mardi 24 janvier 2017

デカルトを近くに感じる



今朝も霜が降りていた
空が雲に覆われているためか、冷え込みがきついためか、その白はなかなか消えなかった
午後、用事があり街に出る
ちょっとした問題が出たが、すんなりと片付いた
この町では何かあっても必ず解決するという確信のようなものが生まれつつある
強く働きかけることもなく

帰りには素晴らしい夕焼けも拝むことができた
写真では伝えられない広い空に描かれていた
アグレアーブルな町と言えそうである


今夜はデカルトの『方法序説』を手に取った
昨日との繋がりになるが、デカルトも役者よりは観客として生きたいと考えていた
その他にも共通点をいくつか見つけることができた
勿論、それは中身ではなく、やり方や認識についてということになるのは言わずもがなではあるが

例えば、40代の彼はこれからの生き方についてこう書いている
「わたしは生きるために残っている時間を、自然についての一定の知識を得ようと努める以外には使うまいと決心した」
それから僅か十数年の人生ではあったが、その意思を貫いたことと思いたい
わたしの場合、こちらに来る前は「持てる時間のすべてを使って考えること」を欲していた

デカルトは名声が自らの探究の邪魔になることを知っていた
オランダに隠れることにしたのもそのためだろう
彼のモットーは Larvatus prodeo (わたしは顔を隠して進む)だった
その気持ちはよく分かる
露出した人たちの思考に成熟を見ることは稀で、寧ろ腐敗が進む傾向さえあるからだ

彼はガリレオの裁判の行方を見て身の処し方を決めていた
同じような運命になる可能性がある本の出版を控えたのである
それを弱さと見る人もいるが、 活動を阻害するすべての要因を避けたかったのだろう

そう言えば、スートゥナンスのコメントの中にデカルトを評したシャルル・ペギーの言葉があった
それがなぜだったのかは分からない
しかし、デカルトとどこかで繋がっていると思いたい

これまで何人かの哲学者を近くに感じてきたが、新たにデカルトが加わったことになる








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