コリングウッド(1889-1943)の分析だが、一昨日まではイントロで、今日から各論に入る
まずはギリシアの宇宙論で、最初にイオニア学派の自然学が取り上げられる
自然(physis)を語る者という意味である
彼らが自然を語る場合、「事物は何からできているのか」「自然の変化の根源にある実体は何か」と問い直す
このような問いを出すには、彼らの中に予備的な論点が定着していなければならない
コリングウッドは、その論点として次の3つを挙げる
1)「自然の事物」が存在し得るということ
世界には、人間などが産み出す人工物と、自ら生起し存在する「自然の事物」という2種類が存在する
2)「自然の事物」は単一の「自然界」を構成しているということ
これらの2点は如何なる「自然学」にも必須の前提である
3)あらゆる「自然の事物」に共通するのは、それらが単一の実体(質料)からできているということ
これは、イオニア自然学に特徴的な前提であった
ミレトス学派とは、その単一の実体とは何かを考察した人たちであった
以下、この学派を代表する人たちを見ていきたい
A)タレス(c.624 BC-c.546 BC)
この学派の創始者とされる彼は、この世界は「水」からできていると考えた
著作を残していないので、なぜそう考えたのかは分からない
ただ、アリストテレスは2つの推測をしている
第1は、すべての有機体には湿気が必要であること
第2は、すべての動物の生命は精液から始まること
このことから、タレスは自然界を一つの有機体、動物と考えていたことが分かる
他の伝承によれば、その有機体、動物には魂が存在すると見做していたという
木や石も水から出来ている有機体で、大地は水に浮いており、そこから養分を取り入れ再生すると考えていた
さらに別の伝承によれば、彼は世界が超越的な神によって創られた(ポイエーマ・テウー)と述べたという
タレスの世界は、それ自身の目的に沿うように動いている宇宙大の動物のようなものであった
これは、自然界は神がその目的に沿うように作った宇宙大の機械であるとするルネサンスの自然観とは異なっている
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