2017年4月30日日曜日

バンド演奏の中、ぼんやりと読む




本日は曇り、時々雨
その雨の中で試合が行われ、応援のバンドの威勢もよかった

ぼんやりといろいろなものを摘み読みする
読み始めた本の中にこういう指摘があった

われわれの理性の空間は、規範によって境されている
社会を安定させるための社会的な規範が一方にある
善い行いか悪い行いかを決めるものである
もう一方には、それを守らなければ生存に関わるという言わば機械的な規範もある
それに従わなければ、自然が罰を下すという類のものである
われわれが倫理と言う場合は前者を指し、そうすることをすべてに求める
後者は必ずしもすべてに求めるわけではないが、その結果責任はその人間が負うことになる

ヤスパースの哲学についての考え方にも近いものを見た
「書物の中に述べられ、そして教室の講義で説明されるような哲学思想は、いわば一方の側面であって、この側面は、歴史的に個別的で代替不可能な実存の内でしか実現されないような他の側面が共に語りかけるときにだけ、初めて価値あるものになります」
「私には、一九世紀の意味での、そればかりでなく私たちの時代の意味での、科学的哲学は、事実上終焉しているように見えます。それは今でもアカデミックな意味では、行われておりますが・・・」
「私の考えでは、人間が実存する限り、哲学は決して終焉することはありません。哲学の一定の形態・・・が一つのサークル、一つの教養界、一つの社会に対して、その時々に終焉する、ということはありえます。・・・学派における根源的な哲学する働きが一つの学説体系に転化し、おのおのの学派にとって自家撞着的なことが始まったとき哲学は終焉しました」
「私には、こうした新しい哲学を求める声は疑わしいものに聞こえます。・・・ひとは哲学を要望することができません。彼はそれを生きなければならないのです。哲学は決して未来のものではなく常に現在的です。哲学を待望するものは、すでに哲学を拒否しているのです」
「哲学は各々の単独者の実存的意識を明確にし、彼がそのために生死を賭けようとするものを明瞭にし、なしうることをなそうとする意志を強め、起こるかもしれない一切のものに対して覚悟を決めさせるのです」


大統領選関連

2日前の調査結果は以下のようになっている

マクロン: 59%
ル・ペン: 41%

マクロンは週の初めに比べると4%下げている
まだ決めていない人を入れると、次のような数字になる

マクロン: 47%
ル・ペン: 33%
未決定: 20%

沈黙を守っていたメランションが、Youtubeで声をあげた
自分は投票には行くが、誰に入れるかは言わない
そして、自分はグルではないので誰に入れろとも言わないとしている
そのメランション支持者の動向は以下のようになっている

40%がマクロン(13%減)
19%がル・ペン(8%増)
棄権40%(7%増)

アモン支持者は、マクロン63%、ル・ペン8%、棄権29%
フィヨン支持者は、マクロン50%、ル・ペン21%、棄権29%

時間軸で見ると、徐々にマクロン支持が下がっているようだ
あと1週間で両者の線が交わることはあるのだろうか



ロベール・ルグロさんによるロマン主義



本日も文句のない快晴
ぼんやりと考えを巡らせる

今日は啓蒙思想と反啓蒙思想に関連して、ロマン主義について見ておきたい
この二つの考え方は、今の世界を分けている一つの対立軸になるかもしれない
ロベール・ルグロ(Robert Legros)さんの分析に耳を傾けてみたい
彼はヘーゲルを専門とするベルギーの哲学者である

伝統を否定して理性と個人主義を最高位に置く啓蒙思想の検証からロマン主義は生まれた
フランス革命後の18世紀終わりに始まり、19世紀を通じてヨーロッパに広がった
しかし、この流れは後からまとめてラベルが付けられることになったものである
啓蒙思想にある理性主義普遍主義から距離を取った最初のドイツの思想家は、次の人たちだ

アダム・ミュラー(Adam Müller, 1779–1829)
ヘーゲル(1770-1831)
ヘルダーリン(1770-1843)
シェリング(1775-1854)
フリードリヒ・シュライアマハー(1768-1834)
フリードリヒ・シュレーゲル(1772-1829)
ノヴァーリス(1772-1801)
E・T・A・ホフマン(1776-1822)

彼らは人間、歴史、政治についての新しい考えを持っていた
さらに、ベートーベンとシューベルト、そして特にウェーバーがドイツの伝統に根ざす音楽を求めた
これは普遍を目指したバッハやモーツアルトとは異なっている

絵画では、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich, 1774-1840)がいる
自然の中に物理的なものを見るだけではなく、神秘的なものをも見ようとした
イギリスにはターナー(Joseph Mallord William Turner, 1775-1851)がいた

啓蒙思想の哲学的意味は以下のようになるだろうか
この思想の下、人間は自律、普遍、独立を具えた主体になる
そうなることが人間の使命になり、ロマン主義はそこに疑義を差し挟んだのである
啓蒙思想同様に、ロマン主義もわれわれから法が生まれるとした
しかし、そのわれわれは個人の集合ではなく、われわれの伝統、習慣、風習、つまり文化であった
なぜなら伝統や文化から抜け出た普遍的な人間など存在しないからである
人間とは歴史的、社会的に生まれるものだと考えるからである

古典的な保守主義は伝統に忠実ではあるが、それは宗教に忠実である限りにおいてであった
ロマン主義者は、宗教はどうであれ、伝統に忠実である人間を考えた
その意味では、文化的な平等を訴えたことになる
政治的には保守主義であるが、上の理由で反植民地主義の立場を採った

啓蒙思想は人間の平等を訴えたが、それはヨーロッパの中での話であった
それ以外の人間を下に見て、従わせるものと考えていた
一方のロマン主義者は、それぞれの文化の特殊性を認め、普遍化することに反対した
人間の平等と文化の平等は合致することはあるのだろうか?

