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2019年12月21日土曜日

ゼネストで予定が狂う



来週からフランスの予定である
そんな折、SNCFからメールが届いた
現在進行中のゼネストのため、空港からトゥール行きのTGVがキャンセルになったとのこと
調べてみると、来週一杯は1-2本は出ているもののすべて満席

これまで、またやってると横目で見ていたが、実生活への影響を想像できるようになっている
兎に角、やる時は徹底的にやるという国民性を見る思いである
結局、来週一杯はパリで過ごすことにした
こんな予期せぬ出来事にも何か意味があるのではないか、というのがいまの受け止めである

それにしても、このような事態に遭遇してもこころは全く動かず平静なのだ
この世界のすべてを何もなかったかのように受け入れるという態度である
何年か前に気付いたことで、自分で言うのも何だが、殆ど悟りの境地ではないだろうか






2019年12月19日木曜日

今年を振り返る



昨年から今年にかけて大きな内的変化を経験している
その中身を振り返ってみたい


昨年の後半あたりから、一日が長く感じられるようになってきた
当時の記述を読むと、その感覚がいつまで続くのかと疑問符を付けて見ていた節がある
しかし、今年一年を通してその感覚は維持されていた

今年の終わりに向けて、この感覚は一週間、さらには一年にも及ぶようになっている
例えれば、一年がこれまでの二年くらいに感じられるのである
ということは、一体どういうことになるのだろうか


それから、仕事をする時の心構えが決まってきたようである
長い間、仕事に取り掛かることに困難を伴っていた
ここで何かを纏めなければならないという思いが強くなり、逆にやる気が失せるのである

おそらく今年、考え方が大きく変わり、仕事をすることに全く抵抗を感じなくなってきた
それは次のようなことである
何かを纏めようなどと力むのではなく、ある時間を自らの思考空間に遊ぶと考えるのである

このお陰で精神的に楽になり、進捗状況とは関係なく、仕事をすることが楽しくなってきた
これが仕事をすることの神髄だと理解したからではないだろうか
それは同時に、期限を切って何かをやるという考え方そのものを疑うことに繋がったのである


これらすべては、期せずして自らの観察を続けてきた結果ではないかと考えている
静かな時間や瞑想的な生活が齎したものではないかと考えている
これから先に新たな段階が続くとすれば、それは一体どのようなものになるのだろうか

いずれにせよ、これからも観察を続けることになるだろう
何せ、J'observe donc je suis. がわたしのドゥヴィーズなのだから






2019年12月17日火曜日

サイファイ研ISHEのプロジェクト2019を振り返る



2019年の終わりが見えてきたので、今年のISHEプロジェクトを振り返ることにした
このようなプロジェクトを始めたのは2016年からだが、いつも半分くらいの出来という感触である
今年もその例外ではない

メインのプロジェクトと考えているものについて、この秋は集中するつもりでいた
各種カフェをお休みにしたのもそのためである
しかし、その過程で見えてきたもの
それは、これまでやってきたはずなのだが、本当にやっていたのかという訝しい感じであった

次々に問題に気付き、全く満足できないのである
いろいろなことをやっている時には、問題に意識が集中せず、流されてしまっていたのではないか
このような状態に陥りやすいことに注意しながら、これからはことに当たりたい
最終的には、自分が終わったと思うところまでやることになりそうである

ISHEサイトに今年のプロジェクトの詳細を纏めた






2019年12月14日土曜日

人間ワレリー・アファナシエフを観る



昨夜、こんな低いところに、こんな大きな満月が!と驚いた
しかし、その大きさも卵の黄身のような黄色も再現できていない
月を撮ろうと思う時、いつもわたしのカメラに感じるフラストレーションである


昨日の朝、NHK-BSでロシアのピアニスト、ワレリー・アファナシエフ(1947-)の特集があった
冒頭は見逃したが、大半を観ることができた
もう10年以上前になるが、ピアノに留まらない芸術活動に関わっている人として知った
当時はピアノの演奏を聴いた程度だったが、この特集ではいろいろな側面を見ることができた

