑とは、見かけの下にある現実がどんなものであるのかを疑い検討しようとする精神の在り方を指している
換言すれば、より深い、時に全く異なる現実を隠すものとして見かけを捉える精神である
その精神によって、人間の現実の真の本質や起源が明らかにされてきたのである

3人の「懐疑の大家」が現代哲学のアジェンダを設定したというよくある話は、20世紀哲学の一部にしか当て嵌まらない
論理学の革新はそれ自体が目的ではない
すでに見たように、その革新は哲学の伝統的な問題を新たに解析することを可能にしたのである

論理学の革新が根源的なものかどうかは、フレーゲの著作をどのように解釈するのかによっている
特にフレーゲ以来、命題とその問題点の厳密さ、正確さ、明確な決定が要求されるようになった
それは、正式あるいは半ば正式な方法、少なくとも論理学的手段に頼ることと関係している

ラッセルは「分析と本質的解明の対象となるすべての哲学的問題は、全く哲学的でも論理的でもない」と言った
それは言い過ぎだと判断することもできるだろう
しかし例えば、考えの修辞学や美学、表現の仕方を強調する文学的な哲学のやり方は、一つの流れにしか過ぎない

ある時代には、この流れはマージナルであった
その問題設定は、人生の意味、価値一般の問題、歴史における人間の位置などの壮大で全体に関わるものであった
しかしそれは、哲学の一部でしかなかったのである

存在、概念、知の正当化、帰納的推論などの概念というような、より控え目だが根本的な問題がある
これらについてのすべての哲学的業績は、当然のことながらその始まりから今日に至るまでの哲学に属している
それはフレーゲらの仕事を介してもいるのだが、しばしば忘れられるか、過小評価されているのである









2020年5月12日火曜日

哲学における論理学の役割(10)




フレーゲ、あるいは新しいアリストテレス?(4)

フレーゲはまた、対象と概念の間の識別を提唱した
それは現代哲学における命題解析の基礎にあり、この識別が認められるのか否かということであった
この点から見れば、現在では『哲学論集』に纏められている3つの論文は基本的なものである
それは『関数と概念』、『概念と対象』、『意義と意味』である
同様に重要なのが、3つの『論理的調査』、特に『思想』に関するものである

立言の真理値には、対象である真と偽の2つがあるとフレーゲは主張する
立言はこれら2つに固有の名前である
関数(概念)と対象の識別も、前述した存在論的証明についての考察が示すように、最も重要なものである

概念や関数は飽和状態にはならず、不完全である
それに対して、対象は飽和する
如何なる量化によっても、関数と対象については同時に一般化されない
それは、両者の識別が範疇に関するものであることを意味している

この識別には存在論的意義がある
意味と意義の識別もまた、基本的なものである
「朝の星」と「夕の星」は同じものを外延により示しているが、2つの表現は同じ意味を持っていない

「ピエールは金星が朝の星だと思っている」という文における「朝の星」は「夕の星」では置換できない
表現の意味の認知に関わる理由によって真理値が変わるからである
真理値を変えることなく相互に交換可能な状態(salva veritate)にはならない

これらすべては「命題的態度」や「モダリティ」と呼ばれるものの解析にとって著しい重要性を持っている
命題的態度とは、「を思う」、「を望む」、「を欲する」、「を信じる」など、命題に対する心的態度を言う
これはバートランド・ラッセルに由来する
モダリティは様相性とも言われ、話し手の判断や感じ方を表す言語表現である
例えば、「である必要がある」、「であることが可能である」、「であることが必須である」など

(つづく)








2020年5月11日月曜日

哲学における論理学の役割(9)




フレーゲ、あるいは新しいアリストテレス?(3)

『算術の基礎』において、フレーゲはミルやカントに由来する20世紀後半の哲学的な主要な流れを批判している
フレーゲは基数という概念の解析を展開した
「火星には二つの月がある」のような命題は、「火星の月」という一つの概念についての主張が含まれている
この命題は、「火星の月」という概念に該当する正確に二つのものがあることを主張している
これは、概念とは何かの新しい理論に導く

『算術の基礎』の53節では、存在を主張することは数字のゼロを否定する以外の何物でもないと説明している
存在は「概念の特性」であることを彼は証明した
概念の解析により、神の存在を肯定すると主張する存在論的証明
それは、アンセルムスやデカルトにおけるように「目的を達していない」

換言すれば、神の概念からその単一性もその存在も生じないということである
従って、数の概念の解析は数学の哲学、より正確には最初にフレーゲの関心を引いた数学の哲学のための問題ではない
そうではなく、概念というものの概念について一般的な哲学的省察をするために特化された領域を構成している

