2023年1月11日水曜日
「徳認識論と科学の形而上学化」再び
2023年1月7日土曜日
『免疫学者のパリ心景』の第一印象が届く
昨年刊行した『免疫学者のパリ心景』についてのツイートを検索しており、偶に覗くことがある
昨日、そこに懐かしい方の以下のようなツイートを発見し、驚く
研究所の図書室から帰ろうとした時、出入り口に立てかけてあった新刊に目がとまった。『免疫学者のパリ心景』。もしやと手に取ったら、昔私が在籍していた研究所におられた免疫学の研究者の著書。当時の颯爽とした風情で、今もパリを闊歩されているご様子のようだ。
15年振りくらいなので早速反応したところ、A氏から丁重なメールが届いた
ツイートにあるように、図書室で白地に青の何か他と違う気配を感じて思わず手に取ってみたところ、拙著だったという
その場で少しだけ読んだ時の感想が書かれてあった
まず、文章が読みやすいこと
活字ばかりのページでも、すっと読み進めてゆける不思議な感覚を持った
本でそのような感覚を得たのは、岡本太郎(1911-1996)の『今日の芸術』(こちらの方は平易な文章だが)を読んだ時以来である
これから購入してお読みいただけるとのこと、有難い
実は、A氏からは以前にもコメントをいただいたことがある
退職時に小冊子を作り、研究所の皆様に配布した
その中に以下のコラム(プチ・エッセイ)を載せた
ダニエル・バレンボイム vs スペシャリスト(2005.3.10)
われ観察す 故にわれあり(2005.8.31)
フランス語資格試験を受験して(2005.11.13)
太陽のもと新しきもの ・・・(2005.12.30)
イメージ、時間、現象学(2006.4.28)
今なぜ「科学精神」なのか(2006.9.26)
時空を超えたやり取り(2006.10.14)
科学すること、賢くなること(2006.12.15)
パスカルによる「私」の定義(2007.1.29)
過去の自分を現在に引き戻す(2007.1.30)
全的に考える(2007.2.12)
そしてこれから(2007.6.30)
そして、その読後感が送られてきた
印象に残っているのは、次の2つである
まず、日頃の印象とは違っていたのか、わたしの中身はすべてが芸術なのですね、ということ
それから、なぜかル・コルビュジエ(1887-1965)を想起させたとあり、驚いたのである
それ以来のコメントであった
2022年11月21日月曜日
大阪で4年振りの旧交を温める
今日は大阪まで足を延ばした
コロナの前、クリルスキーさんの『免疫の科学論』を出した時以来の関西になる
日中は免疫のエッセイの校正に追われていたが、夜、4年振りにY氏との会食が実現した
それ以前には、パリでご夫妻と食事をする機会があった
現役時代、東京では仕事場が近くだったのでお世話になり、大阪に移られてからも大学の講義によく呼んでいただいた
コロナの間は意識から消えていた関西だが、少なくとも今はそれはなくなっている
少しは前に進んだ状態に入っているのだろう
大阪大学を終え、大学を一つ経た後は一切仕事は止められたとのことで、悠々自適の生活とお見受けした
地元の?おいしい料理を酒の友としながら話が弾んだ
少々お酒が進んだようで、話の中身はすぐには思い浮かばない
一つは、コロナ直前に訪れたエジプトが良かったとのお話で、強く勧められた
フランスにいると、いろいろなところが近いのだが、不思議なもので日本から世界を見ている感じがあり、イギリスも遠くの国という印象であったことを思い出した
機会ができれば再び動き回りたいものである
それからわたしのエッセイ本『免疫学者のパリ心景』についても話題に出ていた
まず、タイトルの『パリ心景』が素晴らしいが、一体どこから出てきたのかとのお言葉
編集者のアイディアで、九鬼周造(1888-1941)のことも伝えた
表紙のことはこれまで何度も聞いていたので驚かなかったが、1ページの印刷のされ方が非常に良い感じだったとのこと
これはわたしにはピンとこなかったのだが、余白の取り方(バランス)が違い、読みやすかったようである
そして、これまでのエッセイが恰もこの本を作るために書かれていたかのように、流れるような構成になっていて驚いたとの評であった