この芸術家を支えているのは、詩的な感性と哲学的な思考だろうか
音楽の中のことだけではなく、音楽という人間の活動について考えている
この二つの対比は非常に重要で、多くの場合、後者が欠けているのだ
そして、自然を含めた外界に対する鋭い観察眼だろう

印象に残る言葉が次々と出てきたが、例えばこんな具合である

ロシアにいる時には自由はなかったが、西側に出れば手に入ると思っていた
しかし、そうではなかった
商業主義が支配していたのである
そこで重視されるのは芸術ではなく、売るための話題性である

現代は本物の芸術、天才を必要としていない
普通の人よりちょっとだけ優れた人を売り出し、それを次々に消費していけばよいのである
現代に真の芸術を生み出す力はないとも言っていた
先日の丸山健二さんも、同様のことが芥川賞などで行われていると語っていた

アファナシエフさんは、現代人が重んじるのは事実であって、精神ではないと言っていた
これは科学時代の現代の本質を突いた言葉である
科学は精神を拒否して事実に拘るので、現代の重い症状は必然なのである

彼は若い時、友人から能の音楽を紹介され、感銘を受けたという
そこに懐かしさも感じたようだ
また、日本の古典文学にも共感
例えば、源氏物語や吉田兼好のように世俗を離れて自由を得た文人の作品などに

さらに、日本の自然(京都嵐山の映像があった)にも感じるところがあったようだ
しかし、そこに留まりたいとは思わないとのこと
なぜなら、そこで感じたものは自分の中に常にあるものだから

あることの本質的なものを掴んでしまうと、それが存在するかしないかはそれほど重要でなくなる
その存在は本質として自分の中に常にあるからだ
そういう感覚はわたしの中にもある

芸術は過去への回帰がなければ駄目だとも言っていた
過去の参照、追憶、、
ブラームスは追憶ほど大切な感情はないと言ったと彼は指摘していた
これはフランスで生活するようになってからのわたしの感覚に近いものがある

モスクワ音楽院のレッスンで、学生に話していたこと
目の前に広い空間を意識し、そこから音が生まれ出る様を表現するようなイメージで
これは言葉についても当て嵌まりそうなイメージである
さらに言えば、生きるということに関しても

その他、静寂を聞くとか、時の流れは見ることはできないが、聞くことはできるという言葉もあった
そして、「絶対的真理」という言葉を耳にした時、この人の知的姿勢が見えたような気がした
孤独の中で、一体何に耳を傾けてきたのだろうか


番組は10年ほど前のもので、当時はベルサイユに居を構えていた
現在は72歳でベルギーに移り住んでいるとのこと

濃厚な時間を味わった





2019年12月13日金曜日

科学における形而上学の役割を再考する



エッセイシリーズ「パリから見えるこの世界」の第86回のご紹介です

 「形而上学とは、そして科学におけるその役割を再考する」
  医学のあゆみ(2019.12.14)271 (11): 1255-1258, 2019 

形而上学をどのように理解して実践にまでもっていけばよいのか
科学が捨て去った形而上学に何らかの役割はないのか
これらの問いを考え、形而上学に新たな意味を見出そうとする試みについても触れています

図書館や書店などでお目通し頂ければ幸いです
なお、1年を経過したものについては ISHEのサイトに公表しています
よろしくお願いいたします





2019年12月11日水曜日

来年のプロジェを考える



来年に向けてプロジェをぼんやりと考えていた
今の段階でのアイディアを先日サイトにアップしたが、今日新たな考えが巡っていた
それは特に記載する必要もないだろう

殆どのプロジェは期限を切ってのものではなく、ゆっくり進めるものばかりである
その意味ではアップの必要もないのだが、忘備録として書き留めておくことにした

それとは別に、カフェやフォーラムはISHEの定期的な活動として続ける予定である
今年は後期の活動が滞ってしまったので、来年はそうならないようにしたいものである
これからも皆様のご理解とご協力をいただければ幸いである






