2018年10月22日月曜日

トンボも日向ぼっこ




朝の陽ざしは暖かく、この世にあることの幸せを感じさせてくれる
扉を開けると、トンボが多いことに気付く
そして壁の方に目をやると、トンボも日向ぼっこである
全く動かない
同じように気持よいのだろうと感情移入
外に出てその様子を写真に収めた

暫くすると、お隣さんの?猫も姿を現した
こちらも全く動かず、寝転がってわたしの方を見ている
快晴の今朝、至福の時間が流れた








2018年10月20日土曜日

穏やかな土曜



本日は朝から完璧な快晴
朝露を踏んで庭を歩く
先日の訪問者を見つけた
こちらを見て、全く姿勢を変えない

午前中は庭に出て無為の時間を過ごすことにした
わたしの瞑想と言ってもよいだろう
このように使うことを覚えると、遠くに出かける必要がなくなる
わたしの瞑想にとって重要なことは、自由な姿勢、外気、できれば日光に触れることだからだ

フランス語を読んで訳そうとしているが、なかなか進まない
これまで何度も触れているが、意味を理解することとそれを日本語にすることは全く別である
翻訳が厄介なところはそれで、体によろしくない
何とかその日までには間に合わせたい

午後、海の方へ
のんびり釣り糸を垂れる人
時に船の乗組員が中から顔を出す
近くの海鮮料理店は長蛇の列で入りたくても入れない
海を近くに感じることがなかったので、なぜか落ち着く
穏やかな昼下がりであった


夕方、白い虫が手の甲に止まった
これ一匹だけで周りには同類がいなかったので、最初はゴミかと思った
よく見ると綿のような胴体なので、綿虫と言われるのもよくわかる
今年初めての雪虫であった






2018年10月18日木曜日

再びの訪問者、そしてベルクソン・カフェの準備



このところ寒さが増している
早朝、庭に再びの訪問者があった
今度はお仲間を連れて
ほぼ一月ぶりのことである

今日も完璧に晴れ上がってくれた
ただ、長持ちしないかもしれない
だんだん土地の癖がわかってきた

午後から図書館に行き、昔書いたものを直しながら読み進む
時間とともに少しずつ広がり深まっている部分がある
小さな発見だが、貴重である

それから来月のベルクソン・カフェで使うテクストを調べ始める
文章の意味するところが体の中に浸み込んでくるような感覚が生まれている
他のカフェで扱ったテーマも出てきて、有機的な結びつきも見えてくる
この感覚も捨て難い






2018年10月16日火曜日

あなたのこころを開きなさい



昨日まで昔やっていたような研究論文に当たっていた
意識を狭い世界に集中して自分の考えをまとめるという作業である
そこから離れることがここ10年ほどの目的であったので、終わった今朝は開放感があった

早朝は曇っていたが、快晴になった
朝から庭に出て静かに過ごすことにした
庭の雑草に寄ってくる蝶々、トンボ、バッタ、蜂、カラスなどとともに

その時、日本でフランス語を学ぶために少しだけ通っていた学校で聞いた言葉が蘇ってきた
こころの深くに入ってきたその言葉は、フランス人の先生の発したouvrir votre espritである
問いに向き合う時に「こころを開いて考えなさい」という流れの中ではなかったかと思う

そして最近、ハイデッガーを読んでいる時、似たような話が出てきた
こころを開くとはどういうことを言うのか
それは、すべてのものに同じ価値を与えることだという

目の前に広がること、頭の中に浮かぶこと、それらを選択せずに一度受け入れてみること
その上で考えを巡らすこと、それがこころを開いて考えるということなのだろうか
フランスに渡って以来、わたしがやってきたことはこれだったのかもしれない

それはこころを落ち着かせる効果がある




2018年10月14日日曜日

第6回サイファイ・カフェSHE札幌、迫る



第6回サイファイ・カフェSHE札幌が、来週土曜に迫りました
興味をお持ちの方の参加をお待ちしております

サイト

テーマ: ハイデッガーとともに「技術」を考える
今回は、現代では科学と不可分なものとして「科学技術」などと言われることが多い「技術」について考えます。20世紀の哲学者マルティン・ハイデッガーの思索を基に、科学、そして科学の「方法」が現代社会に及ぼしている目に見えない影響、技術、そして技術により「挑発」される自然と人間、さらに科学と技術の真の関係について考える予定です。ハイデッガーの考えは『技術への問い』(関口浩訳、平凡社、2013)などで知ることができます。
 