そんな考えを持つこともなく、只管書き進めてきたエッセイなので、それは偶然の成せる業と言えるだろう
いずれにせよ非常に好評で、弟子の教授にも贈ってくれたようである
自由な時間をお持ちのようであったので、いずれわたしの潜伏先にもお出ましいただけるかもしれない
お互い長生きしようね、というのが最後の挨拶になる年頃になってきたようである
2022年10月31日月曜日
10月を振り返って
今月も纏めの時期となった
何をやっていたのか、早速振り返ってみたい
1)まず、月初めに3年ぶりにカフェ/フォーラムを再開したが、一昨日の札幌の会で無事に終えることができた
再開に当たっては心身の立ち上げが大変であったが、終わった今、開催してよかったと思っている
一つには、参加者の皆様との交換により、わたし自身に新たなエネルギーが注入されたように感じていることがある
二つ目として、カフェ/フォーラムが少しずつ変容を始め、有機体としての生命を持ちつつあるように感じられることである
更に進化することを願いたいものである
改めて参加者の皆様に感謝しながら、それぞれの会を振り返っておきたい
第6回ベルクソン・カフェ+ 第8回カフェフィロPAWL(2022.9.28)
ところで、これまで年2回の開催だったが、来年は年3回の開催とすることとした
最初のシリーズは、以下の日程で行う予定である
● 第9回サイファイ・カフェSHE札幌 2023年2月25日(土) 15:10~17:20
● 第7回ベルクソン・カフェ+第9回カフェフィロPAWL 2023年3月1日(水) 18:00~20:30
● 第8回サイファイ・フォーラムFPSS 2023年3月4日(土) 13:10~17:00
● 第16回サイファイ・カフェSHE 2023年3月8日(水) 18:00~20:30
それぞれのテーマについては、決まり次第お知らせしたい
2)免疫に関するエッセイの校正が始まった
4月には書き終えていたので、半年間寝かせておいたことになる
編集者のコメントとともに読み返しながら、言いたいところをより明快に表現しようとしているところである
それと、先日も触れたが、文献の扱いを考えなければならない
ディジタル本であれば、そのまま使えるのだろうが、紙の場合にはそうもいかない
これからの課題である
3)今月もコリングウッド(1889-1943)による「自然」の分析を読んでいた
また、その中に出てきたプラトン(427 BC-347 BC)の『ティマイオス』にも目を通し、貴重な時間となった
コリングウッドに関しては、これからも続ける予定である
2022年10月19日水曜日
『免疫学者のパリ心景』に見るメッセージ
「真理は知識の中にある。しかし我々は思考(ナハデンケン)するかぎりでのみ真なるものについて知るのであって、我々が歩いたり、立っていたりするかぎにおいて、そうなのではない。真理は直接的な知覚や直観においては認識されない。それは外面的感性的直観においても、また知的直観においても同様である。・・・ただ思惟の努力によってのみ真理は認識される」(武市健人訳)
「このように、それぞれが正当で不可欠な計算する思考と瞑想する思考という2種類の思考がある。しかし、人間が思考から逃げていると言う時に我々が見ているのは、この2番目の思考である。・・・瞑想する思考は時に大変な努力を要し、常に長い訓練が必要になるのである」
2022年10月16日日曜日
コリングウッドによる自然(23): アリストテレス(5)不動の動者の複数性
2022年9月27日火曜日
『免疫学者のパリ心景』、書評のご紹介
2022年8月26日金曜日
リマインダー: 秋のカフェとフォーラムのご案内
サイファイ研究所 ISHE の秋の催し物を改めて紹介いたします
日時: 2022年9月28日(水)18:00~20:30
場所: 恵比寿カルフール B会議室
テーマ: アラン・バディウの『幸福論』を読む
テクスト: Alain Badiou, Métaphysique du bonheur réel (PUF, 2015)
日時: 2022年10月5日(水)18:00~20:00
場所: 恵比寿カルフール B会議室
テーマ: パスツールのやったことを振り返る