2019年12月6日金曜日

舘野泉さんの病気と音楽



NHK-BSでピアニスト舘野泉さんの特集を観る
まだ観たことのないものだったので、この偶然に感謝
時間が消えるよい朝となった

病気の後に間違いなく世界の見え方が変わったと思われる
今は音楽と共にゆっくり在ることの幸せを味わっているようであった
「音楽とは生きること」というのが、辿り着いた境地
ある意味で、この間ずっと哲学してこられたのではないだろうか
また、自然と共に生きている様子もなかなかよかった

番組が病気の意味を再び考えさせるものとなった





2019年11月30日土曜日

いよいよ師走



知らない間に師走を迎えることになった
今や一年の内のどこにいるのか分からなくなるような感覚が生まれているので不思議ではない
絶対時間のようなものを体験しているのだろうか

そろそろ今年もまとめをしなければならない時期になったということでもある
2019プロジェを振り返る作業である
と同時に、2020の絵を描かなければならない

これらの作業は非常に重要だ
この生き物にはどのような癖があり、どの程度の機能があるのかが見えてくるからだ
つまりそれは、ソクラテスが言った意味での哲学にも通じる






2019年11月28日木曜日

思いがけない変化



寒さに厳しさが増してきた
しかし、バイカル湖で寒中水泳をするご老人たちの姿を見ていると、まだ大したことではない

実は暦が消えつつあるのだが、それにしてもまだ水曜だったのか、というのが昨日の感想
それだけ一日を十分に摘み取っているからなのだろうか
この一週間はなぜか朝から動き出すようになっている
朝から夜まで、しかも集中を切らさずに

これは驚くべきことである
それにもかかわらず、前に進んでいるように見えないのも驚きである

しかし重要なことは、集中の中にいる時間をどれだけ長く取れるかではないか
その間、永遠という至福の時を過ごすことができる
その中にいなければ気付き得ないことにも気付かせてくれる
そして、そこでは時間が流れていないので年を取らないことにもなる





2019年11月27日水曜日

生物における情報を考える




新しいエッセイが雑誌「医学のあゆみ」に掲載されました
 
エッセイ・シリーズ「パリから見えるこの世界」の第85回
 
  生物における情報の流れ、あるいは情報の定義は可能なのか
 
医学のあゆみ(2019.11.9)271 (6): 625-629, 2019





2019年11月24日日曜日

秋野亥左牟の在り難き生き方



今朝は在り難いものを見せてもらった
日美が秋野亥左牟(1935-2011)という芸術家を取り上げていた
初めての方だったが、その生き方には感じるところ大であった

第二次大戦敗戦直後に180度変わった教師の言葉に大人の社会に不信感を持つ
共産党に参加して扇動されるままに行動
しかし、後にそれは一部の跳ね返りの行動とされる

それから、母親の日本画家秋野不矩(1908-2001)と一緒にインドを訪問したのが転機になる
おそらく、人間の根源的な生き方に目覚めたのだろう
現代文明が浸透するそれまでの日本での生活がはっきり見えてきたのではないだろうか

それ以降、文明の垢(経歴や自尊心など)を剥ぎ取るように努めた
そして、旅に出、時には地に根を張る生活を続ける
後年は島で暮らしたり、絵を見せ、自らの体験を語る旅に出たりしていたようだ

亥左牟氏が語っていた「他の火にあたる」という言葉が紹介されていた
旅に出た土地で全身を晒し、それにより自らを変容させようとしたのではないだろうか
晩年は兵庫の里山で暮らし、76歳で亡くなった


先日、わたしの中に「まだ何も始まっていない」という感覚があると書いた
その中に、このような生き方への願望のようなものが含まれているのではないか
そんな思いとともに、在り難いが故に有難い人生を垣間見させてもらった日曜の朝である