ロマン主義は理性に対して感情の側に立ったとする見方があるが、そんな単純なものではない
古典的な美はフランスの庭園に見るように数学的調和や秩序を見えるようにするものであった
ロマン主義者はこの考えを捨て、感知できるものは形によっては超えられないと考えたのである

Volksgeist(民族精神)という言葉を最初に使ったのはヘーゲルである
しかし、この概念は反啓蒙思想の基にいるヨハン・ヘルダー(Johann Herder, 1744-1803)が出した
ヘーゲルは啓蒙思想に従っていたが、精神の生気論的理解は保持していた

理性と進歩を掲げる啓蒙思想には、植民地主義的精神に導く危険性がある
民族精神を保持するロマン主義の危険性は、民族の純粋性を要求することである
人種差別主義との親和性である

啓蒙思想とロマン主義との対立を超える道はあるのだろうか?
一つには、現象学が開いた道がある
ロマン主義による世界への帰属と啓蒙思想による思想の自由は矛盾しないという
フッサールの理由付けについては、宿題としたい




大統領選関連

マクロンのアラスでのミーティング(4月26日)を貼り付けておきたい






国民戦線の性格として、「デマゴギー」、「分裂を煽る憎しみや怒りの言葉」などが耳についた
彼らは愛国者ではなくナショナリストで、それは戦争に結びつく
今抱えている問題はEUが原因ではなく、われわれに原因がある
怒りや憎しみや疑いを持っている人たちは、そこから逃れる希望を彼らに託することなかれ
彼らには問題解決はできない

分断されたフランスに再び統一と和解を齎すためにすべてのことをする
怒りや憎しみがあるところすべてに出掛けて行き、問題を克服したい
スローガンは Ensemble, la France !
機会の均等やイノベーションの導入や再工業化などを進め、ダイナミックな経済、社会をつくりたい
誇りを持てるフランスをヨーロッパの中で再構築していきたい

これまでになく力のこもった演説をしていた







2017年4月29日土曜日

変わらぬペースで



本日は昨日と同じような時間の使い方になった
午前中はリラックス
午後からカフェに出掛け、その空間をほとんど一人占めにしながら集中できた
何回目か分からないが、お店の人が、ご機嫌いかがですか?などと訊いていた
そして、いつものものを持ってきてくれた
初めてのことである

木々の緑はひと月も経たないうちに豊かになっている
町中の緑も益々深さを増している
生命が滴り落ちる素晴らしい季節になってきた



   2017.4.6






大統領選関連

マクロンの番組があったので貼り付けておきたい





失業、教育、難民、EUなどが論じられていた
フランスの現状がよく分からないので評価のしようがない
それと、話が細かくテクニカルになりがちなので分かり難いところがある
この点では、ガッツに訴えかけるル・ペンの方が上になるのだろうか
それが実態を反映しているのかどうかは分からないのだが、、

ただ、マクロンからはEUを護り、変えていきたいという熱意は伝わってきた
難民に関しても、出身国も含め、ヨーロッパ諸国と協議しながら解決したいと考えているようだ
難問から逃げるのではなく、それを引き受け、頭を絞ろうとしている
ヨーロッパの大国としての責任のようなものを感じさせた
それが実現できるのかどうか、これから注視すべきところが見えてきたのは幸いであった


昨日観たミシェル・オンフレ氏によれば、教養のないやつはマクロンに騙されるとのこと
記憶に間違いがなければ、の話だが、、、





2017年4月28日金曜日

よく摘み取った一日



春を迎え、午前中はぼんやりするのが日課のようになっているが、今日も例外ではなかった
いくつか浮かんできたものがあり、控える
それが一段落してから南のカフェへ
バスとトラムの中で今道・自然哲学を読み終える
これからの移動の友はフッサールの『デカルト的省察』になるのだろうか

カフェでは、丁度ジョゼフ・ド・メーストルの選集が届いたところだったので、少しだけ目を通す
それからプロジェに入った
食事時は落ち着かないが、それ以外は気分が落ち着く場所で、今日もよい感じであった
エピキュリアンとしては、今日も一日をよく摘み取ったか?と問い掛けるが、ウィになるだろうか



大統領選関連

ル・ペンのニースにおける演説会を貼り付けておきたい
マクロンの方は、まだやっていないようだ








2017年4月27日木曜日

新しく始める者として



今朝の空は快晴ではないもののまずまずであった
しかし、気分がよろしくない
以前から聞こえてくる言い争いの声が朝から聞こえてきたからである
気にしなければよいのだろうが、そうできないほどの激しさなのである
どうもお隣さんのようだ
勝手な想像だが、定年後のご家族ではないだろうか
今朝は物が飛び交う音まで聞こえた
総合すると、一日中争っていることになる
彼らにとっては呼吸するようなものなのだろうか


ぼんやりしている時に目に入ったフッサールの『デカルト的省察』を読み始める
この哲学者を愛するために生まれてきたとフランスの哲学者からご宣託を受けたのは11年前
イメージ、時間、現象学」(2006年4月28日)
丁度良い機会だと思ったようだ
以下にメモしておきたい

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デカルトは素朴な客観主義から超越論的な主観主義へと根本的な転換を行った
前世紀半ばから哲学の衰退は紛れもない
今日の哲学は統一性を持つ生き生きとした哲学ではなく、広がり関連がなくなった哲学文献の山だ
真剣に共にする哲学、互いのための哲学ではなく、見せかけの報告と批判の応酬でしかない
現代哲学の絶望的状況は、デカルトが根本から始めた省察の持つ活気を失ったためではないか

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アラン・バディウ氏が言っているように、哲学者は新らたに始める
そのエネルギーが失われていると20世紀初頭にフッサールは感じていたということなのか


