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2020年7月1日水曜日

ベルクソンの言葉から




今日はベルクソンの言葉から、いくつか

  • 精神という場合、それはまず何よりも意識を意味します。

  • 意識はまず何よりも記憶を意味します。・・・記憶が存在しなければ、意識は存在しません。・・・ライプニッツが物質は「瞬間的な精神」であると言ったとき、彼は好むと好まざるとにかかわらず、物質とは感覚を持たないものだと宣言したのです。

  •  すべての意識は未来の予期です。

  • すでにないものを記憶して、まだないものを予期すること、これが意識の第一の機能です。

  • ある存在が意識を持っていることを確実に知るには、その内部に入り、それと一致して、それにならなければなりません。

  •  人間において、意識は疑いもなく脳に結ばれています。だからといってそこから、脳は意識に欠くべからざるものだということにはなりません。動物の系列を下に降りていけばいくほど、神経中枢はしだいに単純なものになり、拡散していき、お終いにはとうとう神経の要素はほとんど分化していない有機体のかたまりに溶けこんでしまいます。・・・それゆえ厳密に言えば、生きているものはすべて意識を持ちうるのです。

  •  生命はそのはじまりにおいて、生命なしに出来かかっていた、あるいは出来えたようなそういう物質の内部に入ったのです。

  • この再生とこの進化こそが生命なのです。再生と進化というこの両者は、内的推進力をあらわしています。

  • 私たちの前では明らかに、一つの力が働いています。その力は自分の枷から解放されて、自分自身を越えようとして、最初は自分の持っているものすべてを、ついで自分の持っている以上のものを与えようとします。これより他に精神の定義の仕方があるでしょうか。 

  • 確信のある人、生命にあふれて持続する作品を生み出したことを絶対に確信している人は賛辞を必要とせず、名誉を越えたものを自らのうちに感じています。なぜなら、そのような人は創造者であり、自分が創造者であることを知っているからです。そのような人の感じる歓びは、神のような歓びです。

  • 絶えず過去の全体に寄りかかり、未来にいっそう力強く乗り出すように招かれている人間は、生命の収めた大成功というべきものでしょう。・・・もっと正確に言えば、創意ある単純な英雄的行動によって徳への新しい道を切り開いた人々は、形而上学的な真理の啓示者なのです。








2017年8月14日月曜日

ベルクソンの神秘主義者



このところ、朝はいつも曇っているが、午後に晴れ間が見えるという状態が続いている
今日も同様で、午後からAssomption(聖母の被昇天)前の静かな町に出た
行きつけのカフェが閉まっていたので新しいところへ

最近気になっている言葉に mystique(神秘主義者)がある
山に籠って只管瞑想しているような人を想像するが、一体どういう人のことを言うのだろうか

アリストテレスによれば、最も善きものはその存在にとって本性的で固有なものである
人間の場合、それは精神生活を全うすることだという
それは同時に幸福を齎すことになる
幸福を表す言葉「エウダイモニア」には、神に祝福された状態という意味がある
ダイモーンは神と人間との仲介者を指す
つまり、知的活動だけを生涯に亘って続けることは、神に祝福された状態にあることを意味する
それは人間を超えた「神的生活」とも言えるものになるのだろう

ベルクソンの言う神秘主義者も人間ではあるが人間を超えた存在を指している
神と接することができる存在ということになる
アリストテレス同様、そのような人間が存在し得ると考えている
ただ、ベルクソンは思索だけの神秘主義者を認めない
物理的制約を背負っている人間が、その限界を乗り越えて行動をしなければならないという
その行動は神的とも言えるかもしれない
行動を通して社会に開き、それが創造へと向かう可能性を神秘主義者に見ていたのだろうか