2019年11月21日木曜日

朝はリラックス、夜は集中



単調な日常である
最近の傾向は、朝から動き出さないことだろうか
そう決めてやっているというより、何もしないで朝を味わいたいという欲求に負けているだけである
それで何の問題もないと考えるようになっている
その何もしない時間がひと日の後半へのエネルギーとして生きてくるようだ

もう一つの最近の特徴は、夕方から夜にかけて非常に集中力が増してくることだろうか
それが可能になる空間を見つけたことが大きな要因になっている
これは信じられない嬉しい変化である





2019年11月17日日曜日

ガラスが隔てるもの



この1週間ほど外の世界に出ていたが、非常に長く感じた
これは最近の感覚なのだが、時の流れがゆったりしているのだ
ひと月が数か月に感じる
より正確には、無限の中にいるような感覚と言ってもよいだろう

そして、再び静かな時間が戻ってきた
今朝、ガラス越しに外の景色を見ている時、ガラスが邪魔しているものに気付く
暫く前から感じていたことだが、ガラス窓を開けた時に見える景色の生々しさが失われているのだ
今日もその生々しさを味わうため、寒い中ガラス窓を開け放ち、久しぶりに紫煙を燻らす
朝日に漂う紫煙の美しさに気付いたのはパリにいた時だが、その至福の感覚は今でも失われていない
暫しのメディタシオンの時間となった




2019年11月15日金曜日

学友との恒例のデジュネ



本日はこのところ恒例となった学友とのデジュネがあった
お二方ともまだ仕事をされているようだが、そろそろ引き時が頭に浮かぶことがあるという
スポーツ選手などはその時期は早いが、人間である以上その時はいずれ誰にでも来る
難しい判断になるのだろうか
その割にはお元気そうであった

話題はいつものように何が出てくるのか分からない
最初は最近亡くなった後輩の話が出ていた
私と食事中に亡くなったという話を聞いたとのこと、人の噂は当てにならない
私は長いお付き合いだったので感慨深いものがある
周りに気を遣う人であった
私のエッセイは客観的に(第三者の作品として)読んでくれていたようで、コメントは参考になった
と同時に、元気を与えてくれるものが多かった

それから日本の古い美術の素晴らしさも話題に出ていた
私の方は、訪れたことのある古寺の仏像の印象などを語る程度
それとは別に、日本に帰ると観る番組として新日本紀行を挙げ、日本の古層にある風景に言及
都会にいると非現実に見えるかもしれないが、現実である

日本と言えば、最近の政治の体たらくは一体どこから来ているのだろうか
批判的な目を持つことだけがその機能のはずのマスコミが全く駄目になっているからか
昨日の丸山氏ではないが、それでなくても「もの・こと」をしっかり見ることが苦手な我々である
歯止めが利かなくなるのは当然の帰結か

その根には、考えなくなっている我々の日常があるのではないだろうか
数字がすべての基準として幅を利かすようになり、我々は考えなくなってきた
この傾向は新自由主義が入ってくる以前の20世紀中頃には明らかになっていた
実証主義的思考が優勢になってきたことと関係があるように見えるのだが、、
ハイデッガーではないが、計算的な思考には強くなったが、真の意味での思考ができなくなっている
考えることができる人間が増えなければ、根本的には変わらないような気がする
それとは別に、変わらなくてもよいという考え方も根強いように見える

冒頭の引退の話を突き詰めれば、人間としての引退もいずれ訪れる
それは突然のこともあるだろうし、だらだらと引きずることもあるかもしれない
いずれにしても先のことを心配しても始まらない
その厳然たる事実を認めた上で、日々励むしかないのだろう
あるいは、それを真に認識できれば、励まざるを得なくなるだろう
そんなところでお開きとなった







