2022年9月19日月曜日

プラトンの『ティマイオス』を読む(2)


























そこで生じたものは、立体的、可視的、可触的でなくてはならない

「火」を欠いては可視的にはならず、「土」を欠いては固体とならないだろう

この両者を結びつけるためには「水」と「空気」が必要で、そこで重要になるのが比例である

神は、それぞれの比が等しくなるように結合させ、自己同一的なものに仕上げた

宇宙が完結した諸部分から成る、最大限に完結した本性を具えた生き物であるように、他の宇宙が生じないように材料を残さないように、また不老無病であるようにしたのである

形としては、中心から端までの距離がどこも等しく、あらん限りの形を含むものとして球形に仕上げた

宇宙は自分で自分を消耗しては自分の栄養とし、自足の方がより善いと考え、表面に無駄なものを付けることをしなかった

このような宇宙に相応しい運動として、理性と深く関係する運動、円を描く回転運動を割り振った

神は、その真ん中に魂を置き、全体に引き伸ばし、さらに外側から魂で覆ったのである

その際、魂は身体を支配し、身体は支配されるべきものとして構成した

宇宙が生まれるまでは、昼も夜も、年も月も存在しなかった

宇宙の誕生とともに、一のうちに静止している永遠を写して、その似像として神は時間を作った


さて、身体の各部分の成り立ち、魂についても同様に、どのような原因によって生じたのか

それは神々のいかなる配慮だったのか

神々は神的な循環運動を、万有の形が丸いのに倣って、球形をした身体に結びつけた

それが「頭」で、神的なものであり、すべてに君臨する

その頭に奉仕するものとして身体の全体を与え、例えば四肢は、最も聖なるものをあらゆる所に運べるようにした

そして、神々は最初に光を齎す目を作った

この視覚こそ、我々に最大の稗益を成す原因となっている

視覚により目にすることがなければ、哲学を言われるものを手に入れることはなかった

死すべき種族に、これより大きな善が神々から贈られることはなかったし、これからもないだろう

視覚の目的は、天にある理性の循環運動を観察し、それと同類ではあるが乱れた状態にある我々の思考の回転運動を正すことなのである

また、聴覚もハルモニア(楽器の調子の整え方)のために、調子はずれになった魂の循環運動を自己協和に導くために贈られたものである









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