大統領選関連

すべてで明確に対立しているように見える二候補の政策
開かれ、ヨーロッパを重視するマクロンに対して、賢い保護主義とフランス第一を掲げるル・ペン
マクロンの政策はその辺にある言葉で語られ、霧に包まれているのがこれまでは幸いしていた
決選投票までは一対一の討論になるので、その中身のなさが明らかになるだろう
そこで、意見を変える人がいるのではないか、と強気である
討論としてはこれからの方が面白くなりそうである





マクロンが商工会議所を訪問中の町の工場を訪れて、激しいマクロン批判を繰り返したという
マクロンは寡頭支配の仲間で、経済の破壊者であるジャック・アタリの側の人間である
自分はその対極にあり、フランス国民の側にいる人間だと訴えたいようである
今の世界的な流れに従うのか、それに抗して闘うのかという選択になりそうだ

ル・ペンの後にマクロンも同じ場所を訪問したが、手荒い歓迎を受けたようだ
解決策はグローバリゼーションを止め、国境を閉じることではないと反論したとのこと





2017年4月26日水曜日

反啓蒙主義とはどういう思想なのか?



本日は朝の内は曇っていたが、午後から雨が降り出した
予報が雨だったので、朝のうちに買い物に出た
この町に来た当初は遠い道のりに見えたが、慣れてくると軽い散歩という感じに変わっている

プロジェについてメールで打ち合わせをする
あくまでもamateurというのが主義になっているので、専門家として文章を書くことに抵抗が出ている
それをどこまでできるのかを見るのもこれからのテーマになりそうである


先日のプレスで、Philmag増刊号が反啓蒙主義を取り上げているのを見た
理性を重んじ、進歩や普遍性を謳い上げた啓蒙主義がこれまで世界を引っ張ってきた
しかし、ここに来てそれに抗する政治勢力が力を増している
それはおかしいでしょ、と反射的に言うだけでは何も理解できず、問題解決にも至らないだろう

啓蒙主義とは何であり、理性を働かすとはどういうことなのかについて考えたことはあるだろうか
その上で、それを体で理解したと言えるだろうか
自らを振り返れば答えは甚だ怪しく、そこに意識が向かうようになったのはこちらに来てからである
そもそもわれわれが理性などということを日常で考えることはあるのだろうか
これは全くの想像にしか過ぎないが、こちらもかなり怪しい
われわれはかなり意識的にこれらを勉強しなければ身に付かない状況にあるのではないだろうか

その上で、ニーチェが思想のもう一つの頂とまで言った反啓蒙主義がある
その歴史はエドマンド・バークヨハン・ゴットフリート・ヘルダージョゼフ・ド・メーストルらに始まる
ド・メーストルは、「フランス人、イタリア人、ロシア人は見たが、人間は見たことがない」と言っている
ヘルダーも次のように言っている
 「如何なる国、人民、国の歴史も同じではない。したがって、真善美も同じではない」
そこに浪漫主義やドイツ観念論も絡んでくるようだ
このような人間の状況で、根を断ち切り、普遍性を求めるという営みは成功するのか
悪夢の内に終わるのではないか
そういう問い掛けが出てきてもおかしくはない


この思想についてもしっかり見ておかなければ、現在の状況は理解できないだろう
今日のところは、そのような認識が生まれてきたということで終えざるを得ない




2017年4月25日火曜日

新鮮な週の初め、静かに読む



今日も素晴らしい朝であった
明日から雨との予報もあるので、旧市街に出ることにした
その道すがら出会ったこの雲に驚き、写真に収めた

今日は久し振りのカフェで数時間、これからのことを考える
デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)が働いていたのではないだろうか
好きな時間の一つである

バスを待つ間だけ読んできた今道友信氏の『自然哲学序説』が終りに差し掛かっている
physicaから入って、そこには収まりきらない真理を探究するmetaphysicaに進むという営みである
わたしが今やっていることと本質的には同じことである

全体の印象は、非常に丁寧に書かれてあるということ
ただ、科学の部分が大づかみで、メタの部分がやや文学的に過ぎるような印象を持った
それは読んでいる方が科学出身だからだろう
適宜、参考文献の説明が添えられていて、門外漢にとっては親切な著者との感触を得た

帰ってから、届いたばかりのアメリカ人哲学者の本を読み始める
こちらは所謂哲学書というより、一般向けの本になるのだろう
哲学者が考えてきたことを説得しようとしている本で読みやすい
どういう主張が展開されるのか、まだ分からない
しかし、ものの見方、考え方に関わるところに行き着くのではないかという予想をしている

このところ、読むべきものが増えている
考えを纏めるという作業も待っていて、退屈しない




2017年4月24日月曜日

一つのプロジェが一段落



本日も見事な快晴
涼しげな風が吹いていた

静かに翻訳の仕事に向き合い、ファーストバージョンを終えることができた
今回は4か月の仕事だった
これからゲラでの校正が2-3サイクルあるはずである
ただ、最初のものの校正作業がまだ始まっていないので、そちらが先になるだろう
いずれにしても、翻訳という仕事、相当の時間とエネルギーを消費することが分かった

そちらが一段落したので、これから帰国時に行う6月の会の準備を少しずつ始めることにしたい
今回は新たに二つの会が増えたので、どうなるのか予想もできない
試みとして経過をよく観察しておきたい


大統領選関連

事前の予想通り、マクロンとル・ペンが決選投票に進むことになった
この二人になると、マクロンに投票するように訴える人が増えそうである
フィヨンもアモンもそうすると語っている
メランションはいずれの主張にも欠けているものがあると言っている

マクロンが有利であるというのは事前の予想でもある
EUは堅持しながら、EUとフランスを新しくして行こうということだろうか
メルケルからも応援のコメントが来ていた
いずれにせよ、マクロン陣営の集会にはすでに選挙に勝ったような熱気があった

今回、左派がすべて敗れたことは、世界の潮流がこれからも続くということなのか
何かが欠けているのだろうが、それが何なのか掴めていないのではないだろうか
討論番組に出ていたアモン支持者は、敗北の原因について訊かれても答えようとしなかった
先が思いやられる状況に見える
それは日本でも同じ状況なのだろうか

今回初めて選挙の経過を追ったが、何かを得ることができたのだろうか
フランス政治の大枠が分かり、少し視界が晴れてきた感じはする
しかし、それ以上のものはない

結果が分かった後の各候補の演説を貼り付けておきたい























2017年4月22日土曜日

目覚めの時が豊穣の時?




