2019年1月16日水曜日

新しい展開



今朝シャッターを開けると、霜が降りていた
その寒い中を子供たちは颯爽と走っている
元気である
お昼前には春を思わせる長閑な日和に変っていた

わたしの方は、今週月曜に予定通り再校ゲラが届いたので、その見直しに当たっている
今週中には終えたいものだが、どうなるか
それが終われば、編集者の校正ゲラの到着を待って擦り合わせをすることになる


新年早々、他にもやらなければならないことが出てきた
一つは、来月エコール・ノルマルで話をするように頼まれたこと
その準備をしなければならない

もう一つは、年末に受理された論文について雑誌から連絡が入ったこと(論文はこちらから)
この論文についてのコメントを誌上に載せる予定とのことで、その内容が添付されていた
その上で、このコメントに対するコメントがあればそれも掲載したいので送ってほしいという

このような形でデバ(議論)が始まり考えが深まるとすれば、それは望ましいことである
ということで、自分の考えを紡ぎ出しているところである
この過程は苦しいながらも報いの多い営みである
全くの後付けだが、これを体得することがフランス滞在の目的であったかのようでもある






2019年1月13日日曜日

瞬間を存分に味わっているためなのか



昨日トゥールに着いた時、久しぶりに戻ってきたと感じた
パリにかなり長い間滞在していたという感覚である
そして、「昨日戻った」ということもかなり前のように感じられる
これはどういうことなのだろうか

年末に一日がとてつもなく長く感じられると書いたが、そのせいなのだろうか
セネカではないが、これだけ長いといろいろと素晴らしいことができそうである
しかし、そうはいかないのが現実だ
この感覚はどれだけ続くのだろうか
それは悪い感覚では全くないので興味が湧いている


ところで、両足の筋肉痛が著しい
パリのホテルがエレベータなしの7階だったからだろう
それにしても、何とも思わずにあの狭い階段を往復したことが信じられない
この手のことは全く気ならなくなっているのだ

それは、何かをやる時「いま・ここ」にしか意識が集中していないからだろうか
7階ということが意識から消えているのである
長い間の瞑想により、この認識と感情のコントロールができるようになったのではないか
ほぼ間違いなくそうだとは思っているのだが、、





2019年1月12日土曜日

The Day After



開催が危ぶまれたパリカフェも無事に終わり、霧に包まれたトゥールに戻った
驚いたことに、不思議な満足感がある
より正確には、これまで頭を縛っていたものからの解放感かもしれない
これで再びプロジェに戻ることができそうである
ただ、来週には再校ゲラが届くことになっている
当分の間、二つを並行して進めることになりそうである





2019年1月11日金曜日

第2回パリカフェ、無事に終わる



今日、第2回のパリカフェを開催した
第2回は昨年予定されていたが、会場の都合で直前にキャンセルになった
実は今回も非常に危なかった
トゥールからパリに向かおうとしたその時、駅が封鎖されたのである
不審物が見つかったので外に出るように言われた後、駅のシャッターが文字通り閉じられた

それからしばらく様子を見ていたが開きそうにないので、駅員に聞いてみた
そうすると、一駅先までバスで行き、そこでパリ行のTGVに乗るようにとのこと
バスも駅も混雑していたので、そこで今回も開催が危ういかという思いが過った
しかし、幸いにも何とか間に合う便があり、開催に至ったという経過であった
そのため、最後の詰めをやる時間がなくなり、どうなるかと思ったが予想外の展開となった

今回は直前で都合が悪くなられた方がおられたが、写真の皆様に参加をいただいた
パスツール研で仕事をされていた免疫学者のマルク・ダエロン博士にも参加をお願いした
彼はいろいろと準備をしてくれており、その成果を折に触れて発表していた
参加依頼をされた責任を感じていたからではないかとあとで思った
お陰様で非常に助かったと同時に、全く違う視点から議論が展開し、大いに参考になった

特に拘っていたのは、言葉の定義である
ある言葉が指していることは明確だと言えるのか、存在するものなのかという疑問である
今回のテーマのコグニションとは何を言うのかということも同様である
ただ、定義の問題に入ると収拾がつかなくなることが多い
特に汎用性の高い言葉は、使われる分野によっても意味が変わってくるからである
議論の詳細は近いうちに専用サイトにまとめる予定である