2019年11月14日木曜日

「丸山健二さん トークイベント」に顔を出す



今日は神保町界隈で時を過ごす
夜、作家の丸山健二さんがトークイベントをやるというので、お話を聴くことにした
東京堂書店の6階ホールが会場であった

タイトルは本人のご指名で、最近作の題と同じ「人の世界」
現在75歳で、過去50数年第一線でやってきたが、このような例は少ないと言っていた
よく出ていたのは、現在の出版界の厳しいお話だった
新作は書いているが、出す出版社がないという
昔はマンガなどで儲けた分で文学を出すところもあったが、今はないようだ

丸山氏によれば、文章そのものを冷徹に見ると、日本文学の主流は幼稚で自己愛に溢れている
人の世界の生々しさから目を逸らしているが、それは本当の文学なのかと言うのだ
夏目漱石が未だに最高峰と言われるが、その後の文学者は一体何をやっていたのか
丸山氏に言わせれば、近代文学を始めた人としてはそれなりだが、漱石も大したものではない
まだまだやるべきことがあるという

日本文学が駄目になったのは、小説を商品として扱うようになったからだとの見立てである
作家と編集者、時に評論家などが相互依存の関係になり、事情で仕事をするようになっているようだ
丸山氏は表現の可能性を求めて、新しい文体を開発するのに5年は費やすという
日本にそんな人はいないと言われたと話していた

自分が会得したものをこれからの人に教えるべく塾を開いているという
1から20までのレベルがあり、芥川賞などは2-2.5程度
ピアノで言えば、「猫踏んじゃった」のレベルとのことで厳しい
氏は15位まで行っていると見ていたが、最近最高レベルは30位ではないかと考えているようだ

昔から作家はその気になってポーズを取ったり、酒を飲んだりしていた
今でもそういうところがあるのだろうか
丸山氏は、本当の文学者は酒ではなく、牛乳を飲まなきゃ駄目だと言っていた
その真意は分かるような気がする
文学にとって重要なのは、自分を見る目、人を見る目、正確に生々しい姿を見る目だという

最後に会場から、海外の作家では誰を評価しているのかという質問があった
それに対して、ホフマンスタールの『騎兵の物語』は凄いが、『影のない女』はいただけないとのこと
それから、マルグリット・デュラスの作品(『夏の雨』??)を挙げていた


わたしはおそらく20歳を境に文学を読まなくなったので、深いところまではよく分からない
しかし、先日の科学の会に比べると、「分かった感」には雲泥の差があった




2019年11月13日水曜日

「これからの微生物学」シンポジウムで科学の言葉を再考する



昨日の午後は『これからの微生物学』出版を記念してのシンポジウムに参加した
会場は国立国際医療研究センター(NCGM)の大会議室だった
最初、間違って奥の方まで行ってしまったが、若手の研究者が親切にも会場まで案内してくれた
これで最近の若者を特徴付けることはできないだろうが、気持ちの良い対応であった

シンポジウムの初めに訳者として紹介され、ほんの一言、本の宣伝をさせていただいた
トップバッターはパスツール研究所のパスカル・コサール教授
専門のリステリア菌について、未発表のものも含めた最新の成果が発表された

聴衆として彼女が頭に置いていたのは、この領域の専門家だったと思われる
そう理解したのは、明日の岡山は聴衆が違うので調子を変えると言っていたからだ
今日は普通の学会発表と全く同じであった
分野違いの専門家や一般人は理解できなかったのではないだろうか

哲学に入ってから感じているのは、科学の発表は分かり難いということである
科学に溢れる専門用語や略語はまさしく身内にしか通じない隠語で、普通の人の理解を妨げる
同じ略語は分野が変わると全く意味が変わることもある
しかも脈絡の説明をできるだけ短くして、事実に集中する
したがって素人には、相互の関係が分からないまま事実が羅列されるだけに見えるのである
今回もそのことを痛感していた


科学の内容を如何にプレゼンテーションするのかは大問題である
その昔に読んだイギリスの免疫学者ピーター・メダワーの言葉が今も鳴り響いている
それは次のようなものである

