2022年9月17日土曜日

コリングウッドによる自然(14): ピタゴラス学派(7)























 Velia (Elea), Italy




今日は、プラトン(427 BC-347 BC)の成熟した形相概念がテーマである

プラトンとエレア派と鋭く異なるのは、次の点である

エレア派が言う真に実在するもの、あるいは叡智的(これはintelligibleの訳なので、知性を働かせれば理解可能になるという意味か)な世界は、同時に物理的世界である

すなわち、感覚による物理的世界に見られる特徴は反対の特徴を持つという逆説を含んでいた

これに対して、プラトンにとっての叡智的世界は物理的ではなく、純粋な形相である

物理的な特質は感覚的世界の特徴で、その世界は叡智的ではない


この相違によって、もう一つの相違が生じるとコリングウッド(1889-1943)は言う

叡智的な存在を形相と同一視することによりプラトンは、感覚により我々に映る物理的世界と、思惟によって我々に明らかになる物理的世界の間にある区別を廃棄したのである

つまり、物理的世界について知り得ることは、すべて感覚を通して認識される

感受する方法を変えれば、必ずしも我々を欺くとは言えないだろう

自然の世界は常に変化しているので、決定的な性格を持たず、厳密に言えば、認識も理解もできない

しかし、その中に叡智的なもの、形相を求めることに異論はないはずだ

事実を単に観察、分類するだけでなく、そこにある形相的要素を発見することを使命とする自然科学をプラトンは擁護している

超越性と内在性が絡み合っている状況は、ピタゴラス(582 BC-496 BC)にもソクラテス(c.470 BC-399 BC)にもあった

それを明確に区別したのがプラトンだったが、次のような方法で両者を組み合わせたと思われる

形相とは、厳密に言えば、超越的であり、内在的ではない

例えば丸い皿の場合、超越的な丸の形相は陶芸家や見る人の頭の中にある

そこに見える皿は、「丸さ」の実例ではなく、「丸さ」に近づいたものの実例に過ぎない

感覚的事物に内在する形相は純粋の形相ではなく、それに近づいた形相なのである

円形そのものではなく、円形の模倣、円形に向かう傾向に過ぎないという


後の新プラトン主義によれば、純粋な形相を具現化する試みが成功しないのは、物質の強情な反抗のため、あるいは物質が可塑性をもって形相を受け止めようとしないからだという

ここから、新プラトン主義者にとっての物質は欠点のあるもの、悪の原因とされた

ただ、プラトンの著作の中にはこの考えは存在していない











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