パリの学生時代には寝始める時と目覚める時にアイディアが浮かぶことが多かった
寝る前のものは、起きてからメモしましょうなどと思っていると、考えが浮かんだことさえ忘れている
目覚めた時のものも、他のことをやってからなどと思っているとどこかに消えていくことが分かった
そのため、その時点で纏めるようにしていた

トゥールでは、寝る前には殆ど浮かばなくなったが、暫くして目覚める時に浮かぶようになってきた
今朝もこれまであやふやな状態のままだったものが、明確な形となって現れた
夢が決断を促すとでも言えばよいのだろうか
早速、纏めると同時に行動に移すことにした

このような偶然を期待しないで待つというのが生活の基本になって久しい
そういう不確実なものを頼りに生きていることになる
しかし、それこそ生の本質になるのではないだろうか


大統領選関連

明日が第1回目の投票日である
これまでの世論調査がどれだけ正確なのか、実際の投票行動を予想できるものなのか
そして、最後の1日がどれだけの影響を及ぼすのか
まだ決めていない人が少なくないとの報道もある

今の世界的な流れとは違う方向性を示す候補が選ばれる可能性も皆無ではない
もしそういうことになれば、これからの世界はどう動くのだろうか
そこに注目したい




受け入れる力がついてきた?



今朝、アパルトマンの周りの芝を刈るローンモーワー(tondeuse à gazon)の音が聞こえる
パリでも同じ音を聞いたが、五月蠅いので扉を閉めるようにしていた
それがこの町ではどうだろうか
扉を開けてその音を聞きながら、どうしようもないほどの快晴の空を眺めていた
なぜかわからないが、騒音を受け入れることができるようになっている
変われば変わるものである

午後からポストに届いた荷物を取りに行く
書類が不足しているとのことで再度出掛ける
しかし、二度目は必要なかったとのこと
ややいい加減なところがあるポストだが、こちらも受け入れる余裕が生まれている

ただ、この能力が身に付くのは少々遅すぎないだろうか

夜が本当に長くなってきた


大統領選関連

昨日行われた最後の討論会を貼り付けておきたい
11名の候補者が一人ずつ15分で主張を訴えるというスタイル
15分というと少ないようだが、かなりの話ができる時間であることが分かる

順番は以下のようになっていた

ジャン・リュック・メランション(65): 欧州議会議員、元職業教育大臣、左翼党共同党首
ナタリー・アルトー(47): 元ヴォー・アン・ヴラン議会議員、労働者の闘争党首
マリーヌ・ル・ペン(48): 欧州議会議員、国民戦線党首
フランソワ・アスリノー(59): 元財務省監査官、共和国人民連合
ブノワ・アモン(49): 元国民教育大臣、社会党
ニコラ・デュポン=エニャン(56): エソンヌ県イェール市長、立ち上がれ!共和国党首
フィリップ・プトー(50): 反資本主義新党
エマニュエル・マクロン(39): 元経済・産業・デジタル大臣、アン・マルシェ!党首
ジャック・シュミナード(75): 連帯と進歩創始者
ジャン・ラサール(61): ピレネー・アトランティック県ルルディオ・イシェール市長
フランソワ・フィヨン(63): 元首相、共和党

最後に、番組中に起こったシャンゼリゼでのテロについて、各候補が考えを表明して終わった







今日の世論調査の結果は以前と余り変わらないようだ
この数字が実際の投票にどれだけ反映されるのだろうか

マクロン 23%
ル・ペン 23%
メランション 19.5%
フィヨン 19%
アモン 8%

いずれにしても、10年目にして初めて大統領選挙を見ることになるので興味が湧く
振り返れば、こちらに来た2007年と2012年の2回の選挙が行われていたことになる
しかし、どこ吹く風で過ごしていた
あの状態が懐かしい





2017年4月21日金曜日

綿毛が激しく舞う



本日も坦々と過ごす
午前中に翻訳の見直しをやり、午後から昨日のカフェに出かけて第二のプロジェのために読む

つい最近まで樹一杯に咲き誇っていた花が見られなくなっている
その代わり、緑が滴るような色に変わっている
タンポポなどの綿毛が激しく舞っていた
あっけないものである

そして、なぜか鼻水が止まらなくなっている
嫌な予感がしてきた
この世に天国はないことは知ってはいるのだが、、


大統領選関連

ハリスによる今夜の調査結果

マクロン 24.5%
ル・ペン 21%
フィヨン 20%
メランション 19%

昨日は二位と三位の間に差があったが、今日は一位と二位の間に差ができている
ここに来てル・ペンが落ちてきたようだ
マクロンは最後まで行きそうだが、もう一人は分らないという状況に入ったきたようである
今夜は第1回投票前の最後の討論会が行われているはずである




2017年4月20日木曜日

スピードが落ちている?



