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2017年11月1日水曜日

吉田秀和さんの姿勢と観察、あるいは中原中也



探しものではないものが現れる時、しばしば大発見をする
この偶然が何ものにも代え難いことを知って久しい
Youtubeに吉田秀和さん93歳の時の「言葉で奏でる音楽」という特集が現れた
それを観ていて驚いたことがある

自宅の庭で、作家の堀江敏幸氏と対談している
まず、椅子に座っている姿勢である
体が上の方に向くように、悪く言えばふんぞり返ったように座っている
これはわたしの普段の姿勢だとすぐに気付く
それはふんぞり返っているのではなく、空を仰ぎ、全世界を自分に呼び込むような感覚なのである
その全体を捉えたい、その全体の中でいまの話題を語りたいという姿勢である
吉田氏の場合はどうか分からないが、おそらくそうなのではないかと勝手に想像していた

もう一つは、その中で語っていた内容である
高等学校の時に好きだった独文の先生がいたという
阿部次郎の弟、阿部六郎(1904-1957)である
その先生からニーチェを知ったようだが、さらに重要なことを感じ取ったという
それは、人々が生きている世界とは違う世界があるということ
そして、その先生は世の中で活躍している人たちとはどこか違う別の世界を持っていたこと
さらに学ぼうと思い、阿部六郎宅に下宿までしたようだ

人の世の中を生き抜いている人では、そのことに気付けない
そこから離れた目を持っていなければならないからである
真の芸術家の視点とでも言うべきものが必要になるのだろうか
これは人間にとっても、社会にとっても非常に重要なことだと考えるようになっている
先日の「超世俗的」ともどこかで繋がっている

それから、聴いたことを正確に言葉で伝えるという仕事についての観察である
それは非常に難しいことだが、難しいが故に面白いと思ったという
同じことは、自分の頭の中にあることを正確に言葉に移すことにも当て嵌まるだろう
外国語を日本語に移し替えることだって同じである
殆ど不可能な作業なのである
そこに挑み甲斐のある仕事だと思った理由があるのだろう

阿部六郎宅に下宿していた時のエピソードとして、中原中也が出てくる
中也は最初のブログで何度か取り上げたことがある
少し長いが、その中の一つを以下に再掲してみたい


2006年11月14日

記念館にて中也を想う PENSER A CHUYA AU MUSEE MEMORIAL

 

 



雨が止むのを待って県立美術館を離れ、歩き始める。バスが来たので目的地に行くのか運転手に訊いてみるが、よく理解できない。待ってくれているのでとにかく乗り込む。近くの老婦人に聞いてみる。「中也さんのところでしょう。温田温泉ですよ。」 と言って、まるで知り合いのことを語るように教えてくれた。気持ちよく、流れる景色を眺めていると、10分ほどで中原中也記念館に着いた。

中原中也 Chûya Nakahara(1907年 明治40年4月29日 - 1937年 昭和12年10月22日)

こじんまりしているが、手入れが行き届いていて美しい。中に入ると、正面で中也さんが迎えてくれた。東京に出た18歳の時に写真館で撮ったといわれる有名な写真が。

温田温泉で医院を開業していた父謙助 (30歳)、母フク (27歳) の長男として結婚7年目に生れる。「奇跡の子」 として大切に育てられる。小学校では勉強に打ち込んでいたようだが、次第に文学に興味を持ち始め、5年の時には短歌会に顔を出すようになる。それから次第に成績が落ち始めたようで、中学の時落第。うるさい父親から逃れるために落第し、京都の立命館に転校。17歳の時広島出身の女優の卵、長谷川泰子と運命の出会いの後、同棲をはじめる。その時期に富永太郎からランボーやボードレールを紹介されている。

彼の人生には、いろいろな人が顔を出す。

小林秀雄
河上徹太郎
大岡昇平
諸井三郎
古谷綱武
吉田秀和
青山二郎
坂口安吾
太宰治
北川冬彦
草野心平
萩原朔太郎
伊藤静雄
など

特に小林秀雄とは、中也が泰子と上京後に出会い、三角関係になり、彼女が小林の元に去るという事件以来、深い関係が生れる。今回、上京してからアテネフランセや東京外語大学でフランス語を本格的に勉強していたこと、また亡くなる年にも関西日仏学館に申し込みをしていたことなどを知る。ランボオの訳詩も展示されていた。

彼の人生は子供の時から死に取り囲まれていた。8歳の時、三歳年下の弟亜郎が亡くなる。中也は毎日、蓮華の花を摘んできては、「あーちゃんに」 と言って、仏様に供えていたという。また4歳下の恰三を24歳の時に結核で失う。「亡弟」 という小説を書いている。