パスツール(1822-1895)の生誕200年に当たり、意外に知らないその足跡を振り返ることにしました
科学での仕事を振り返った後に哲学的な側面にも触れることができればと考えています
2022年7月19日火曜日
根拠のない楽観に身を任せて
2022年7月13日水曜日
ゲーテの言葉から(21)
アドリアン・ファン・オスターデという画家(2009.5.21)
2022年7月6日水曜日
ゲーテの言葉から(15)
2022年7月5日火曜日
ゲーテの言葉から(14)
2022年7月4日月曜日
学友とのランデブー
2022年7月2日土曜日
仙台で旧交を温める
2022年7月1日金曜日
人生の指南書としての『免疫学者のパリ心景』
2022年6月30日木曜日
ボワソナード・タワーでのランデブー
2022年6月29日水曜日
「自然と人のダイアローグ」展、そして丸善の芸術的配置
2022年6月28日火曜日
日本パスツール財団訪問、そして心温まるディスプレイ
2022年6月23日木曜日
ゲーテの言葉から(9)
2022年6月22日水曜日
ゲーテの言葉から(8)
今日は当初予定されていた『免疫学者のパリ心景』の発売日である
何か新しい情報がないかとサーフしている時、驚きの発見をした
紀伊國屋書店の「教育と研究の未来」サイトに6月の新刊として取り上げられ、紹介文が続いていた
それを読むと何か大変なことになっていて、この本の著者は一体どんな人なのかという感じになった
もしその人を知らなければ、わたしも手に取りたくなるような "enticing" で過分な紹介文であった
さて、本日もゲーテ(1749-1832)である
昨日ゲーテは、学ぼうとする人との相性が重要だと言っていた
これまでのところ、ゲーテとの相性は極めて良好のようである
それでは、始めたい
1825.6.11(土)
「詩人は特殊なものを理解すべきだが、それが健全なものであるかぎり、そこに普遍的なものを表現することができる。イギリスの歴史は、文学的な表現にはお誂え向きだ。それが、たくましく、健康で、したがって普遍的で、反復してあらわれるからだ。それと反対に、フランスの歴史となると、文学には向かない。くり返しのきかない生の一時期をあらわしているからだ。だから、この民族の文学は、そうした時期に根拠をもちつづけるかぎり、一つの特殊なものとして存在し、時代とともに老衰してしまうだろうね」
「やたらに定義したところで何になるものか! 状況に対する生きいきした感情と、それを表現する能力こそ、まさに詩人をつくるのだよ」
1825.10.15(水)
「研究者や作家の一人ひとりに性格の欠けていることが、わが国の最近の文学の諸悪の根源だ。とくに批評においては、この欠点が世間にいちじるしい害毒を流している。真実なもののかわりにまちがったものをふりまいたり、あるいはみすぼらしい真実のおかげで、われわれにとっていっそう役立つ偉大なものを奪いとってしまうからなのだよ」
「たいていの人間にとっては学問というものは飯の種になる限りにおいて意味があるのであって、彼らの生きていくのに都合のよいことでさえあれば、誤謬さえも神聖なものになってしまうということだったよ」
「レッシング(1729-1781)のような男が、われわれには必要なのだ。彼が偉大なのは、その性格や意志の強固さによるもので、それ以外に何がある! あれくらい賢明で、あれくらい教養のある人物なら、他にもたくさんいるが、あれくらいの性格がどこにある!
じつに才たけて知識も豊かな人は大勢いるが、同時に、虚栄心も強い。近視眼的な大衆から才気のある人とほめられたい一心で、恥も外聞もなくしてしまう。彼らにとっては、神聖なものなど全く存在しないのだ」
1825.12.25(日)
「シェークスピア(1564-1616)について、何か言える資格のある人はいない。何を言っても、言い足りないのだ。私は『ヴィルヘルム・マイスター』の中で、彼にちょっとだけふれてはみたが、それはたいして言うほどのこともない。彼は、劇場の詩人などではないのだよ。舞台のことなど念頭になかった。舞台なんか、彼の偉大な精神にとっては、あまりに狭すぎたのさ。それどころか、この目に見える全世界すらも、彼には狭すぎるくらいだったのだ」
(山下肇訳)

