日時: 2018年10月27日(土) 16:00~18:00

会場: 札幌カフェ 5Fスペース 
札幌市北区北8条西5丁目2-3






2018年10月12日金曜日

みすず書房訪問



丁度タイミングよく翻訳本の最初のゲラが出来たとの連絡が入り、みすず書房を訪問した
今回のコサールさんの本は前回のクリルスキーさんのものの半分位だが、科学的事実が多い
哲学的な含みがない分すっきりしているようだが、事実だけというのも辛いかもしれない
いずれにせよ、来月に入ると校正でまた忙しくなりそうである

昨日、今日と街の中を歩き回っているが、汗びっしょりになっている
まだ暑いということなのか、運動不足の太り過ぎということなのか
日中は少々不快である
環境を変える丁度良いタイミングかもしれない





2018年10月11日木曜日

日本パスツール財団を表敬訪問



今年の6月にはいろいろお世話になったこともあり、パスツール財団にご挨拶に出かけた
近々恒例のパーティを開催するとのことでお忙しいところにお邪魔することになった
代表理事の渡辺氏とお話しをして、財団運営の大変さを感じ取る

今回、財団の科学的な側面をサポートする科学者コミッティーを創設
わたしもそのメンバーの一人として参加するよう依頼された
微力ではあるが、できるだけその任に適う仕事ができればと考えている

これからの大きなテーマは、財団の社会的認知度を上げること
そのことにより、結果的に財政基盤が充実することを目指しているようだ
来年からは催し物だけではなく、日本の大学とパスツール研との連携も増したいとのこと

科学と社会との間を橋渡しするこのような活動はわたしのテーマとも重なる
さらに、日本とフランスとの間という意味でも同様である
財団のこれからの動きとともに考えていくことになるだろう





2018年10月10日水曜日

東京理科大で講義



本日は依頼のあった講義をするために東京理科大に向かった
生命倫理シリーズで、ここ数年は引き受けている
今回はわたしの哲学観を話した後、SHE札幌でも取り上げる「技術」について考えた

昨年は初回をすべて英語でやったが、日本人学生は殆ど理解できないとのことであった
そのため2-3回目はスライドは英語で、話は日本語でやることにした
寝ている学生が少なくなったのではないだろうか

今年もこの方式を採り、日本語のスライドも大幅に増やすことにした
その効果はどう表れたのだろうか
これから小テストやレポートを読むと見えてくるのではないだろうか


夜、ホストの研究室にサバティカルで来ている研究者も交えたディナーとなった
元々はイギリス人だが、アメリカの大学に20年近く勤めているという
アメリカ国籍も取ったようである

わたしの素性はすでに紹介されていたようで、哲学的生活について訊いてきた
彼にしてみれば、科学の後に仕事もしないで哲学をやるという生活は理想的に見えるようだ
彼だけではなく、科学者たるものそのような余裕の時間を欲しているようである

科学者を取り巻く現実は時とともに厳しさを増している
一つのことをフォローするだけでも大変な状態で、統合的な視点を持つことは殆ど不可能
人間は全体的な視点を持つことによって初めて、精神的安らぎを得ることができるのだろうか

そう言えば、いろいろな発信を英語でやるように強く勧められた
そうしなければ伝わらないとでもいうような勢いであった
おいおい実践を始めたいものである

久し振りにじっくり飲んで意味のある話ができた一夜となった







2018年10月7日日曜日

第4回サイファイ・フォーラムFPSSのご案内



第4回サイファイ・フォーラムFPSSの内容が以下のように決まりました

興味をお持ちの方の参加をお待ちしております


第3回サイファイ・フォーラム研究討論会
日時: 2018年11月17日(土)13:40~16:30

会場: 日仏会館5階 509会議室



当日議論する話題
(1)伊藤明子: 目的論の有用性と実在性について
(2)岩倉洋一郎: 発生工学技術の進歩と人間存在について

プログラムの詳細は、こちらを参照いただければ幸いです

よろしくお願いいたします






2018年10月4日木曜日

驚きのトレーニング



今日は快晴
朝から図書館に出かける
このところ頭を使っているプロジェに当たる
久し振りに学問的なことをやっていると緊張感が生まれる
特に評価を受けるような場合には科学者の時代を思い出す

午後、庭にテントを出してみた
パラソルとは違い、風と光を遮ることができる
ひょっとすると、屋外のオフィスにできるのではないか
そんなアイディアが浮かんだ
ただ、風は意外と厄介である


ところで今朝のこと
公園に行くとラジオ体操をやっているユニフォーム姿の7-8人のグループがあった
それが終わったので仕事に行くのかと思いきや、軍隊式の訓練?が始まり驚く
整列して番号を言い、標語を何度も発声し、列を変えてまた同じことをする
何かの不備があると「やりなおしィ―」などの大声が返ってくる
1時間ほど続いただろうか

公園の世話をしている人に訊いたところ、耳を疑う答えが返ってきた
大企業に派遣される人間の訓練ではないかという
機械の一部になるようなトレーニングであった
いやはや恐ろしい世界である

