2017年8月14日月曜日

ベルクソンの神秘主義者



このところ、朝はいつも曇っているが、午後に晴れ間が見えるという状態が続いている
今日も同様で、午後からAssomption(聖母の被昇天)前の静かな町に出た
行きつけのカフェが閉まっていたので新しいところへ

最近気になっている言葉に mystique(神秘主義者)がある
山に籠って只管瞑想しているような人を想像するが、一体どういう人のことを言うのだろうか

アリストテレスによれば、最も善きものはその存在にとって本性的で固有なものである
人間の場合、それは精神生活を全うすることだという
それは同時に幸福を齎すことになる
幸福を表す言葉「エウダイモニア」には、神に祝福された状態という意味がある
ダイモーンは神と人間との仲介者を指す
つまり、知的活動だけを生涯に亘って続けることは、神に祝福された状態にあることを意味する
それは人間を超えた「神的生活」とも言えるものになるのだろう

ベルクソンの言う神秘主義者も人間ではあるが人間を超えた存在を指している
神と接することができる存在ということになる
アリストテレス同様、そのような人間が存在し得ると考えている
ただ、ベルクソンは思索だけの神秘主義者を認めない
物理的制約を背負っている人間が、その限界を乗り越えて行動をしなければならないという
その行動は神的とも言えるかもしれない
行動を通して社会に開き、それが創造へと向かう可能性を神秘主義者に見ていたのだろうか




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