2020年5月13日水曜日

哲学における論理学の役割(11)




フレーゲ、あるいは新しいアリストテレス?(5)

ここでフレーゲの思想のまとめのようなものをしようとするものではない
彼の仕事は、数学の哲学の技術的な問題に属するように見える
しかしここで主張したいのは、その仕事は哲学史の流れを大きく変えたことである

分析哲学のすべての流れにとって、同時代の著しい貢献とされるものよりもずっと大きな重要性を持っていた
ニーチェフロイトマルクスは、ラッセルクワインプランティンガD・ルイスには並外れた印象を残さなかった
ポール・リクールは、ニーチェフロイトマルクスを「懐疑の大家」(maître du soupçon)と呼んだ

懐疑とは、見かけの下にある現実がどんなものであるのかを疑い検討しようとする精神の在り方を指している
換言すれば、より深い、時に全く異なる現実を隠すものとして見かけを捉える精神である
その精神によって、人間の現実の真の本質や起源が明らかにされてきたのである

3人の「懐疑の大家」が現代哲学のアジェンダを設定したというよくある話は、20世紀哲学の一部にしか当て嵌まらない
論理学の革新はそれ自体が目的ではない
すでに見たように、その革新は哲学の伝統的な問題を新たに解析することを可能にしたのである

論理学の革新が根源的なものかどうかは、フレーゲの著作をどのように解釈するのかによっている
特にフレーゲ以来、命題とその問題点の厳密さ、正確さ、明確な決定が要求されるようになった
それは、正式あるいは半ば正式な方法、少なくとも論理学的手段に頼ることと関係している

ラッセルは「分析と本質的解明の対象となるすべての哲学的問題は、全く哲学的でも論理的でもない」と言った
それは言い過ぎだと判断することもできるだろう
しかし例えば、考えの修辞学や美学、表現の仕方を強調する文学的な哲学のやり方は、一つの流れにしか過ぎない

ある時代には、この流れはマージナルであった
その問題設定は、人生の意味、価値一般の問題、歴史における人間の位置などの壮大で全体に関わるものであった
しかしそれは、哲学の一部でしかなかったのである

存在、概念、知の正当化、帰納的推論などの概念というような、より控え目だが根本的な問題がある
これらについてのすべての哲学的業績は、当然のことながらその始まりから今日に至るまでの哲学に属している
それはフレーゲらの仕事を介してもいるのだが、しばしば忘れられるか、過小評価されているのである









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