お忙しい中、週末の夜に時間を割いていただいた皆様にあたらめて感謝いたします
また、これからの開催は不定期になると予想されます
もし開催されることがありましたら、ご参加いただければ幸いです
今後ともよろしくお願いいたします










2019年1月6日日曜日

ジレ・ジョーヌに関するヴァレリー・ペクレスさんの観察




メールのサイトにあったニュース記事に目が言った
ヴァレリー・ペクレスさんのジレ・ジョーヌについてのコメントがあったからである
彼女は現在イル・ド・フランス地域圏知事をしている
フランソワ・フィヨン内閣の高等教育・研究大臣をしていた時、彼女の話を聞いたことがある
その時に好印象を持ったこともあったのだろう

  オペロン・シンポ2日目: やはり最後は哲学、文化に行き着くのか (2011.5.11)

彼女はこんな見方をしている

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この運動は中央集権的なやり方を大幅に改めなければ、収まらないだろう
国(マクロン)は手綱を緩めて、最終的には地方を信頼することである
税金を下げ、国民の間の分断を鎮め、まとまりを作るには、地方の信頼しかない
マクロンはテクノストラクチャーと手を切り、地方分権の大運動を始めなければならない
彼の権力の一部を、選ばれた議員に委任するのである
彼らの方がフランス国民に近く、仕事も上手くできるからである

ジレ・ジョーヌの暴力を容認するものではないが、この運動は終わらないだろう
それはマクロン(あるいは権力というもの)の欺瞞が火に油を注いでいるからだ
お金を配るのは一時的なものでしかなく、税金が低いままでよい状態を作らなければならない
それを国民に提示して協約を結ぶことである

現状を改革するためには、マクロンは方法を徹底して見直さなければならない
そして何よりも誠実であることだ
エコロジーのために税金を上げるなどという嘘は言わないこと
公正であることだ

彼らが求めていることは、生きる上での最低限のものである
住まいや安全や護られているという感覚、そして正義に適った規則に関わるものである
これらを解決するための政策を求めているのである

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黄色いベスト運動については(も)全くフォローしていない
しかし、この運動の姿が少しだけ見えてきたようにも感じている
国がテクノストラクチャーと一体になっているのは現代の特徴なのだろう
この問題の解決にも、科学を踏まえた上での哲学が必要になりそうである

ところで、7年前の記事を読み返してみたが、今日の結論とも重なる興味深いものであった





2019年1月3日木曜日

新年の街に出る



二三のプロジェを終え、少しすっきりしたのだろう
街に出る気分になった
最初のカフェは満員だったので次のカフェに向かうと、三週間のリノベーションだという
三件目でやっと落ち着くことができた
気に入っている市庁舎前の広場に面したカフェである

昨年まで、次の日にどのように動くのかをぼんやりと考えていた
しかし、その通りに進んだことは殆どない
朝起きると気分が変わっているのである
それを敢えてやろうとすると、変なストレスがかかる

今年が明けてやっと、それは無駄なことだと気付いた
朝起きると生まれ変っているのだから致し方ない
ということで、今年はその日の気分に任せて動くことにした
これが精神衛生にも良さそうである






2019年1月2日水曜日

2019年、新しい気持ちで



新しい年がまた明けた
年末から一つのプロジェに当たっていたが、年を越すあたりからさらに二三加わった
そちらは幸い無事に終えることができ、ほっとしている
また一つのプロジェに向き合うことができる
ただ、来週金曜にはパリでカフェを予定しているので、その準備もやらなければならない
なかなか純粋に一つだけという訳には行きそうもない

年の瀬から感じている変化として、これまでにない精神の落ち着きがある
これはことを進める上で欠かせない状態である
思い返せば、院生時代にその状態を目指したが、最後の段階でもそこには至らなかった
いまでは、なぜあのように好奇の心で飛び回ることができたのか理解できない
あれから2年を経て、やっと落ち着いて何かをやるという精神状態になってきたようである

昨年のいま頃は、これからのライフスタイルをどうするのか考えていた
いまでは想像もできないようなオプションも出てきて、揺れている状態であった
そして日仏を往復する中、夏に入る前にはやっと一つの道が固まってきた
いつも過ぎ去ってしまうと以前からこの状態にあったと思いがちである
しかし、実は少し前まで全く別の状況に置かれていたのである

