samedi 7 janvier 2017

トランプが出てきた原因はエリートにあるのか?





昨日は再び霞に覆われた朝であった。
向かいの芝生は霜が降りたのか、一面白くなっていたが、午後には快晴になってくれた。

数日前のアメリカがまだどこかに留まっていて、トランプという存在に興味が湧いてきたのか、トランプの人生に関するものと今日のタイトルがテーマのディベートに時間を割くことにした。先日の記事では、口だけで何も実現できないエリートが嫌悪され、酷い発言はするが、それ以上に何かをしてくれそうなトランプが選ばれたという分析が出ていた。アメリカの現状はそれほど厳しいものがあるということになる。

このディベートでは、2人一組のジャーナリストがイエスとノーに分かれて議論している。それぞれが10分ほど意見を述べた後、司会者の質問に答える。その後にお互いの弱点を30秒で指摘し、それに45秒で答えた後、結語を語るという様式だった。勝負は最初によいと思った%と最後によいと思った%の差の大きい方が勝ちというルールであった。

イエスと答えた方は、エリートを過去10年数年の間ワシントンで責任を持っていた政治家と定義して議論していた。その上で、彼らが希望だけを売り、結局何もしなかったことが今回の現象の原因であるとしていた。具体的な政治家の名前も出ていた。成果を出せなかったので傷付いている人が多いというのが、彼らの分析である。それは本人だけとは限らず、本人に繋がる人の中にも将来に不安を持っている人がいるということを意味している。

一方のノーの方は、お金を持ち、大都市に住み、良い職に就いて、好きな時にヨーロッパに行けるような人をエリートと定義していた。その上で、皆さんはトランプ大統領が生まれた責任を取りますか?などと会場に質問していた。議論の最初にエリートの定義が統一されていなかったことがこのような混乱の原因だが、こちらの議論は明らかに問題のすり替えに聞こえた。こちらの側は、悪いのはあのような人種差別的、排他的で女性蔑視の考えを発するトランプ自身であるという立場であった。

エリートに非があるとする方は、その考えは現在のシステムを是として変えようとしない態度で、単におかしな人間が出てきてしまったという認識に過ぎないと指摘。確かに、あのような発言をすること自体に問題があるということは、両サイドとも認めている。問いの含みはそのような人間がなぜ選ばれてしまったのかということなので、ノーの側はその問いには答えていないことになる。イエスと答えた方に理があると判断した。因みに、ノーの論陣を張った方はワシントンポストの記者であった。マスメディアのエリートに当たるのだろうか。ひょっとすると、今でもなぜトランプだったのかが彼らには見えていないのかもしれない。

会場の判定はイエスの方が最初も高く、最後はさらに高くなっていて、皆さんも同じように感じていたことが分かった。こういうディベートは日本ではなかなか見られない。ぼーっとしている脳を刺激するには、偶にはこの種のディベートに触れるのがよいのかもしれない。





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