昨日も用事があり、外に出た
先日とは打って変わって快晴で風がなかったので比較的快適であった
用事を済ませたあと時間があったので、久し振りに書店に寄ってみた
見かけない雑誌『未来哲学』があったので手に取った
そこに先日取り上げた理性と闘争本能との対比に関連する山内志朗氏のエッセイがあった
この問題を霊魂論との関連で見直してはどうか、というのである
古代ギリシアの霊魂論には、「ヌース」(知性、理性)、プネウマ(気息、生命、こころ)、「プシュケー」(魂)などの他に、「テュモス」(thymos)という概念があった
これは「気概」「気持ち」と訳されるようだが、その中身は「知の沸騰」「激しい息遣い」で、激しく荒々しい心の動きだという
プラトンやアリストテレスにより、「ヌース」が高位で「テュモス」はそれより下に位置し、その見方は理性の時代に入り決定的になったと考えられていた
しかし、その間もこの見方に抗する流れはしっかりと生きていた
事実、20世紀も21世紀も争いが絶えない
理性が抑えるべき対象について見直そうという提案と受け取った
これに関連するエッセイを書いたことがある
医学のあゆみ 264 (2): 202-206, 2018
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