3年振りのカフェ、フォーラム週間が始まった
今日は、フランス語を読み哲学する「ベルクソン・カフェ」と、生き方としての哲学を論じる「カフェフィロPAWL」を共同開催した
カフェには7名の方が参加され、充実した議論が展開した
今日参加された皆様には改めて感謝したい
テーマはアラン・バディウ(1937- )が考える「幸福の形而上学」だが、主題は哲学の使命を正しく認識すること
それがどうして幸福の形而上学になるのか
両者の結びつきを明らかにすると同時に、現代という時代が哲学の営みにネガティブな影響を与えていることを指摘
この状況を打ち破る新たな哲学のやり方を模索している
このような問題の捉え方(「現代の超克」のための哲学)はわたしの中にもあるものなので、興味深く読んだ
詳しいまとめは、近いうちに上記サイトにアップする予定である
もう少しお待ちいただければ幸いである
余談だが、今回の著者バディウは、カンボジアのクメール・ルージュをル・モンド上で支持した過去があり、その33年後に過去を悔いると表明している
それは10年前のことだったのでフランスで知り、わたしのブログにもその記事が残っていた
アラン・バディウ 「わたしは悔いている」、あるいは真の政治的勝利とは(2012.3.22)
シリーズ最初の懇親会は以下のような感じであった
アラン・バディウという哲学者の思想を矢倉秀隆先生の講座にて学ぶことが出来たことは大変に私にとって嬉い出会い出来事でした。正直な所、世界を巻き込んだコロナのパンデミックやロシアによるウクライナへの侵攻が戦争になり、世界の人々を不安や精神的疲弊と危機感への渦に巻き込み、一体哲学は何の役に立つのか?と疑問に思っていたからなのです。そこで、幸福にはまがい物があるということ、真の幸福とは何か? 今や古典的な哲学は終わりを迎えているということ。エゴと無知の主体性ではなく、思考を緩めるということ、自身の時間を確立すること、自分の時間を自分自身で支配するということ、自身の解放、開かれた人間であること・・・ 年齢を経て、これらのことに大変共感出来ると感じました。それが真の幸福なのだと。言語の重要性も言っていますよね? 自分自身の幸福を確立したいと思いますが、私自身にはまだエゴの部分が残っているようにも思えます。ただ、絵を描いたり、シナリオを創作したり、植物の観察研究をしているときは私自身にとって幸せを感じる時間なのです。しかし、自分の幸福を犠牲にして、大きな支配や大きな権力と戦う人々は人間として素晴らしいと思いますし、自分だけの密かな幸福で、社会の問題の傍観者でいて良いのか? という疑問もあります。 <花村実葉>
返信削除すみません。匿名になってしまいましたが、花村実葉のコメントでした。また、あの後のお酒のを飲みながらの懇談会も楽しかったです。皆様ありがとうございました。
返信削除花村様 コメントありがとうございます。改めてサイトの方に掲載させていただきました。ご確認ください。
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