mardi 14 juin 2016

記憶の彼方からカオティックな若き日が



今日は打って変わって晴れ渡り、暑い日であった
午後、大阪に入る

夜はオーケストラの先輩お二方とそれぞれの現況をネタに話し込んだ
お一人は同窓会的な集まりに積極的に参加され、講師などをされながら社会と関わっておられる
持参された資料と写真がそのことを物語っていた
もうお一方は上下関係が出やすく、年齢がものを言う集まりには違和感を持っているご様子
そのような会に若い人が参加しないのは当然に見えるが、上の人はそのことに文句を言う
心に負担がかかることは避けたいとお考えのようであった
わたしもどちらかというと後者のタイプになるのではないだろうか

昔の団員の話が一つ出ると、そこから次々に記憶が引き出されるという連続であった
これはデフォルト・モード・ネットワークを活性化しているのではと思いながら話に参加していた
命を絶った人も含めて、20代には実にいろいろな人にいろいろなことが起こっていた
人生が落ち着くまでには不安定でカオティックと言ってもよい状態にあったことが見えてくる
もし彼らが生きていたとしたならば、何をやっていたのだろうか

今回、当時の写真を一枚持参した
実はその写真がどういう機会に撮られたのか、はっきりとは覚えていなかったものだ
そこに写っている方がその日を跨ぐ数日の様子を覚えておられ、当時が蘇った
好奇心旺盛で、この世が輝いて見えた時代のことである
そのことから推測できる通り、そこに写っているわたしは全くの別人であった

お二方とも体に悩みを抱えているとのことで、そのあたりの話題も一通り出ていた
身体に起こることはもう避けられない話題になるのだろうか
ただ、その悩みは人生の一部として受け入れなければならないのかもしれない


話をする人が変わると違った過去が浮かび上がってくる
いろいろな人と会うことがこの生を豊かにすることに繋がることが分かる
日本での時間も少なくなって来た
できるだけ有効に使いたいものである






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