朝から外に出て、甚だゆっくりとはしているが淡々と「こと」を済ます
どうも早い処理が苦手になっているようである
その分、深くできるようになっていればよいのだが、、

その間、新しいテーマが現れ、横道に逸れる
しかし、これはこれから考えるべき問題にしてもよいのではないかというところに落ち着く
考えてみれば、この段階で「横道」などあるのだろうか

今日は珍しく、夜もそれなりに進めることができた


大統領選関連

23日に迫った第1回目の投票
最新の調査では以下のようになっている

マクロン 24%
ル・ペン 23%
フィヨン 18.5%
メランション 18%
アモン 8%

決選投票では、6・4でマクロンという予想である
これでは余り変わり映えのしない結果のように見えるのだが、どうなのだろうか


ボルドー市長で自らも中道右派の候補であったアラン・ジュペのコメントをニュースを見る
それによると、改めてフィヨンへの支持を表明
マクロンはまだ大統領の準備ができていない
悪夢の決選投票はル・ペン対メランションで、これはペストとコレラの闘いになる
として両候補を侮辱したとある






2017年4月18日火曜日

アンナー・ビルスマのバッハを味わう





昨日のYoutubeに続いて現れたアンナー・ビルスマ(1934- )のバッハを味わう

外から見るとどうということもなさそうな教会での演奏だ

ドルンハイムの聖バルトロメオ教会(St. Bartholomäi Kirche)という

調べてみると、バッハが1707年に最初の妻マリア・バルバラと結婚した場所であることが分かる

別名、Traukirche Johann Sebastian Bach


奏者を見ていると、コマーシャリズムとは無縁で、浮ついたところは微塵も感じさせない

視線が外に向かうのではなく、内に向かう演奏である

修行僧、求道者の姿が浮かび上がる


昨日の青木十良さんを引き摺っているようだ






青木十良というチェリスト、やはり五十、六十は洟垂れ小僧か?



本日はLundi de Pâques(イースターマンデー)でお休み
空も曇りで、やや肌寒い

一日籠って新しいプロジェを始める
いくつかのプロジェを抱えている中で、中心的なものに当たろうというところか
この状態は仕事をしていた時と余り変わらないようにも見える
つまり、完全にフリーの中でやっているというよりは、意識の中ではこういうことである
他のプロジェが恰も仕事のようにそこにある中、大きなプロジェに当たるという感覚になる
そのためか、仕事をしている時よりは頭が稼働しているような印象がある

本日、青木十良(1915-2014)という3年前に99歳で亡くなったチェリストを知る
「音楽、すべての芸術は、エレガンス(自尊)である」という言葉を残している
これが、氏が一生をかけて辿り着いた哲学になるのだろう
それでも自分が考えている音楽のスペースの3%くらいしか実現できていないと言っている
バッハの1曲について、3年くらいかけてすべての音符の意味を考えるという
力を与えてくれる言葉である

若い頃、四十、五十は洟垂れ小僧ということを聞き、何を言っているのか、失礼なと思ったものだ
今であれば、五十、六十くらいにズレるのかもしれない
しかし、その域に入れば、この言葉は全くの実感である
四十、五十の政治家などを見ていてもいかにも頼りなく見える
わたしの理論に合わせれば、意識の第三層の広がりを感じることができないからだろう
それは政治家に限らず、芸術家についても当て嵌るようなお話も出てくる












2017年4月16日日曜日

国外にも開かれたサイファイ研



先日、エルサレムの大学の化学者から次のような問い合わせが届いた
あなたは研究所を始めたようですが、どんなことをしているのですか? 
ミッションを伝えると、すぐに返信が来た

子供の頃フランスにいたというその女性研究者
彼女は科学と社会との間を取り持ちたいと考えて活動をしているとのこと
日本で会を開くことがあれば、まだ行ったことがないので知らせてほしいと添えられていた
これを読んだ時、一つの考えが巡っていた

サイファイ研の活動はあくまでも国内向け、オープンではあるがこじんまりした会を目指してきた
しかし、こういう声を聞くと、さらに開かれた視野を持っている必要があるのではないか
時に、国外にも開かれた会を開くというオプションもあるのではないか
そう考えるだけで、まさに世界が広がる感じがした
勿論、このような会の開催には財政的基盤が必要になるので実現は難しいだろう
しかし、実現性とは関係なく、そう考えることが大切になるような気がしてきた


このテーマに関連して思い出したことがある
それは逆方向に開かれたとでも言えばよいのだろうか
今年の初め、プロジェのディスカッションをしている時のこと
雑談でサイファイ研の活動を話題にした
今回始めることにしたフランス語を読み語り合うベルクソン・カフェのことを話した時、彼は反応した
ここでやるのですか?と訊いてきたのである

このような瞬間がこれまで何度かあり、それがその後を決めることになった
自分ではあり得ないと思っていることを何の不思議もなくあり得ることだと考えている人がいる
そう気付くことにより、自分の中に無意識のうちに作っていた壁が意識され、壊れるのである
不思議なことに、あるいは当然のことなのか、すべてが外国で起こっている

その一例が、フランスで学生になるということであった
それは、2006年に訪ねたパリでのある教授との会話の中で起こった 
わたしの中には学生になるというオプションは全くなかった
あり得ないと思っていたからである
しかし、自分のやりたいことを話した時、その教授がこう訊いてきたのである
あなたは学生になりたいのですか?
何を言ったのか今は思い出せないのだが、その時の感覚が今回蘇ってきた





Tours est aussi une fête



今日はどんよりと曇った一日だった
午後旧市街に出掛け、数時間読んでから帰ってきた
このところ団体で歩いている人たちが目に付くようになってきた
賑わっていて、観光シーズンが始まっているということだろう

ヘミングウェイの小説に A Moveable Feast がある
邦訳は『移動祝祭日』だが、仏訳では Paris est une fête となる
好きな言葉である
それに肖れば、Tours est aussi une fête. となるだろう

そこに住んでいるのだが観光客のような気分
この感覚には捨て難いものがある
まさに人生は旅ということを感じさせる
それが何かを後押ししているとすれば素晴らしいのだが、、

帰りの軽く曲がった石畳の道
この環境もどこかに影響を与えているのではないか?
そんな思いが湧いていた




2017年4月14日金曜日

EUをどう捉えるのか?



