2019年1月30日水曜日

ザッキン美術館、再訪



今日は用事ができ、パリへ行き、とんぼ帰りした
パリは雪が降ったようで、道にはまだ残っていた
やはりトゥールの北にあるようだ

用事を終え空いた時間ができたので、その昔訪れ気に入った美術館で時間を過ごすことにした

  ザッキン美術館 MUSEE ZADKINE(2005.6.21)

もう14年も前になることに驚いている

小さな美術館なのだが、前回にも増して非常に落ち着いた気持ちのよい時間となった
何がそうさせているのか分からない
白で統一された室内とそこに差し込む光が関係しているのだろうか
それと、彼の像が発する生命の迸りのようなものがそこに加わっているのだろうか
いずれにせよ、振り返れば1時間ほどだったが、時間が消える滞在となった












2019年1月28日月曜日

死の技術



新しく届いたタイム誌にこの記事があった
「マインドフルネスの父」という言葉があったので読むことにした
92歳になるティク・ナット・ハン(Thich Nhat Hanh, 1926- )さんのお話である

非常に有名な方のようである
現代におけるもっとも影響力のある精神的リーダーのお一人とのこと
病んでおり、次の生に向けた移行のために故国に帰ったとある
40年もの間、亡命生活を余儀なくされていた
2005年と2007年にも帰国して宗教活動をしている
この時は共産党政権に免罪符を与えるものだとして批判された
今はフエのパゴダで、存在から解放されるのを待っている
語ることも息をすることも難しくなっているようだ

ハンさんは両親の反対を押し切ってこの道に入った
しかし、仏教学校の古めかしい教育を嫌い、サイゴン大学で科学を学ぶ
コミューンも作っている
1961年から1963年までコロンビア大学やプリンストン大学で教えた後、帰国
反戦の活動家になるが、南ベトナム軍が彼の命を狙ってコミューンを攻撃する
1966年、戦争が激しさを増すと、ベトナムを離れ世界19か国に平和を訴える遍歴に出る
この間に彼の評価が世界的に高まったようである
1982年にはフランスのドルドーニュの田舎に落ち着き、Plum Village Monasteryを創設
そして、再び故国を見ることができたのは、2005年のことであった

彼の教えは、長期間の鍛錬を必要とするものとは異なり、日常の中で可能なものである
マインドフルネスの言葉にもあるように、一瞬一瞬に意識を集中すること
そうすることにより、心配事から解放され、無限の感覚が生まれてくるという
これがストレスの中にいる現代人に受け入れられる理由だったのだろう
アメリカでは1200億円の産業になり、全米に2,450の瞑想センターがあるという

この記事は「社会」という大きなくくりの中に入っている
そのためか、個人の内面を扱うよりは政治との関連が軸になっているように見える
その意味では、記事のタイトルはやや deceiving だろうか
少なくともわたしが期待した内容は少なかった





  Tu Hieu Pagoda, Hue, Vietnam






2019年1月26日土曜日

移動しているが、移動していない




昨日、用事ができ、パリに行き、帰ってきた
動いている時、想像していなかったことが起こるが、臨機応変に対応
前回もそうだったが、全くストレスのない流れの中にあった
さらに言えば、移動しているという感覚さえなくなっている
したがって、疲れも感じていないようである
主観的には
何年か前からこの感覚はあったが、それがさらに確実なものになっている
驚くべき変化と言えそうだ


驚いたと言えば、ひょんなことから見ることになった前ブログが醸し出す雰囲気である
かなり詳しいものから目新しいものを紹介するものまで、どこか熱を感じる記事が多い
今では薄れている外に向けての熱である

そして動画までアップしていたとは
忘れていたがすぐに思い出す
2014年4月11日の記事にあったこの動画など、悪くない










パスカル・コサール著『これからの微生物学ーマイクロバイオータからCRISPRへ』のご紹介



暇に任せてネットに遊んでいる時、3月に刊行予定の訳書がすでに紹介されているのを見つける
表紙はまだ決まっていないようだが、目次などはアマゾンやこちらでも公開されている
サイドバーにも紹介することにした
表紙は分かり次第、差し替える予定である
どのような表紙が顔を出すのか、今から楽しみである

本書では、普段我々の意識には上らない微生物を取り巻く世界が描かれている
想像もしなかった繋がりが見えてきて、わたしも訳しながら大いに目を開かされた
現在、3月刊行に向けて最終チェックの最中である

興味をお持ちの方には是非手に取ってお読みいただければ幸いです
よろしくお願いいたします







2019年1月23日水曜日

初雪



今日は朝から冷たい雨が降っていたが、昼から白いものが少しだけ混じった
今シーズン初めてではないだろうか
夕方には雨が上がってくれたので、外に出た

先週雑誌に送ったコメントを掲載するとの連絡が入った
曲がりなりにも表に晒されることになるので、変な責任感のようなものが出てくるようだ
天空に浮いている方がよいのだが、これは時の流れで致し方ないのかもしれない