今年はそういう揺れを感じることはあるのだろうか





2018年12月30日日曜日

年の瀬に、自由とは



今年も残り一日となった
このところ、曇天、霧、雨の毎日である
その中で、最後の二週間を純に使うことができたのは幸いであった

この間、一日がとてつもなく長いことに驚きながら過ごしていた
時の流れがあるとすれば、そのすべてをがっちり掴んでいるという感覚
時間を止めているような感覚と言ってもよいだろうか
これを自由と言うのだろう
そのためかどうかはわからないが、いくつか纏まりを作ることができた
最後の一日にも期待したい

新しい年もこの感覚を持ちながら歩みたい、というのがいまの心境だろうか
そして、想像もしなかったような出来事が起こることも密かに期待したいものである





2018年12月27日木曜日

今年を振り返る



今日は寒い
久し振りの景色である

年の瀬を迎え、来し方を振り返る心境になっている
2007年秋にフランスに渡ってから数えると11年が経過し、12年目に入っている
10年やればプロですよ、という誰かの言葉が頭に残っていたからだろうか
10年間くらいは目的を決めずに歩む修行時代だとぼんやり考えていた
これからはその時代の蓄積を解きほぐす時間ではないかという思いが湧いている

今年に絞って振り返れば、免疫に関する初めての訳書を刊行することができた
訳書について言えば、微生物学に関するものを来年3月に刊行するための準備が進んでいる
それから、論文を書くということを久しぶりにやってみた
免疫と認識に関する仮説を思いつき、専門家の意見を聞いてみたいと思ったからである
それを受理してもよいという雑誌があったのは幸いであった

これまで論文を書こうなどという考えは全く浮かばなかった
その理由は専門の枠(決まりごと)の中に入ることに抵抗があったからではないかと思う
ここに来て、その抵抗感がなくなったということだろうか
また今回、自分の考えを問うという作業が自分の考えを磨くことにも繋がることを知った

このような流れを見ると、いま、大きな転換期を迎えているような感触がある
今年はその始まりの年だったと振り返る時が来るような予感がする






2018年12月25日火曜日

平穏なクリスマス、渡辺氏のレジオン・ドヌール勲章受賞を寿ぐ



クリスマスの一日
申し分のない快晴で、ときに飛行機雲が現れる
朝からアメリカのクリスマス・ソングを流しながらゆっくりと紫煙を燻らす
いくつかアイディアが浮かんできた
ボストンでの最初の年の雪の中でのクリスマスも蘇ってきた
これ以上ない時間となった

ところで、本日久しぶりに日本パスツール財団のフェースブックを訪問
代表理事の渡辺氏が12月17日にレジオン・ドヌール勲章を受賞されていたことを知る
長年の功労がフランス政府から認められたことを共に寿ぎたい
これからもお元気で日仏のために活躍されることを願いたい
また、来年もご指導いただければ幸いである






2018年12月23日日曜日

2019年のISHEプロジェクトを決める



もう少しで新しい年を迎えることになる
その前に来年のプロジェクトを組み立ててみた
継続されるものが多いので、目新しいことに手を出す余裕はなさそうである
ISHEプロジェクト2019

来年も当研究所の活動にご理解をいただければ幸いです
よろしくお願いいたします




2018年12月17日月曜日

内発的な籠りへ



今年も残り2週間となった
幸いこの時間を純粋に一つのことに使えそうである
ということで、再び籠ることになる
最近の籠りとの違いは、それが内発的なものだということだろうか
どのような展開になるのかは、いつものように分からない
しかしその結果は、これから先を占う上で参考になりそうである






2018年12月16日日曜日

今年のISHEプロジェクトを振り返る



年の瀬を迎え、今年のサイファイ研ISHEの活動を振り返る時期が来た
当初の計画に照らしながら振り返ってみた
ISHEプロジェクト2018を振り返る

サイファイ研究所ISHEの多くのプロジェクトは皆様の協力があって成り立っております
今年、ISHEの催し物に参加いただいた皆様に改めて感謝いたします
来年も当研究所の活動にご理解をいただければ幸いです