昨年の今頃、様子を見にこの町を訪問している
期待感溢れる滞在であったことが分かる
目が行くところが限られているためか、同じような場所の写真を撮っている
当時も好印象を持ったが、さらに良くなっているようである

昨日のメランションだが、EUには敵対的で離脱を訴えていた
左右の両極端が同じ主張である
左はより外に開かれているような印象を持っていたが、必ずしもそうではなさそうだ
EUの重点が文化的な繋がりを重視するというよりは経済的な繋がりに置かれているからだろう
銀行や投資筋の考えが前面に出ているため、国内の政策に制限が加わることが多いという
それから、ドイツの力が強すぎることも問題と見ている
そのため、自分たちが推し進めたい政策ができないのがこの判断の理由のようである

道筋は以下の通りだ
まずPlan Aを試みる
これは、EU内で交渉して、自分たちの主張が通る新しい規則を導入すること
それがだめならPlan Bで、EU離脱である
つまり、EUを変容させるか、EUを去るかの選択になる
それを望まない陣営からは危険な道に見えるのだろう





2017年4月13日木曜日

ジャン・リュック・メランションの演説を聴く



昨日の夜、リールであったメランションのミーティングを観た
彼は二時間近くを話し続けていた
大部分は国内政治、生活に関するものだったが、国際政治についても触れていた
大変なエネルギーである
聞く方も大変である

最近の勢いに恐れを抱いている側からの批判や非難に反論し、対立候補の政策を批判している
エコロジーと社会的視点から政策を立てていきたいという
エネルギー、医療、教育、農業、、、
かけがえのない人間をそのように扱う社会を作るような政策
かなり具体的で生活で出会う細かい例を出している
ご自身が低いところからものを観ているところがある
これは絶対駄目だという判断をはっきり示し、その主張を説得しようという熱意がある
市民革命を目指しているとのこと





哲学的見方が必要というようなところで、具体的なものは抽象的である、というような言葉があった
具体的なものを理解するためには、一度抽象する必要があるということか
まさに哲学の必要性である

今回のφのマークは、智慧、哲学、平和(オリーブ)を意味しているようである
以前にも触れたが、わたしはそこにポパイのイメージも見た

最後にポール・エリュアールの詩"Le Château des pauvres"「貧者たちの城」を読み上げ終わった

La dose d'injustice et la dose de honte
Sont vraiment trop amères

Il ne faut pas de tout pour faire un monde il faut
Du bonheur et rien d'autre

Pour être heureux il faut simplement y voir clair
Et lutter sans défaut

Nos ennemis sont fous débiles maladroits
Il faut en profiter

N'attendons pas un seul instant levons la tête
Prenons d'assaut la terre

Nous le savons elle est à nous submergeons-la
Nous sommes invincibles




2017年4月12日水曜日

天の絵画を眺め、自らの絵を描く



本日は南のモールへ
朝はカフェで準備運動
お昼に帰ろうとしたが、余りの天気のよさで、もう少し雰囲気を味わうためレストランへ
外の席で上を見上げると、一つの画面が出来上がっている
そこに次から次に直線や曲線が描かれる
それを見ながらのデジュネで、それ以後の予定が完全に崩れる
そのまま日が暮れるまでそこに座ったままでもよいような気分になる
天に倣い、ぼんやりと頭の中で自らの絵を描いていた

昼間からゆったりと食事をしているように見えるこちらの人たち
そこに豊かさがあるように見えるのだが、錯覚だろうか



大統領選関連

昨日の番組に、あり得ないことが起こるかもしれない、という感じの番組があった
決選投票がル・ペンとメランションになるという可能性である
そして、番組での図では、メランションが6・4でル・ペンを破ることになっていた

それとは別に、メランションのインタビューがあった
マクロンが皮を被り、体を伴わない言葉だけに見えるのとは違う印象がある
人間、このくらいの年にならなければ熟してこないということなのか?
ただ、メランションの政策は危険だとする声も聞こえた
今のモメンタムをこれからも維持できるのか、見物である











2017年4月11日火曜日

ピエール・アドー、あるいは「哲学への改宗」





雑誌「医学のあゆみ」に連載中のエッセイを紹介いたします

第43回 ピエール・アドー、あるいは「哲学への改宗」

医学のあゆみ (2016.4.9) 257 (2): 193-197, 2016

お暇の折にでもお読みいただければ幸いです

よろしくお願いいたします






吹き出る緑



今朝、事務的な用事があり街に出る
緑が至るところに吹き出し、しかも瑞々しい色をしている
植物の持つ生命力に改めて目を見張る
写真の木などもこんな葉を出すことを初めて知った
歩いた道も初めてだったので、異空間での時間が非常に長く感じられた

この町に来てから事務手続きに手間取ったことがないが、今日も例外ではなかった
午後の用事も順調に進んだ
これも町の印象をよくしている原因である

昼間は論文を読みながら、新しい論点を探していた
夜はいつものプロジェに当たる


大統領選関連

第1回投票まで2週間を切った
今日は気分が良かったので町でル・モンドを買い、少し眺める
久し振りのことだ
そこからの抜粋を少しだけ

フィヨンは世論調査は認めた上で、それでも最後は自分が決選投票に行くと強気だ
金曜にサルコジとアラン・ジュペの支持を得た
中道、保守の票を固めることができるのではないかと期待している
また、テロやアメリカのシリヤ攻撃という状況の中、経験ある政治家が求められるとの見方もある
ただ、正直と誠実が大統領に最も重要な要素であるとされており、かなり厳しいとも言われている

メランションは昨日のマルセイユの大会にオリーブの枝を胸ポケットに入れて登場
平和の候補をイメージしたようだ
日々力強さを増している
アモンが決選投票に行けなければ、ル・ペンに対する候補として選ぶのはメランションだと公言
それが第1回投票に影響するのかどうか

予想が難しい選挙のようである







2017年4月10日月曜日

アレが始まったのか?