それから自分の長男、文也も失う。これが相当応えたようだ。日記を見ると、文也に向けた男親の愛情に溢れる記述が見つかる。
「文也も詩が好きになればいいが。二代がかりなら可なりなことが出来よう。俺の蔵書は、売らぬこと。それには、色々書き込みがあるし、何かと便利だ。今から五十年あとだって、僕の蔵書だけを十分読めば詩道修行には十分間に合ふ。迷はぬこと。仏国十九世紀後半をよく読むこと。迷ひは、俺がサンザやったんだ。」 (昭和11年7月24日)

文也が亡くなってから遺体を抱いて離さず、葬式の日以来位牌の前から離れなかったという。文也の霊に捧げた 「在りし日の歌」 の原稿を小林秀雄に託す。中也の死後出版される。

   わが半生

私はずいぶん苦労して来た。
それがどうした苦労であったか、
語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。
またその苦労が果たして価値の
あつたものかなかつたものか、
そんなことなぞ考へてもみぬ。

とにかく私は苦労して来た。
苦労してきたことであった!
そして、今、此処、机の前の、
自分を見出すばつかりだ。
じつと手を出し眺めるほどの
ことしか私は出来ないのだ。

   外では今宵、木の葉がそよぐ。
   はるかな気持ちの、春の宵だ。
   そして私は、静かに死ぬる、
   坐ったまんまで、死んでゆくのだ。

        La Moitié de Ma Vie

     J'aurai eu jusqu'ici bien des peines.
     Quelles peines, direz-vous ?
     Je n'ai aucune envie d'en parler.
     Quant à la question de savoir si ces peines avaient
     Quelque vertu ou n'en avaient pas,
     Cela ne vaut même pas le coup d'y penser !

     Mais j'aurai eu bien des peines.
     Oui bein des peines en somme !
     Et voici que, maintenant, ici-même, devant mon bureau,
     Je ne trouve plus que moi.
     Sans broncher, j'allonge mes mains, les regarde, et c'est bein là
     Tout ce que je peux faire.

        Dehors ce soir, les feuilles des arbres frémissent.
        Soir de printemps, aux lointaines émotions.
        Et voilà que, doucement je meurs !
        Oui, je reste assis, et je me meurs.


亡くなる3ヶ月前に阿部六郎宛に手紙を送っている。

「小生事秋になったら郷里に引上げようと思います。なんだか郷里住みといふうことになってゴローンと寝ころんでみたいのです。もうくにを出てから十五年ですからね。ほとほともう肉感に乏しい関東の空の下にはくたびれました。それに去年子供に死なれてからといふものは、もうどんな詩情も湧きません。瀬戸内海の空の下にでもゐたならば、また息を吹返すかも知れないと思ひます。」 (昭和12年7月7日)


四行詩 

おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発する都会の夜々の燈火を後に、
おまへはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。

Quatrain

Pour toi il est mieux de rentrer dans une chambre paisible
Laissant derrière toi les feux éclatants des nuits de la ville
Pour toi il est mieux de prendre le chemin du retour
Et d'écouter tranquillement les murmures de ton cœur


弟の思郎氏が中也の最後をその著書 「兄中原中也と先祖たち」 に書いている。

「母の指を、タバコを吸うときのようにして自分の二本の指ではさんだ。眼も見えたのであろう。『おかあさん』 という声がでた。一層奇跡を思う。もう一度 『おかあさん』 と呼んだ。中也は自分の指にはさんだ母の指を、二度ばかりはじいた。タバコを吸っている気である。そして 『僕は本当は孝行者だったんですよ』 といい、『今に分かるときが来ますよ』 とつけ加え、数秒おいて 『本当は孝行者だったんですよ』 といった。最後の声は正気の声であった。中也の指は母の手から離れて落ちた。」

長男が亡くなった1936年に次男愛雅が生まれている。しかし、その翌年10月に中也が亡くなり、さらにその翌年1月には生まれたばかりの愛雅が亡くなっている。それが彼の死後であったことがせめてもの救いである。


    歸 郷

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    椽の下では蜘蛛の巣が
    心細さうに揺れてゐる

山では枯れ木も息を吐く
あゝ今日は好い天気だ
    路傍 (ろばた) の草影が
    あどけない愁 (かなし) みをする

これが私の故里だ
さやかに風も吹いてゐる
    心置きなく泣かれよと
    年増婦 (としま) の低い声もする

あゝおまへはなにをして来たのだと・・・・・
吹き来る風が私に云ふ


        Retour

    Sec les piliers et secs les jardins
    Aujourd'hui il fait beau
       Sous la terrasse une toile d'araignée
       Bouge langoureusement

    Les arbres morts respirent dans la montagne
    Qu'il fait beau aujourd'hui
       Au bord des chemins l'herbe dessine
       Une ingénue tristesse

    C'est mon pays
    Un vent frais s'est levé
       Pleure sans hésiter
       Me dit à voix basse une femme plus âgée