2018年12月15日土曜日

ジレ・ジョーヌのフランス



今日のトゥールは終日の雨
時に雨音を、時にクリスマスソングを聴きながら、静かに過ごす

ところで、フランスではGilets Jaunesのデモが盛んになっているようである
最初はいつものように大使館からの連絡で知った
日本では大々的に報道されているのだろうか
心配するメールが届いていたのでそう想像していた

先週末に街に出た時には、雨にもかかわらず大勢の黄色いベストの人が道や広場に溢れていた
そのためか、普段開いている広場に面した店も閉まっているところがあった
今週末はさらに大きくなるとの話もある
昨日パリから戻ってきた時も町の中心部は人が溢れ、トラムは通れなくなっていた

届いたばかりのル・ポワンでは、この問題を歴史的に検討する記事が特集されている
革命の国フランスである
これからどのような展開を見せるのか、目が離せない






2018年12月14日金曜日

全体をイメージした後の「いまここ」



先週バッグを忘れたのでカフェに寄って確かめる
ちゃんと取っておいてくれたのでホッとした

ところで、先週のパリでも感じた変化がある
これまでは特に計画せずに行き当たりばったりに街中を移動していた
予め決められたところを行くことに抵抗があったからかもしれない

それが今回は、その日の移動の全体を頭に入れて動いているようなのである
全体をがっちり掴んだ上での「いまここ」なので、精神的な安定感が全く違う感じがする
これは効率と関係あるのだろうか

おそらく、最初に効率化という考えがあってのことではないだろう
なぜなら、それは最も嫌うものだからだ
そうではなく、全体を掴むというところに意味を認めた結果ではないだろうか

これは街中の移動だけではなく、他のことにも当て嵌まりそうである
特にプロジェに当たる時などには、意識して当て嵌めた方がよいのではないか
そんな考えが浮かんだ非常に寒い早朝のパリのカフェである


上の写真は昨夜ENSで見つけたものだが、サイファイ研ISHEのロゴと繋がっている
今日の発見も知恵に繋がるものであることを願うばかりだ





2018年12月13日木曜日

パリで恩師の追悼の会を聴く



今日は午後からパリに出た
マスターの時の指導教官だったジョン・ガイヨン教授へのオマージュの会があったからだ
今回は、これまでに関係があった人を招いてのターブル・ロンド
それぞれの思い出やガイヨン教授の研究スタイルなどについて議論された

上の写真の左から2番目は、科学史家のミシェル・モランジュ教授(ENS)
モランジュ氏によるガイヨン評は以下のようなものだった
真面目で仕事に時間をかける人で、文章は学問的でやや単調なところがあった
科学者が語った後に最終的な一言を言う哲学者ではなく、対等な対話を大事にしたとのこと
それから世界的な共同研究のネットワークの中で若手を育てたことを評価する人もいた
大学人、教育者としてのガイヨン氏だが、この点は同感である

左から3番目は、ジャン・ピエール・シャンジュー教授(コレージュ・ド・フランス)
ガイヨン氏とはいろいろ議論したようである
しかし、聞き間違いでなければ、神経系の話には興味を示さなかったようである
シャンジュー氏が説得できなかったという言い方もしていた
他にも大きな問題を抱えていたので余裕がなかったのではないかと指摘する人もいた


アンナ・ソト教授とカルロス・ソネンシャイン教授(米国タフツ大学)


ところで、今回の会のことはソネンシャイン教授からのメールで知ることになった
実は以前にここで取り上げたことがある方である
思いがけないお誘い(2018年9月21日)
そのお誘いが今日実現したことになる

お話を伺うと、アルゼンチン出身でお二人とも最初は医者をやっていたが研究者の道へ
がんがご専門のようだが、次第に哲学にも興味を持つようになったという
その道がわたしと重なるので、是非話をしたかったようである
そして、わたしにとっても実に興味深いお話を伺うことができた

