mercredi 26 avril 2017

反啓蒙主義とはどういう思想なのか?



本日は朝の内は曇っていたが、午後から雨が降り出した
予報が雨だったので、朝のうちに買い物に出た
この町に来た当初は遠い道のりに見えたが、慣れてくると軽い散歩という感じに変わっている

プロジェについてメールで打ち合わせをする
あくまでもamateurというのが主義になっているので、専門家として文章を書くことに抵抗が出ている
それをどこまでできるのかを見るのもこれからのテーマになりそうである


先日のプレスで、Philmag増刊号が反啓蒙主義を取り上げているのを見た
理性を重んじ、進歩や普遍性を謳い上げた啓蒙主義がこれまで世界を引っ張ってきた
しかし、ここに来てそれに抗する政治勢力が力を増している
それはおかしいでしょ、と反射的に言うだけでは何も理解できず、問題解決にも至らないだろう

啓蒙主義とは何であり、理性を働かすとはどういうことなのかについて考えたことはあるだろうか
その上で、それを体で理解したと言えるだろうか
自らを振り返れば答えは甚だ怪しく、そこに意識が向かうようになったのはこちらに来てからである
そもそもわれわれが理性などということを日常で考えることはあるのだろうか
これは全くの想像にしか過ぎないが、こちらもかなり怪しい
われわれはかなり意識的にこれらを勉強しなければ身に付かない状況にあるのではないだろうか

その上で、ニーチェが思想のもう一つの頂とまで言った反啓蒙主義がある
その歴史はエドマンド・バークヨハン・ゴットフリート・ヘルダージョゼフ・ド・メーストルらに始まる
ド・メーストルは、「フランス人、イタリア人、ロシア人は見たが、人間は見たことがない」と言っている
ヘルダーも次のように言っている
 「如何なる国、人民、国の歴史も同じではない。したがって、真善美も同じではない」
そこに浪漫主義やドイツ観念論も絡んでくるようだ
このような人間の状況で、根を断ち切り、普遍性を求めるという営みは成功するのか
悪夢の内に終わるのではないか
そういう問い掛けが出てきてもおかしくはない


この思想についてもしっかり見ておかなければ、現在の状況は理解できないだろう
今日のところは、そのような認識が生まれてきたということで終えざるを得ない




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