これは前述したことの一例でもある
すなわち、哲学とはしばしばある領域で行われた解析や主張された命題から離れた結果を見ることである
フレーゲにとって、真理が論理学の目的であるとする
その場合、真理の認識が述部(真である)によって言葉で表現されるのではない
そうではなく、文章が表明される際の断定的な力の中に見出されるのである
これは、真理の哲学的概念(と特に定義しがたいその性質)について多くの意味を含むものである

(つづく)









2020年5月10日日曜日

萩焼 第12代三輪休雪が語る伝統




久し振りに、途中からだったが日曜美術館を観ることができた
萩焼の第13代三輪休雪を取り上げていた
初めての方である
昨年、三輪家の当主になったばかりだが、もうすぐ70歳である
第11代休雪(三輪壽雪)の三男で、兄の第12代三輪休雪(現、三輪龍氣生)を継いだことになる

ここで取り上げるのは、番組に少しだけ出てきた第12代が語っていた伝統の本質について
龍氣生氏はこんなことを言っていた
三輪家の伝統などない  秘伝の伝承などということもない
あるとすれば、何かをやろうとする情熱ではないか  自分を突き動かすものがあるかないかではないか
「情熱」とか「突き動かすもの」とは何を言うのだろうか
わたしに引き付けて振り返れば、20代後半から始まった7年に亘るアメリカ生活に思いが至る
特に後半であったが、「内なるモーター」ということを考え始めた

おそらく、それまでは外の刺激に影響されてこの身を動かしたり、考えたりしていたのだろう
外の影響に依存しない何かを自分の中に作りたいと思ったようだ
それができれば、あとはそのモーターに任せておけばよいだけだからだ
そして、自分でそれができたと思うまでに7年かかったと当時は総括したように思う

そこで必要なことは、結局のところ、自らの奥にあるものと率直に向き合い、観察することであった
何かを作ろうと意識しても駄目ではないだろうか
ある日、そんなものが出来ていると感じるようになるだけのような気がしている
今から見れば、その過程には瞑想的な要素があったと言えそうである

そのモーターは生きる上で真の力を与えてくれるものである
そのことを再確認した朝となった









2020年5月9日土曜日

哲学における論理学の役割(8)




フレーゲ、あるいは新しいアリストテレス?(2)

フレーゲは、数学者、論理学者、哲学者である
1879年に出版された『概念記法』(Begriffsschrift)において、正式な言語を仕上げる
その主な新しさは、一般性を表すために量化子(quantifier; quantificateur)を用いたことである
この量化子により、ある命題の全体を言っているのか、部分なのかを明確にできるようになった

フレーゲにとって、論理的関係の表現においては、普通の言葉は曖昧で、不揃いで、不正確である
論理的特徴は、そこでは暗黙の状態のままである
よって、普通の言語で導かれる証明の前提や推論を徹底的には決定できないのである

そのためフレーゲは、論理学の道具として形式の体系を提唱することになる
そのお陰で、前提や議論の完全で厳密な説明の理想が実現した
フレーゲの根本的なテーゼの一つは、「反心理主義」である
それは、心理学は論理学と何の関係もないとするものである

論理学の法則は真理の法則であって、精神の法則ではない
それは、より一般的な真理である
このように『概念記法』は、すべての科学の厳密で完全な推論の発展に一つの枠組みを与えたと見られている
そこで、論理学の「普遍主義」が語られるようになる

(つづく)







2020年5月8日金曜日

フランスにおける外出規制暖和に関する説明について




昨日、防衛閣議において、5月11日からの外出制限緩和が決定された
その概要が大使館から送られてきたのでここに紹介したい

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(まとめ)

● フランス全土は赤ゾーンと緑ゾーンの2つに分けられ、ゾーンで制限緩和のあり方が異なる
 赤ゾーンは、イル・ド・フランス圏、グラン・テスト圏、ブルゴーニュ・フランシュコンテ圏、オート・ド・ フランス圏、海外県のマイヨット県

● イル・ド・フランス圏において
 ラッシュアワー時、職業証明書携行者とやむを得ない理由のある者以外による公共交通機関の利用を禁止
 やむを得ない理由とは、健康上、司法・行政からの呼び出し、子供の同伴

● 公共交通機関における11歳以上の者のマスク着用を義務化(違反者は135ユーロの罰金)