2019年1月19日土曜日

禁断の果実



昨日、久しぶりに一段落という気持ちになった
一つは再校ゲラの見直しを終えることができたことで、奇跡的である
もう一つは、雑誌から届いたコメントに対する考えを纏め、送ることができたことである
あとの判断はお任せということになる

今回論文を書き始めた時、迷いながらであった
おそらく、どのように型に嵌めて行けばよいのか分からなかったからだろう
その過程で、瞑想世界から再び社会の中に引き戻されたような感覚が生まれてきた
至福の生活から職業人としての現実生活に戻ったように感じられたとも言える

これがよいことなのかどうかわからない
ただ今回、自らの考えを専門家に問うことの重要性を再確認することになった
これからも問うべき考えが生まれた時には、空から地上に降りることになりそうである
禁断の果実を食べてしまったのだろうか





2019年1月17日木曜日

新しい展開



今朝シャッターを開けると、霜が降りていた
その寒い中を子供たちは颯爽と走っている
元気である
お昼前には春を思わせる長閑な日和に変っていた

わたしの方は、今週月曜に予定通り再校ゲラが届いたので、その見直しに当たっている
今週中には終えたいものだが、どうなるか
それが終われば、編集者の校正ゲラの到着を待って擦り合わせをすることになる


新年早々、他にもやらなければならないことが出てきた
一つは、来月エコール・ノルマルで話をするように頼まれたこと
その準備をしなければならない

もう一つは、年末に受理された論文について雑誌から連絡が入ったこと(論文はこちらから)
この論文についてのコメントを誌上に載せる予定とのことで、その内容が添付されていた
その上で、このコメントに対するコメントがあればそれも掲載したいので送ってほしいという

このような形でデバ(議論)が始まり考えが深まるとすれば、それは望ましいことである
ということで、自分の考えを紡ぎ出しているところである
この過程は苦しいながらも報いの多い営みである
全くの後付けだが、これを体得することがフランス滞在の目的であったかのようでもある






2019年1月13日日曜日

瞬間を存分に味わっているためなのか



昨日トゥールに着いた時、久しぶりに戻ってきたと感じた
パリにかなり長い間滞在していたという感覚である
そして、「昨日戻った」ということもかなり前のように感じられる
これはどういうことなのだろうか

年末に一日がとてつもなく長く感じられると書いたが、そのせいなのだろうか
セネカではないが、これだけ長いといろいろと素晴らしいことができそうである
しかし、そうはいかないのが現実だ
この感覚はどれだけ続くのだろうか
それは悪い感覚では全くないので興味が湧いている


ところで、両足の筋肉痛が著しい
パリのホテルがエレベータなしの7階だったからだろう
それにしても、何とも思わずにあの狭い階段を往復したことが信じられない
この手のことは全く気ならなくなっているのだ

それは、何かをやる時「いま・ここ」にしか意識が集中していないからだろうか
7階ということが意識から消えているのである
長い間の瞑想により、この認識と感情のコントロールができるようになったのではないか
ほぼ間違いなくそうだとは思っているのだが、、





2019年1月12日土曜日

The Day After



開催が危ぶまれたパリカフェも無事に終わり、霧に包まれたトゥールに戻った
驚いたことに、不思議な満足感がある
より正確には、これまで頭を縛っていたものからの解放感かもしれない
これで再びプロジェに戻ることができそうである
ただ、来週には再校ゲラが届くことになっている
当分の間、二つを並行して進めることになりそうである





第2回パリカフェ、無事に終わる



今日、第2回のパリカフェを開催した
第2回は昨年予定されていたが、会場の都合で直前にキャンセルになった
実は今回も非常に危なかった
トゥールからパリに向かおうとしたその時、駅が封鎖されたのである
不審物が見つかったので外に出るように言われた後、駅のシャッターが文字通り閉じられた

それからしばらく様子を見ていたが開きそうにないので、駅員に聞いてみた
そうすると、一駅先までバスで行き、そこでパリ行のTGVに乗るようにとのこと
バスも駅も混雑していたので、そこで今回も開催が危ういかという思いが過った
しかし、幸いにも何とか間に合う便があり、開催に至ったという経過であった
そのため、最後の詰めをやる時間がなくなり、どうなるかと思ったが予想外の展開となった

今回は直前で都合が悪くなられた方がおられたが、写真の皆様に参加をいただいた
パスツール研で仕事をされていた免疫学者のマルク・ダエロン博士にも参加をお願いした
彼はいろいろと準備をしてくれており、その成果を折に触れて発表していた
参加依頼をされた責任を感じていたからではないかとあとで思った
お陰様で非常に助かったと同時に、全く違う視点から議論が展開し、大いに参考になった