素晴らしい快晴の春の日曜である
朝の散策はなぜか浮き浮きする
ただ、このところ鼻水とくしゃみが止まらない
風邪ではなさそうなので、ひょっとすると恐れていたアレが始まったのではないかと疑っている
フランス10年目にして・・なのか
もう少し様子を見ることにしたい

春眠の季節か
本日、鼻水をこらえながら、だらしなくプロジェに当たる



大統領選関連

前回の世論調査から予想されたことではあるが、新しい変化が現れたようだ
メランションが伸びてフィヨンと入れ替わった

マクロン 24%
ル・ペン 24%
メランション 18%
フィヨン 17%
アモン 9%



2017年4月8日土曜日

初めてのスタジアム



いつもはアパルトマンから縦長のグラウンドを縦軸から見ていた
実は、小さなところでサイズは半分くらいではないかと想像していた
しかし、今日初めてその中に入り、広々としたスペースが広がっているのに驚く
本物のスタジアムで、最初に入って感じたのは開放感であった
今度は観客席に座って試合を見るのも悪くないな、という気にもなった
さらに、踏みしめる砂利の音を聞いているうちに、ここを走っている生徒さんのことを思い出す
いずれ、この周りを走ってみたいという気持ちも湧いてきた
夕方になるといつも趣のある陰影を出してくれる二本の木もここにあったのかという感じである
まさに、見る地点によって「もの・こと」は全く違って見えるということを実感

今日の発見であった


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アパルトマンに戻り何度も見直すが、どうしてもあれだけの広さがあるようには見えない
そして、ニ本の木もあんなに遠くにあるとは信じられない
実際に見たにもかかわらずである
われわれの感覚のいい加減さ、危うさがよく分かる






2017年4月7日金曜日

自然の音楽を聴く



今日は素晴らしい快晴の朝で始まった
激しい言い争いの声がBGMではあったが、、
ただ、気力の充実が見られない
この自然の中に身を預けたままでいたいようである
こういう日は何もしないに限るということで、のんびり過ごす

何という名前かはわからないが、白い花びらが突風にあおられ、激しく舞い上がった
形容しがたいその踊りに目を奪われる
一つの音楽を聴くような感じで観ていたのではないだろうか

向かいのグラウンドの緑は周りの緑とは違い、密度が濃く、深い
太陽に輝いている
その上を一人黙々と走る黒いユニフォームの選手
空には微かに弧を描く飛行機雲が次々現れてくれる
これらすべてが音楽のように思えてきた



大統領選関連

候補者全員が揃った最近の討論会を以下に張り付けておいた









春の息吹を感じながら歩く



本日は現代と中世を往復
途中、春の息吹をたっぷり味わいながらかなり歩く
不思議と体を動かしたくなる春である
こんなことはこれまでなかったのではないだろうか
ただ、今日のプロジェの進み具合はいま一つ




大統領選関連

しばらくご無沙汰していた選挙情報に当たってみた
大勢に変化はなさそうだが、左翼のメランションが上昇してフィヨンに迫っている
最近の討論会でも一番印象がよかったようである
アモンは脱落している
ハリスの調査結果は以下のようになっている

マクロン 25%
ル・ペン 24%
フィヨン 18%
メランション 17%
アモン 9%






アパルトマンに戻ると、いつものネコさんが窓まで寄ってきて挨拶
毎日のお客さんになっている





2017年4月6日木曜日

クロード・アジェージュさん、宗教を語る




昨日取り上げたル・ポワンに、懐かしのクロード・アジェージュさんのインタビューが出ていた
1936年1月1日、チュニジアのお生まれなので、御年81
フランスに来る前にはこの数字はかなり大きなものに見えたが、最近ではごく身近に感じられる
コレージュ・ド・フランスの名誉教授で、ポリグロットの言語学者
5年ほど前に、ご専門である言語に関する本を取り上げたことがあった

モンディアリザシオンによる思考様式の単一化、あるいは第二外国語の重要性 (2012-2-2)

最近、専門外と見做される宗教に関する本を出したようである

Claude Hagège, Les Religions, la Parole et la Violence (Odile Jacob, 29 mars 2017)

人はなぜ宗教を必要とするのだろうか?

イジュティハード (ijitihad)という言葉がある
その意味は「知的努力」であり、「理性的な探究」でさえある
これはイスラム原理主義のスローガンになっているように見えるジハード(djihad)と同根である
どこでねじれが生じたのだろうか?

インタビューでアジェージュ氏が語っている要旨は、以下の通り

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宗教は元々話し言葉であった
わたしは言語学者として二つの問いに答えたかった
一つは、人はなぜ世界を説明する話を作り上げようとするのか?
自然現象を観察し、解析することで満足できるのに、である
二つ目は、超越的なものに対する抗しがたい欲求をどう説明するのか?

宗教と言葉と暴力の間には関係はない
暴力は言葉の近くにはあるが、本質的に同じものではない
そうではあるが、暴力は言葉によって伝えられる
宗教は存在論的に暴力的なものではない
ただ、宗教は戦争そのものの要因ではないが、戦争を拡大させることはある
また、伝道(勧誘)は宗教間の競争をもたらすので、問題になることがある

宗教は理性的になることができるか?
それは難しいだろう
なぜなら、老病死という不可避なものを避けようとするのは本能の産物だからである

オーギュスト・コントの実証主義を高く評価している
それは理性的な宗教と言えるだろう
ただ、そこに信仰はない
彼は実証主義に基づく宗教を確立して人間の状況を改善しようとした
それが理性的過ぎたために発展できなかった
想像性とか感受性について十分には語らなかった
それがないところでは、カトリックの力には太刀打ちできなかった

現代の科学は過剰を求めている
老化を避けて寿命を延ばそうとする
わたしは、仏教のように、人間の状況の不確実さ、人間の苦悩と闘うプロジェが気に入っている
紀元前4・5世紀に科学の知があれば、ブッダはそれを使っただろう
それは人々の生活を楽にすることもあるからである
しかし、その知がなかったので、特に瞑想を介した内的な努めに拘った

