2017年1月23日月曜日

意識の第三層、美、そして観ること



今日は快晴で、寒さも緩んでいた

今夜は唐木順三著『「科学者の社会的責任」についての覚え書』を手に取る
4年ほど前、成田からパリに戻る機内で読んだことになっている
中味はあまり覚えていない
おそらく、今ではよく言われることが書かれてあったからではないだろうか
問題はどうするのかということになる

『朴の木』改版にあたって、というエッセイを読み直してみた
大きな問題として人間の退廃が指摘されている
その中に、教師に望むこととして次のようなことが語られている
――政治的、社会的に考えるだけではなく、人間として、自分の問題として考えてほしい――

これが行われていないことが人間の退廃にも結び付いていると思われる
この現象は、意識の三層構造理論で言う第三層の(活動の)欠落として説明できるだろう
これは本編で論じられている問題の解決にとっても重要になるはずである
自らの深いところに返ってものを考えることができるのかという問題である
そう言うことは簡単だが、実行は至難の業である
そもそも第三層が何たるかをイメージできなければ、具体的な実行には向かえないからだ
深いところがどこなのかが見えてこないからである

それから、「真・善・美」の中で美の復権を訴えている
科学で得られる「真」が絶大な力を持っている現代では、「美」が衰えているのではないかという
「美」の教育が求められると言っている
同じことは「善」についても当て嵌まるだろう
こちらは哲学になるのだろうか
この問題は最近のエッセイでも書いたばかりのテーマになる

最後に、「見ること」の重要性を説いている
そう言えば、最初のブログ「フランスに揺られながら」のサブタイトルがこれだった

"J'observe donc je suis." (われ観察す、ゆえにわれ在り)

デカルトに肖ってのフォルミュールである
あの数年間で観察を重ねていたことが、それ以降の基礎になっていたように見える
じっくり観ることが哲学の基礎にもなっていたように感じるのだ
それほど観ることは重要な運動なのだろう


「あとがき」を臼井吉見さんが書いていた
若い頃、あのまん丸いお顔と頭をテレビでよく見たことがあり、懐かしい
饒舌な印象しかなく、どういう立場を採っている人なのかは知らなかった





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