特に拘っていたのは、言葉の定義である
ある言葉が指していることは明確だと言えるのか、存在するものなのかという疑問である
今回のテーマのコグニションとは何を言うのかということも同様である
ただ、定義の問題に入ると収拾がつかなくなることが多い
特に汎用性の高い言葉は、使われる分野によっても意味が変わってくるからである
議論の詳細は近いうちに専用サイトにまとめる予定である


お忙しい中、週末の夜に時間を割いていただいた皆様にあたらめて感謝いたします
また、これからの開催は不定期になると予想されます
もし開催されることがありましたら、ご参加いただければ幸いです
今後ともよろしくお願いいたします










2019年1月6日日曜日

ジレ・ジョーヌに関するヴァレリー・ペクレスさんの観察




メールのサイトにあったニュース記事に目が言った
ヴァレリー・ペクレスさんのジレ・ジョーヌについてのコメントがあったからである
彼女は現在イル・ド・フランス地域圏知事をしている
フランソワ・フィヨン内閣の高等教育・研究大臣をしていた時、彼女の話を聞いたことがある
その時に好印象を持ったこともあったのだろう

  オペロン・シンポ2日目: やはり最後は哲学、文化に行き着くのか (2011.5.11)

彼女はこんな見方をしている

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この運動は中央集権的なやり方を大幅に改めなければ、収まらないだろう
国(マクロン)は手綱を緩めて、最終的には地方を信頼することである
税金を下げ、国民の間の分断を鎮め、まとまりを作るには、地方の信頼しかない
マクロンはテクノストラクチャーと手を切り、地方分権の大運動を始めなければならない
彼の権力の一部を、選ばれた議員に委任するのである
彼らの方がフランス国民に近く、仕事も上手くできるからである

ジレ・ジョーヌの暴力を容認するものではないが、この運動は終わらないだろう
それはマクロン(あるいは権力というもの)の欺瞞が火に油を注いでいるからだ
お金を配るのは一時的なものでしかなく、税金が低いままでよい状態を作らなければならない
それを国民に提示して協約を結ぶことである

現状を改革するためには、マクロンは方法を徹底して見直さなければならない
そして何よりも誠実であることだ
エコロジーのために税金を上げるなどという嘘は言わないこと
公正であることだ

彼らが求めていることは、生きる上での最低限のものである
住まいや安全や護られているという感覚、そして正義に適った規則に関わるものである
これらを解決するための政策を求めているのである

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黄色いベスト運動については(も)全くフォローしていない
しかし、この運動の姿が少しだけ見えてきたようにも感じている
国がテクノストラクチャーと一体になっているのは現代の特徴なのだろう
この問題の解決にも、科学を踏まえた上での哲学が必要になりそうである

ところで、7年前の記事を読み返してみたが、今日の結論とも重なる興味深いものであった





2019年1月3日木曜日

新年の街に出る



二三のプロジェを終え、少しすっきりしたのだろう
街に出る気分になった
最初のカフェは満員だったので次のカフェに向かうと、三週間のリノベーションだという
三件目でやっと落ち着くことができた
気に入っている市庁舎前の広場に面したカフェである

昨年まで、次の日にどのように動くのかをぼんやりと考えていた
しかし、その通りに進んだことは殆どない
朝起きると気分が変わっているのである
それを敢えてやろうとすると、変なストレスがかかる

今年が明けてやっと、それは無駄なことだと気付いた
朝起きると生まれ変っているのだから致し方ない
ということで、今年はその日の気分に任せて動くことにした
これが精神衛生にも良さそうである






2019年1月2日水曜日

2019年、新しい気持ちで



新しい年がまた明けた
年末から一つのプロジェに当たっていたが、年を越すあたりからさらに二三加わった
そちらは幸い無事に終えることができ、ほっとしている
また一つのプロジェに向き合うことができる
ただ、来週金曜にはパリでカフェを予定しているので、その準備もやらなければならない
なかなか純粋に一つだけという訳には行きそうもない

年の瀬から感じている変化として、これまでにない精神の落ち着きがある
これはことを進める上で欠かせない状態である
思い返せば、院生時代にその状態を目指したが、最後の段階でもそこには至らなかった
いまでは、なぜあのように好奇の心で飛び回ることができたのか理解できない
あれから2年を経て、やっと落ち着いて何かをやるという精神状態になってきたようである

昨年のいま頃は、これからのライフスタイルをどうするのか考えていた
いまでは想像もできないようなオプションも出てきて、揺れている状態であった
そして日仏を往復する中、夏に入る前にはやっと一つの道が固まってきた
いつも過ぎ去ってしまうと以前からこの状態にあったと思いがちである
しかし、実は少し前まで全く別の状況に置かれていたのである

今年はそういう揺れを感じることはあるのだろうか