会議で京都を訪れた機会に法然院のお墓にお参りした時のものだという
わたしと九鬼との間にどんな繋がりがあるのか
これまで軽く触れたことはあるが、はっきり書いたことはなかったように思う
実は、拙著のタイトルは九鬼の『巴里心景』を生かしたものであった
カタカナで現代に生き返ったことになる
九鬼と特に強い結び付きを感じたことはないのだが、以前のブログに、雰囲気が九鬼に似ているというようなコメントが届いたことはあった
意表をつかれたタイトルであり、「心景」という言葉に詩的なイメージが広がり、これで行くことになったという次第である
昨日、『巴里心景』の方を読み直してみた
「秋の一日」という詩の中の次の一節に、前回読んだ時の印が残っていた
形而上學のない哲學は寂しい、
人間の存在や死を問題にする形而上學が欲しい。
その嗜好(志向)には同意するところ大である
それにしてもこの湿気はどんなものだろうか
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