このところ一日が長く感じられることについては以前にも触れた
今朝も「まだ・・曜日か」という感覚が訪れ、嬉しくなる
テレビを付けると老画家が出ていた
野見山曉治、100歳
最初は美術番組かと思ったが、曜日と時間が合わない
こころの時代であった
以前に美術番組で何度か見ていたが、もう100歳になっていたのかという思いであった
見る方も同じ時間を経験していることをしばしば忘れる
記憶を頼りにメモしておきたい
野見山氏の若い時には、パリに行くこと、本物の絵画や絵具を見ることが至上のものとしてあった
至上のものとは、それをやるまでは死ねないという感覚だったようだ
そのため、芸術活動の障害になる可能性がある子供を持つことを拒否したという
そう理解を求めた上で結婚したことは、女性に対する残酷な行為ではなかったのかという反省も語っていた
それから、パリで会った年老いた研究者が語ったことが印象に残っているという
例えば「寂しい」という感情も年を重ねるとその意味が変わってくる
その意味の変化を見届けた後に死にたいと語っていたという
野見山氏もそう考えているようであった
この感覚はわたしの中にもある
私流に言えば、この世界のことをできるだけ広い意味において理解してから死にたい、となるだろうか
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