2017年4月6日木曜日

クロード・アジェージュさん、宗教を語る




昨日取り上げたル・ポワンに、懐かしのクロード・アジェージュさんのインタビューが出ていた
1936年1月1日、チュニジアのお生まれなので、御年81
フランスに来る前にはこの数字はかなり大きなものに見えたが、最近ではごく身近に感じられる
コレージュ・ド・フランスの名誉教授で、ポリグロットの言語学者
5年ほど前に、ご専門である言語に関する本を取り上げたことがあった

モンディアリザシオンによる思考様式の単一化、あるいは第二外国語の重要性 (2012-2-2)

最近、専門外と見做される宗教に関する本を出したようである

Claude Hagège, Les Religions, la Parole et la Violence (Odile Jacob, 29 mars 2017)

人はなぜ宗教を必要とするのだろうか?

イジュティハード (ijitihad)という言葉がある
その意味は「知的努力」であり、「理性的な探究」でさえある
これはイスラム原理主義のスローガンになっているように見えるジハード(djihad)と同根である
どこでねじれが生じたのだろうか?

インタビューでアジェージュ氏が語っている要旨は、以下の通り

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宗教は元々話し言葉であった
わたしは言語学者として二つの問いに答えたかった
一つは、人はなぜ世界を説明する話を作り上げようとするのか?
自然現象を観察し、解析することで満足できるのに、である
二つ目は、超越的なものに対する抗しがたい欲求をどう説明するのか?

宗教と言葉と暴力の間には関係はない
暴力は言葉の近くにはあるが、本質的に同じものではない
そうではあるが、暴力は言葉によって伝えられる
宗教は存在論的に暴力的なものではない
ただ、宗教は戦争そのものの要因ではないが、戦争を拡大させることはある
また、伝道(勧誘)は宗教間の競争をもたらすので、問題になることがある

宗教は理性的になることができるか?
それは難しいだろう
なぜなら、老病死という不可避なものを避けようとするのは本能の産物だからである

オーギュスト・コントの実証主義を高く評価している
それは理性的な宗教と言えるだろう
ただ、そこに信仰はない
彼は実証主義に基づく宗教を確立して人間の状況を改善しようとした
それが理性的過ぎたために発展できなかった
想像性とか感受性について十分には語らなかった
それがないところでは、カトリックの力には太刀打ちできなかった

現代の科学は過剰を求めている
老化を避けて寿命を延ばそうとする
わたしは、仏教のように、人間の状況の不確実さ、人間の苦悩と闘うプロジェが気に入っている
紀元前4・5世紀に科学の知があれば、ブッダはそれを使っただろう
それは人々の生活を楽にすることもあるからである
しかし、その知がなかったので、特に瞑想を介した内的な努めに拘った

われわれの恐れを避ける唯一の解決法は、宇宙の法則の粘り強い探究である
それは理性と人間精神の尊重を介して行う
宗教を生み出した精神は、熟達した科学、創造性、発明の才のおかげでより良い人間を生み出す
精神の尊重こそ、この本で伝えたかったことである

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彼の主張にはわたしのものとも重なるところがあることが分かった
読んでみてもよいのではないか、という気持ちも出てきた

以下にモンディアリザシオンと言語に関するお話を貼り付けておいた









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