● 5月11日から、マイヨット県を除き、日常の外出に関しては証明書携行不要
 但し、居住地から直線距離100キロ以上の移動に関しては、職業上の理由や家族のやむを得ない理由を除き禁止
 新たな証明書は、内務省HPから紙媒体及び電子媒体でダウンロード可能(違反者は135ユーロの罰金)

● 100キロ以上の移動であっても、居住地の県内なら許可
 コントロールの際に提示できるように、居住地を示すもの(住居契約、住所付請求書、小切手等)を携行すること

● 仏国内に入る者(注:国籍問わず、別途定める感染流行地域からの入国の場合)について、原則14日間の隔離(quatorzaine)を実施
 現時点では,シェンゲン圏からの入国は隔離対象外

(首相・保健大臣)

● 本日の防衛閣議において、5月11日からの外出制限緩和が決定された
 仏全土は赤ゾーンと緑ゾーンの2つに分けられ、各ゾーンで制限緩和のあり方が異なる

・ゾーン分けは、ウイルスの流行、病院の受け入れ能力、PCR検査の能力という基準に基づきなされた
・赤ゾーンでは、引き続き中学や公園は閉鎖
 マイヨット県、イル・ド・フランス圏では特別な注意が必要
 マイヨット県では、外出制限緩和の日付は5月11日より後となる
・緑ゾーンでは、6月上旬からレストランやカフェ、高校が再開する可能性がある
(仏全土ゾーン分け地図)

● 高齢者や脆弱者について、5月11日以降、外出制限を命じることはないが、各自の判断で責任を持って行動

● 仏全土においてPCR検査能力は十分であり、医療保険で100%カバーされる
 ドライブスルー形式や家での検査も可能となる予定
 症状が出たら医者に相談し検査を受け、結果が出るまで自宅またはホテルでの隔離が必要
 これは少なくとも8~10日、症状がなくなってから2日間の期間
 複数で生活している場合、一室に閉じ籠り、他の同居人と接触を避ける等注意

・検査結果が陽性の場合、医者が状況をフォローし、結果が陰性の場合でも医者と対応を決める
・陽性患者と接触した場合、自主隔離し、接触後7日後に無症状の場合でもPCR検査を受けること

● 4.75億ユーロをEHPAD勤務者の特別手当として新たに拠出

(教育大臣)

● 小学校は、5月11日以降、100万人の生徒が学校に戻り、13万の教師がそれに対応する
 この数字は、国内の50,500校の内の80~85%にあたる

● 中学校は、緑ゾーンにおいては5月18日から開校する

● 高校は、緑ゾーンにおいては6月上旬から開校する可能性がある

● 学年別に対応しつつ、授業進行に支障を来している生徒、医療従事者の子供等を優先すべき
 詳細は各地域や教育機関に照会すること

(交通大臣)

● 公共交通機関は5月11日から本数を増やし、車内で乗客同士の物理的距離が確保できるようにする

● 引き続きテレワークを推奨
 出勤する場合でも、公共交通機関における混雑を防ぐために勤務時間をずらす

● イル・ド・フランス圏では、ラッシュアワー時、職業証明書携行者とやむを得ない理由ある者以外は公共交通機関利用を禁止
 利用者が多すぎる場合は駅を閉める場合もあり、約2万人の警察・治安部隊が協力

● 地域圏間の移動(SNCF)についても本数を増やすが、事前予約が必須
 収容能力の50%までしか乗車させない

● 公共交通機関における11歳以上の者のマスク着用を義務化(違反者は135ユーロの罰金)

(内務大臣)

● 5月11日から、マイヨット県を除き、日常の外出に関しては証明書携行不要

● EU国境に関しては新たな令まで閉鎖
 仏国境については、国境労働者等の例外を除き、少なくとも6月15日までは引き続き閉鎖

● 仏国内に入る者について、原則14日間の隔離(quatorzaine)を実施
 現時点では、シェンゲン圏からの入国は隔離対象外(但し、仏海外領土からの入国は対象)

(経済大臣)

● 5月11日、40万の企業、87.5万名の労働者が仕事に戻る

● イル・ド・フランス圏を除き、40,000平方メートル以上の大型商業施設についても、地域圏知事の同意があれば再開可能

● 連帯基金は5月末まで維持する

● 小規模企業について、3ー5月分の社会保険料・税の支払は免除する

(労働大臣)

● 特にイル・ド・フランス圏においては、可能な限りテレワークを推奨

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フランス国内の状況は改善しつつあるようだが、当分の間、外からフランス国内に入ることはできない
たとえ入ることができても14日間の隔離が伴うのだとすれば、入国は現実的ではないだろう
当分の間、様子を見ることになりそうである