そう言えば、テレビなどを見ていてもイジメやパワハラの要素が溢れている
パワハラの報道のことではなく、お笑いなどの普通の番組でのことである
それを容認するような、受け入れなければならないような心理にさせる効果はないだろうか
無意識のうちに
天井に何かが被さっていて、抑えられているような感じがする
突き抜けていないのである
晴れやかなところがないのである





2018年10月2日火曜日

台風一過の朝




もう10月に入った

9月は新しい環境の中に入ろうとする準備・調整の期間だったのか

今月は実りの月にしたいものである


台風24号の上陸はなく、大きな影響はなかったが、余震があった

台風一過の晴れた朝、これまでに見たこともないような数のトンボが庭に現れ、驚く

二匹のトンボがタンデムに飛んでいる

そして、尻尾の先端をできたばかりの水たまりに何度も軽く叩く仕草も

その昔に見たことがあるこの景色、なぜか懐かしい






2018年10月1日月曜日

本庶佑先生のノーベル賞受賞を寿ぐ

(左から)松田文彦、本庶 佑、フィリップ・クリルスキー、湊 長博の諸先生
(2018年6月22日@東京)



外出から帰りテレビをつけると本庶先生の顔が大写しになっており、事情をすぐに理解した
アメリカのジム・アリソンさんとのノーベル賞共同受賞であった
残念ながら最後の一瞬だったが、これからいろいろな形で目に入るだろう
以前にこの研究でアリソンさんだけがラスカー賞を受賞していたので心配していた

これまでの経過を見ると、その評価が周りの人より一歩遅れているという印象を持っていた
それがここ数年の研究の進展で逆転したように見える
どこでどう動くのか分からないのが研究だろう
あるいは、人生だろうか
わたしの研究生活においても重要なポイントに先生がおられた
有難いことであった

全てを振り返りながら、心からお祝いを申し上げたい






2018年9月29日土曜日

荒れた庭に愛着が



庭に出て椅子に腰を下ろすと、伸び放題の植物と目線が同じ高さになる
暫くすると、先日、草を少し刈ったせいもあるのだろうか
親しみを感じるだけではなく、荒れた庭が美しいものに見えてきた
色々な動物が生活しているだけではなく、どこからともなく集まってくる
それらを眺めているだけでも飽きない

このまま放っておくと、一体どうなるのだろうか
行く先を見てみたい思いに駆られた
一瞬、熊谷守一の庭が頭に浮かんだからだろうか
これが草刈りをさぼるための言い訳ではないことだけは確かだ


午後から郊外に出て30-40分サイクリングを楽しむ
初回としてはこんなものだろう
体力的には大丈夫そうだが、体が硬くなっているのでバランスが問題になるだろう
今は慣れるのを待つしかなさそうだ





2018年9月28日金曜日

日本人あるいは日本文化に関する番組を観る



日本ではテレビがあるので気分に任せて流している
前回、旅の番組が多いことを書いたが、日本に関するものも少ないことに気付く
古くからの生活をしている日本人や日本の文化、日本の職人の技などを紹介する番組である
これも一大ジャンルになっているのではないだろうか

これらの番組を観ていて改めて見えてくることがあった
よく言われることだが、現代においても自然の中に自らの身を置きながら生活していること
自然に逆らおうなどという気持ちの欠片も見られない
自然に従順な姿だが、自然に限らず外界の出来事に対しての姿でもあるように見える
そして抽象的な概念を用いて語るのではなく、身近の言葉で実に細かなことを語っている
職人の仕事などもまさにこの流れの中にあるのだろう
そのためだろうか、出来上がってくる作品の完成度の高さには目を見張るものがある

西欧の思想に基づいて語っているように見える場合でも、付け焼刃的なところが拭えない
日常がそのように動いていないからだろう
それと関連しているのかどうかわからないが、問題の核心に迫るような議論が極めて少ない
議論がいつもぼんやりしている
現実の捉え方が甘い、あるいは現実をしっかり捉えようという意思が弱いからだろうか 


その昔、アメリカに滞在していた時のこと
アメリカに亡命したソルジェニーツィンがテレビに出てきたことがある
それは一大イベントで、わたしも興味津々で観た記憶がある
そこで彼が話した内容は、痛烈なアメリカ文化批判だった
後に彼の批判に対する批判のようなものが出された
それは、彼の批判の根拠はテレビの情報だけではなかったのかというものだった

わたしの感想もすべてテレビを観てのものなので現実世界でどうなのかは分からない
しかし、過去の蓄積もあるので、それほど外れていないのではないかと思っている






2018年9月25日火曜日

異空間が繋がる



この連休、庭に出て瞑想する時間があった
バッタが膝に上がってきたが、全く動かない
よほど気持ちが落ち着くのだろうか
そう思って暫くすると、尻尾から表面が光っている細長い塊がゆっくり顔を出した
バッタの排便を初めて見た瞬間であった