われわれの恐れを避ける唯一の解決法は、宇宙の法則の粘り強い探究である
それは理性と人間精神の尊重を介して行う
宗教を生み出した精神は、熟達した科学、創造性、発明の才のおかげでより良い人間を生み出す
精神の尊重こそ、この本で伝えたかったことである

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彼の主張にはわたしのものとも重なるところがあることが分かった
読んでみてもよいのではないか、という気持ちも出てきた

以下にモンディアリザシオンと言語に関するお話を貼り付けておいた









2017年4月5日水曜日

トゥールの町について



今週のル・ポワンの表紙には、この町の文字が見えた
中心街のナショナル通りを背景に、今回初めて知ったセルジュ・ババリー市長が写っている
トゥールの20ページの特集である
住んではいるけれども、どのようなことが進んでいるのかは分からなかった
この記事で「いま・ここ」だけではなく、未来に繋がる計画を知ることになった
以下に少しだけ紹介したい

冒頭に大学病院を巻き込んだ病院の再編成が行われようとしているとの記事がある
経費削減、人員削減があり、反対が起こっているようだ

トラムは現在のところ南北に走る路線一本だけだが、もう一本作る計画があるという
町を横断するように二つの病院を結ぶ路線で、完成は6-7年後の予定
これができると便利になるが、その時はどうなっているのか想像もできない

ユネスコの世界遺産に登録されているロワール川
過去に氾濫しているので、地元では危険な川という印象があるらしい
その辺りの対策と景観を新たに作り直す計画のコンクール(コンペ)を今月発表
年内にはその結果が明らかになる
ロワールに関連して、自転車に乗った観光(La Loire à Vélo)をさらに推進したいようである
また、新しい美術館(CCC OD)や研究者の歓迎会があったヴィラ・ラブレーも取り上げられていた

今回の発見はトゥールからポルトコルシカマラケシュ、ロンドンなどへの直行便があるということ
今年の10月からはポルトガル領のマディラ諸島便が始まる予定だ
飛行場はトゥール・ヴァル・ド・ロワール空港という
問題もあるようだが、面白い選択肢が見えてきた

市長のインタビューも出ていた
ご自身を中継ぎの市長と考えているようなので、2014年からの一期で辞めるということなのだろう
観光の振興を目的として、日本、中国、アメリカとの関係を再構築しているとの言葉もあった





2017年4月3日月曜日

新しいリブレリー、再び

     Librairie "Le Livre"


今日は素晴らしい夜明けであった
一点の曇りもない快晴
地平に近い方が微かに朝焼けに染まり、上には薄青の空が広がっていた

午前中に一仕事してから久し振りの旧市街へ
今日はマスターとアルバイトの学生さんが休憩を取っている
春で気分が浮き浮きしていたせいか、「軽い感じで」話しかける
日本でこの軽い感じになることはまずない

途中、「もう春ですね」などと言ったのだが、「プランタン」にある二つの鼻音のためか通じない
こちらに来てから恥ずかしくて鼻音というものを出したことがないので、当然と言えば当然だろう
四・五回繰り返すと、それだ!というのが一回あった
道はかなり遠そうである


カフェでの時間の後、先日発見したリブレリーに寄る

新しいリブレリー発見 (2017-2-22)

名前は何の衒いもない、そのものずばりの「本」
人も少なく、室内もフランス風で悪くない
会計の時、ご主人と思われる方と哲学についての話になった
テーマを振り返れば、真理は科学だけのものか?というようなところだろうか
こういう話がごく普通のセッティングでできるのは、日常からの離脱になる
生活のアクセントにもなるだろう
ひょっとすると、彼らにとっては日常の中にあることかもしれない
そういう空間がいろいろなところに散らばっていそうである









今年一番の賑わい



本日もこのところ日課になっているプロジェに静かに当たる
午後から向かいのグラウンドから今年一番の歓声が聞えた
小さなスタンドだが、ほぼ満席
動植物はすでに活動を開始している
人間も活動する季節に入ってきたようだ
こちらはその声が消えるまでゆっくりすることにした
いつも冬眠状態であることを願っているかのようだ






2017年4月1日土曜日

サイファイ研ISHEの活動と日本の趨勢



もう4月に入った
一日は長く、いろいろなものが詰まっているが、こうしてみると時の流れは速いようである

今日は朝の内は曇っていたが、午後になり、にょきひょきと天に登る夏雲が現れた
その下を西から東に向かってゆっくりと流れる雲が行く
殆ど天国という眺めであった
それを眺めているうち、ぼんやりと考えていたエッセイが次第に塊を作ってきた

サイファイ研ISHEの今年前期の活動予定をサイエンスポータルに掲載していただいた
また、新たに始めることにした二つの活動は哲学カフェ・哲学対話ガイドにも紹介していただいた

科学に関するイベントが花盛りの状態であることに驚く
ただ、それは科学の成果に関するものがほとんどで、「科学とは」という視点は少ない印象がある
一方の哲学カフェもフランスなどを上回るのではないかと思わせるくらい盛りだくさんである
ひょとすると世界で最も哲学カフェが盛んな国の一つに入るのではないか
そんな考えも浮かんでくる
我々の活動もいろいろな方の目に触れ、参加にまで至る方が増えることを願いたいものである


このところ雨がないためか、サン・ジュリアン教会が白く輝いているのに目を見張る
そう思っていたところ、突然の通り雨
天はこんなつぶやきも聞いているのだろうか





無理のない一日



今日は午前中曇りで午後から青空が見えた
向かいのグラウンドは確かに手入れがされているようだ
いつも青々とした芝には心を和ませる力がある

午前中はぼんやり空を眺めながらエッセイのことなどを考えたりしていた
午後さらにぼんやりしてから夜はプロジェに当たった
甚だ心許ないが、これくらいが無理のない日課になるのだろうか

バルザシアンを目指したこともあったが、できないことは止めておいた方が良さそうである
バルザックなどは相当の負荷が体にかかったのではないだろうか