2020年5月22日金曜日

哲学における論理学の役割(19)




論理学の哲学と哲学的論理学(2)

3)基本的な要素として命題を扱う命題論理とは異なり、述語論理においては命題は綿密に分析される
例えば、「すべての はFである」あるいは「ある はFである」のように書かれる
その際、「数量詞」、「変項」、あるいは特定のものを意味する固有の用語を用いる
数量詞」の中には、「すべての」のような普遍的なものや「がある」のような実存に関わるものがある

ところで、固有の用語とは何を言うのだろうか
クリストフとかパリのような固有名詞のことなのか
「わたし」、「あなた」、「彼」、「これ」、「あれ」は何を指しているのか
限定された「現在の共和国大統領」、あるいは「現在のフランス王」と今言う場合はどうなのか

固有名詞は意味を持っているのだろうか
「グラス1杯のビール」が固有の用語であれば、「ビール」もそうなのか
「19h45のTGVがナンシー駅に到着」という出来事は、TGVが20hに着いた場合に固有の用語なのか
9という数字は何なのか
「個別の」とか「固有の」とは何を意味しているのか

要するに、命題論理の哲学的解釈はパンドラの箱を開けるのである
そしてその中には、形而上学的、存在論的、意味論的な悦楽が入っている

4)述語論理の述語とは何を意味しているのか
もしわたしが「神は存在する」と言うとする
その場合の「存在する」は、「アルノーは大きい」の「は大きい」のような述語になるのだろうか

それに対して、「NO」と答えたくなる
「存在する」は何かの特徴を示すものではないからだ
カントの伝統を継ぐ議論では、「xは怒っている」と言えば、「そして彼は存在する」と加える必要がない
「xは存在している」と「xは白髪である」という記述の間には顕著な違いがある

例えば、「ロバは鼠色である」は、「すべてのロバ」あるいは「あるロバ」についての記述であり得る
「ロバは鼠色ではない」は、「すべてのロバ」あるいは「あるロバ」は鼠色ではないことを意味し得る

反対に「ロバは存在する」は、「すべてのロバは存在する」あるいは「あるロバは存在する」ということではない
ロバが存在すると肯定することは、すべてあるいはあるロバについて何かを言うことではない
ロバが存在すると言うことである

「ロバは存在しない」ということは、ロバがいないということである
ロバが全くいないことでも、ロバの中の何頭かが存在しないことでもない







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