黄色い蝶々もトンボもまだ飛んでいる
日の光を含んだススキの穂の何と柔らかい色であることか
ぼんやり空を眺めていると、遠くから風に乗って高校野球の試合の案内が聞こえてきた
その時、トゥールのアパルトマン前のラグビー場の案内と重なる
長閑な昼下がりという形容がピッタリの時間であった


街に出ると、これまで気付かなかった珈琲店が目に入る
入ることにして近づいた時、アメリカかカナダの郊外のコーヒーショップと錯覚する
あり得ないと思っていた場所で異空間が繋がった
 
目に見えるはずのない世界がそこに現れてくる
世界が急に豊かになったように感じた





2018年9月22日土曜日

友人の通夜



昨日、同期生が亡くなったとの連絡が入る
専門が同じだったので、日本にいる時にはお世話になった
今回、数年前から病に侵されていたことを知る

今日、通夜があり出席した
フランスにいれば遠い世界の出来事だが、日本に戻ると身近な問題になる
このような会では予想されることだが、思いもかけない人との再会があった
お話しできたのは、懐かしい方数名を含めて7-8名だっただろうか

こういう何気ない接触が大切なものに思えてきた一夜であった





2018年9月21日金曜日

思いがけないお誘い



昨夜、外国の方からメールが入った
アメリカ在住の科学者だが、理論的な(哲学的な)研究をされているようである
今度パリに行くので、その時にでも話をしたいがどうだろうかという問い合わせであった
仕事の方向性が似ているので、実現すれば興味深いランデブーになりそうな予感がする
ということで、今朝は関連の論文を読んでいた

午後からは庭に出てぼんやりと読む
日に当たるだけで体は疲れるようだが、頭にとっては悪くなさそうである






2018年9月19日水曜日

外に居る者



今朝、荒れた庭を見ているうちに、また草刈りをやりたくなった
30分ほど汗を流す
前回ほど腰には来なかった

暫くすると、その庭に出て落ち着いてみたくなった
物置に行くとその昔使った机と椅子が蜘蛛の巣の中に見つかり、それを出して腰を掛ける
なかなか気持ちがよいものである
こんなことをやろうなどと、これまでは考えたことがなかった

35年ほど前の谷川徹三と福田定良の対談に耳を傾ける
テーマは東洋と西洋のちがいについて
議論にはやや粗いところがあるように感じたが、素人にとってのイントロにはなるだろう
お昼前に風が強くなるまで、のんびりと過ごす

やはり外はよい
これ、隠者の生活か
少なくとも「外に居る者」という点では重なるところがあると言えるだろうか?




2018年9月18日火曜日

旅番組で繋がる



朝、海辺へ足を延ばす
ここは省察の場所になることを確認
久し振りにシガーをやってみようかという考えが浮かぶ

帰ってテレビをつけると、マイアミの海岸で仕事をやっている人が出てくる
リトル・キューバでは葉巻屋が出てくる
何という繋がり方だろうか

その後の番組ではベトナムが出ていて、アレクサンドル・イェルサンという言葉が聞こえる
天上の楽園の構想が取り上げられていた
もう5年前になるが、この人物についてエッセイを書いたことがある
大学で調べ物をする予定があったので、途中までしか観ることができなかった

いろいろと繋がってくれると、それだけで嬉しくなる
その後も滑らかに事が進んだ
繋がってくれたと言い換えてもよいだろう

上の例でも分かるように、テレビの番組の一大ジャンルとして「旅」があるようだ
散歩、ランニング、自転車での移動、バス・鉄道・船の旅といった具合だ
国内もあるが、ヨーロッパが意外に多い印象がある
今日、ギリシャが出ていたが、一度訪れてみたい、そんな気にさせてくれるところだった





2018年9月17日月曜日

自然の中で過去人の声を聴く



今朝の3時ころ、また揺れを感じて目が覚めた
震度3という
調べると、これまでにかなりの余震があったことが分かる


本日も朝から、これからの日課になりそうな川の辺りに出かけた
自然の中で読むと、どうしてこうもよく入ってくるのだろうか
それはこういうことではないのか

自然の中にいるとその中に溶け込み、自分が消える感覚がしばしば襲う
自己を縛っているものがなくなった空間は限りなく広い
余分なものがなくなったその空間では、過去人の声がよく響くのである

家に戻ってから、庭の手入れをしてみようかという気になる
こんなこと、かつてなかったことである
合わせて1時間ほど、腰の痛みともだるさとも言えない違和感を感じながら汗を流す

フランスで失われた体を取り戻す作業の最中なのかもしれない