昨日は、ぼんやりしながら日本のドキュメンタリーなどの記録に触れていた
ひと日の終わりに、エッセイのテーマの候補が浮かんできた
それまで別のものを考えていたのだが、今一つ心から向き合うことができずにいた
それを取り上げるにはまだ早いという認識がどこかにあったからだろうか
新しい候補もそんなに簡単なものではなく、まだ早いと言うこともできる
ただ、こちらの方がそこに向かっていく力が強いように感じている
その問題を現段階ではどう考えるのかを纏めておいてもよいのではないか
そんなところに落ち着いている
振り返れば、エッセイ・シリーズも10年目に入り、もうすぐ100回を迎えることになる
始めた当初には想像もできなかった事態である
ただ、自分の感覚の中ではそんなに時間が経ったとは思えないし、特別の驚きもない
その時その時の問題意識を綴ってきただけなので、目は常に足元にあったからだろう
この間、テーマの選び方が変化してきたと感じた時があった
2019年から2020年にかけての頃である
それ以前のテーマは、自分の中にすでにあったもので、いずれ書きたいと思っていたものである
直ぐに見える貯えの中からその時の気分に合わせて気儘に取り出していたのである
その状態から、書き終わったらすべてが更地になるという感覚に変化したのが1年程前のことである
その時以来、前回書いたものとどこかで繋がっている何かを探すようになった
それぞれの関連性を考えることなくテーマを選んでいたそれまでとは大きく変わったのである
昨年亡くなった作家の古井由吉さんは、晩年の講演で次のようなことを語っていた
「作家は書くものがなくなってからが勝負である」
若い時は書きたいものが沢山ある
それ故、作家になるのだろう
しかし、年齢を重ねると書くことがなくなってくるという
そこからが勝負だというのである
一見書くことがなくなったように見えても、作家の奥底には沈殿している何かがあるはずである
作家の仕事はそれを引っ張り上げてくることではないのかと言っていた
その中に、その作家に固有のものが含まれている可能性が高いということなのだろうか
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