2020年5月2日土曜日

哲学における論理学の役割(4)





一貫性(1)

哲学課程において論理学に優位な地位を認めている主な理由は、哲学者が真理の概念に重要性を与えていたからである
論理学が本当に重要なのかを問うことは、近現代の哲学のすべての部分の特徴の一つである
それは同時に、論理学の哲学に対する価値を問題にすることでもある

論理的一貫性、簡単に言えば矛盾しないことは、真理に留まることを保証するものではない
反対に、矛盾は我々の考えが間違っていることの指標となる
しかし、もし我々の考えが間違っているとすれば、それは何かを間違って想像することである

間違った信念も矛盾しないことがあるので、一貫性は真理を保証しないとすれば、一貫性の欠如は間違いを保証する
このように論理学は、一貫性の欠如を調べる方法を我々に提供するだろう
一貫性の欠如は、一つのこととその反対のことをはっきり言える簡単な場合を除き、一目瞭然ではない

一般的に、我々は一貫性の欠如を追い詰めなければならない
特定の主張が意味するところを検討すると、我々が真とするものの反対を意味していることに気付くことができる
このように、論理学は哲学において有用に見えるのである

論理学は推論する方法、より一般的には、一つ以上の命題から別の命題に誘導する方法を我々に提供する
このように論理学によって、我々が真であると見做すものの結果をさらに深く見ることができるようになるのである


哲学を次のように定義することが可能になるだろう
哲学とは、我々が真であると考えることから懸け離れた結果を見ることである
Aという領域において、ある人がT-1というテーゼを採用し、Z領域ではT-5というテーゼを採用するとしよう
論理学は、真であるとされるこれら二つのテーゼが両立しないことを我々に気付かせることができる

領域の違いが二つのテーゼの不適合を正当化できなければ、T-1かT-5、あるいは両方を否定しなければならない
しばしば、T-1とT-5が両立しないことは、直ぐに、あるいは直接的には明らかにならない
A領域のT-1はF領域のT-2を意味し、それはH領域のT-3を意味し、それはU領域のT-4を意味すると続く
そして最終的に、T-4がZ領域のT-5を意味することに気付かなければならない
T-1とT-5が両立しないことに気付くのは、最後になってからなのである








2 件のコメント:

  1. 日本には、日本論理学会がないそうです。だからか、日本では論理を議論する人が少ない。いっそそもそも論理とは何かあたりから、議論してみたいところです。

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  2. コメントありがとうございます。
    日本の状況はよく分かりませんが、そうでしたか。論理学が哲学の中で論じられているということはないのでしょうか。
    ご指摘のように、日本では論理が頭の中にないように見えます。今日のブログに論理についての思い出を書いてみました。ご参照いただければ幸いです。

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