 優れた科学者が時に分野違いの雑誌を目にすることがあるかもしれない
 しかし、そこに何が書いてあるのか理解されなければ大きなチャンスを失うことになる
 
当時は狭い範囲の人をイメージして書いていたので、そんな人もいるのかという感じだった
しかし今は、優劣は別にして、異なる分野を覗く人になっている
この言葉は、できるだけ多くの人が理解できるように書くよう努めよ、という忠告である
自分の仕事をできるだけ広いパースペクティブの中に入れて捉えよ、ということだろう
それは言葉遣いを易しくすることと同じではない
この問題は科学に限らず、あらゆる専門について言えることで、哲学も例外ではない
わたしにとってもこれからの大きな課題になりそうである


シンポジウム後半では、現在の大問題である薬剤耐性(AMR)が議論された











2019年11月11日月曜日

デジュネの後は平凡な一日



今日は半世紀前からのお知り合いと東京を眺めながらのデジュネとなった
これまで通りイタリア語の習得に余念がないと受け止めた
また、わたしの中には「まだ何も始まっていない」という感覚がある
その言葉を発した時、「まだ何かやり始めるつもりなのか」と完全に呆れられてしまった

その後はプロジェに当たる平凡な一日
人生とはそんな歩みの積み重ねなのか





2019年11月10日日曜日

パスカル・コサール教授との会食、そして講演会のリマインダー



日本パスツール財団の渡辺さんのお誘いで、パスカル・コサール教授と夕食をご一緒した
気さくなお人柄で、今日日本に着かれたばかりとのことだったがお元気であった
彼女の著書『これからの微生物学』を訳したご縁でいろいろなお話を伺うことができ、幸いであった
明日から講演が続くようだが、わたしが関係している会のご案内を再度しておきたい


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日本パスツール財団と国立国際医療研究センターの共催でシンポジウムが開催されます

これからの微生物学 ー 我々は微生物といかに付き合うべきか?
 
日時: 2019年11月12日(火)14:00 ~ 17:50


会場: 国立国際医療研究センター 研修棟5階 大会議室
   (〒162-8655 東京都新宿区戸山1-21-1)




プログラム 

参加は無料ですが、日本パスツール財団への申し込みが必要になります 

参加申込書 

宛先: 一般財団法人 日本パスツール財団 事務局
    中村 日出男 /  大谷 恵子
    TEL: 03-6228-5361    FAX: 03-6228-5365
    E-mail: jimukyoku@pasteur.jp

興味をお持ちの方の参加をお待ちしております








2019年11月9日土曜日

第6回サイファイ・フォーラムFPSS、盛会のうちに終わる



本日の午後から第6回FPSSが日仏会館で開催された
今回は新しい方を含めた多くの皆様の参加があり、活発な議論が進行していた
いつものように時間が足りなくなるくらいであった

話題は以下の二つであった
(1)武田靖氏の「科学と技術の本質的な違いについて ― 実践者の立場から」
(2)武田克彦氏の「神経心理学からみた意識について」
要旨はこちらにあり、発表のまとめと参加者からのコメントを同じページに載せる予定である


お忙しい土曜の午後の時間を割いて参加された皆様に改めて感謝いたします
暫くの間は未発表の賛同者を中心に発表していただくことを考えております
次回も主宰者の方から話題提供をお願いする予定です
無理のない範囲でご協力いただければ幸いです

また、懇親会ではこれからの会の構成や進め方についてのご意見が聞こえてきました
正式なコメントとして届いた段階で、今後の運営に生かしていきたいと考えております
今後ともご理解、ご協力をいただければ幸いです







 

2019年11月4日月曜日

庭の朝露と共に今日を思う



本日は見事な快晴
今朝はこれまでになく寒いように感じた
庭の朝露が日の光に輝いて美しい
枯れた草の中にもまだ花を咲かせているものがある
植物の逞しさを見る思いだ
さて、今日はどんな日になるのだろうか