こういう出会いが人生さ、と言うカルロスさん
久しぶりに痛快さを味わった
何もなければ、近い将来に再びパリでお会いすることになりそうである




2018年12月12日水曜日

初校ゲラの擦り合わせ、終わる



編集者が手を加えた初校ゲラとの擦り合わせがやっと終わり、日本に送ることができた
かなり難しいと思っていたので、予定通り終わったのは奇跡に近い
これで滞っていたところに戻ることができる
そこでも今回のような集中ができれば素晴らしいのだが、そうは問屋が卸さない
のが、これまでだ
残り僅かの年内にひと塊くらいは作っておきたいところだが、、







2018年12月6日木曜日

トゥールに戻り、再び籠る



今日は二日間に亘るシンポジウムをゆっくり振り返りながらトゥールに戻ってきた
パリのメトロには、ロワール川沿いのお城でクリスマスを、という宣伝が並んでいた
トライしてみるのも面白いのではないだろうか
今回同様、予期せぬ発見が待ち受けているかもしれない
そんなことを考えていたせいか、荷物をカフェに忘れてきた

ところで、まだ今年は終わっていない
取り敢えず、当面のお仕事に向き合わなければならない
ここ数日が山というところだろうか
どのような展開になるのか目が離せない
再び籠ることになる





2018年12月5日水曜日

シンポジウム「医学における人間」終わる



今日はシンポジウム二日目で、朝から出かける
昨日もそうだったが、メトロの人の流れが速い
東京ほどではないが、それでも普段とは違う緊張感が溢れている

会は昨日参加できなかったディドロ大学学長のメッセージの代読で始まった
朝のセッションではやや哲学的な分析が発表されていた
ケアの新しい概念やEBMに代わる価値に基づく医療(VBM)についての考察である
そこで問題になるのは知識対価値の対立で、現代のあらゆる領域に表れている
突き詰めれば、それは人間の在り方に関わるものである

遺伝子解析の進歩に伴う問題を、あるシンポジウムのまとめという形で報告している人もいた
それから医学教育のパラダイムを変換する必要があるという発表もあった
知識や技術偏重から思考や倫理重視への変換である
そこで重要になるのが人文科学という訳だが、教育の中で具体化することは難しいようだ
この点は4年ほど前に同様の会に出た時にも問題になっていた
そんなに簡単なものではないのだろう

今回の発表は殆どが一つの研究を二人で交互に読み上げるという形を採っていた
このプロジェクトは「学際」をキーワードにしているので、自然の流れなのかもしれない
他にも興味深い発表があったが、今日は時間切れになった
会の様子は別の場所で纏めるのがよいのかもしれない

明日、トゥールに戻る







2018年12月4日火曜日

シンポジウム「医学における人間」を聴く



今日は朝からディドロ大学に出かけた
ビュフォン講堂で開かれた「医学における人間」と題されたシンポジウムを聴くために
医療現場ではどのようなことが問題になっているのか、何を問題にしているのか
そういう疑問があったからだろう
午前中の話から少しだけ

今回のタイトルは、現在進行中の共同プロジェクトの名前でもあるようだ
医療に関わる人たちの学際的で国際的な研究と実践がテーマのようである
18世紀辺りまでは患者が個人であることが隠されていた
今日では医療の個別化が進み、主体化も問題になり、新しいケアの概念が求められている

特に問題になっていたのは、病気の慢性化にどう向き合うのかである
例えば、小児白血病のような場合、子供から大人になるまでをカバーすることがある
その移行にどのように対処するのか
人生を病気と共に生きなければならない人がいる
病気と共にある人生のよい形とは何を言うのか

移植患者は、移植を外科的で形而上学的な冒険だと捉えているという
前と後があるのだ
それが人間の再生につながることもあるが、負い目の感情が生まれることもあるという
創造的であると同時にトラウマになることがあるということだろう
慢性疾患患者の場合には、明確な前と後がないようにも見える
このような問題を扱う医学人文科学のようなものの必要性も問題にしているようであった

議論になると、現場の経験から生まれた問題がテーマになるので細かい話になる
そのような場を具体的にイメージできないわたしのような者は付いていけない
もう少し哲学的な考察に重点を置いた発表があってもよかったように思う
ただ、プロジェクトのための予算獲得が背景にあるようなので難しいのだろうか
明日も参考のために出てみることにしたい

久し振りのメトロの駅も大学界隈も懐かしいものに感じられた
しかし暫くすると、以前からここにいるような気になってくる
この感覚は不思議だが、悪いものではない