    Oh  toi qu'as-tu fait.....
    Me dit le vent qui vient souffler


二階の資料室に上がり、CDに入っていた母親フクさんの思い出話を聴く。

中学から詩にのめり込んだ中也の成績はどんどん落ちていった。本を買ってやるから駄目だというようなことを先生からも言われ、本から遠ざけるようにする。すると、彼は本屋に入り浸るようになり、帰りが遅くなったという。そして帰ってくる時は、遠くから 「今日は本屋に寄ったんじゃありませんからね」 と言ってから家に入ってきたという。そんなこと言わなくてもいいのに、という感じで遠くの息子を懐かしむように語っていた。

この話はフクさんの回想録 「私の上に降る雪は ― わが子中原中也を語る」 の中にも出てくるのかもしれない。

今回、中也の詩にいろいろな人が曲をつけ、いろいろな人が歌っていることを知る。諸井三郎が曲をつけるのはわかるが、大岡昇平も作曲している。また、友川かずき、伊藤多喜雄、おおたか静流、小室等、そして五木ひろし、石原裕次郎までもが歌っているのには驚いた。

来年は中也生誕100年、没後70年に当たる。記念行事が予定されているようだ。

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フランス語訳は以下の本からです。
Nakahara Chûya « Poèmes » traduit du japonais par Yves-Marie Allioux (Philippe Picquier, 2005)







2017年10月28日土曜日

第12回サイファイ・カフェSHE、無事終わる



本日も朝から準備に追われた
テーマが「ミニマル・コグニションを考える」となっており、何のことを言っているのか分からない
そんな中、週末の夜にも関わらずお集まりいただいた皆様に感謝したい

これまでのテーマよりも専門性が増したという印象を持たれたようである
ざっくばらんに言えば、分かり難い話だったようだ
生物が複雑でダイナミックな環境で生き残るためには、記憶と情報処理を基にした決定過程が必須だ
昔はこの仕事は中枢神経系が担っていると深く考えることなく思っていた

しかし、最近では必ずしも中枢神経系に依存しないという見方が広がりつつある
それでは、どこまでを神経系様の機能と考えているのだろうか
その機能を広くコグニションと言い、その最小限の条件をミニマル・コグニションと言っている
コグニションは認識と訳すこともできるが、ここではもっと基本的な過程のことを指している
すなわち、情報の獲得、保存、処理、使用に関わるメカニズムとして論じられているようだ

これまで、脳、ニューロンに関連した構造と機能を持っていなければならないという考えがあった
その後、神経とは関係がないが、感受して運動に変換されるものもコグニティブだと考える人が出た
さらに極端な例は、運動とは関係しないシグナル伝達や遺伝子ネットワークまで含める人もいるという
いずれの場合も、そのように定義した時、その枠内では比較的明確に選別ができる
しかし、どの定義を正当なものと考えるのかという問題が出てくる

それに対して、免疫系での解析結果を絡ませて、適切ではないかと思われる見方が提示された
直感的にはなかなか受け入れられそうにもない説である
講師も100%確信しているわけではないが、論理的には矛盾しないのではないかと考えている
まるで先週のプラトンの霊魂不滅の証明のように、あっという間の出来事であった
いずれにせよ、今後いろいろな批判を受けながら、練り上げていく必要があるのではないだろうか
参加された皆様の感触はどうだったのだろうか

カフェの中でも懇親会でも様々な議論が出たという意味では、よいテーマだったと言えるのだろうか
少なくとも議論を呼ぶテーマであったことは間違いなさそうである


会のまとめ






2017年10月21日土曜日

第6回カフェフィロPAWL、終わる



本日は、第6回のカフェフィロPAWLを開催した
他の会と同様、開始5分前にやっとのことで纏まりを作ることができた
そのためかもしれないが、最初のカフェでの撮影を完全に失念していた
懇親会には4名の方が欠席されたので、全員で9名の参加があった
その内、新しい方は北海道から参加された方を含めて3名であった

今日は、魂と肉体との関連を扱っているプラトンの『パイドン』を読んだ
真の哲学者についても論じられていて、人間は如何に生きるべきかという問いにも繋がるものである
心身問題は現代でも解決されていないテーマで、その原点にある作品と言ってもよいだろう
機械論者から見ると、魂の永遠などというテーマは議論するに値しないものかもしれない
事実、少し余裕を持った見方をする方々との間で興味深い活発な議論が展開していた
それはそのまま懇親会にも持ち込まれていた

わたし自身は霊魂不滅の真偽には興味はなく、生き方と絡めて読んでいた
つまり、そうだと想定した時にプラトンが考えたことには聞くべきところがあるという立場である
魂が永遠に存在するのであれば、魂の面倒は見なければならない
そのためには肉体の影響をできるだけ遠ざけ、魂そのものになって対象を観、考えるようにすること
肉体が魂の働きを邪魔するからである
そうしなければ真理は見えてこない
死が魂と肉体との乖離であるとすれば、真の哲学者の生き方は死人同然であるということになる

日本から見ると、フランスでのわたしは死人に近いと言えないこともない
おそらくそのためだと思うが、思索に集中するには良い状態にあるように見える
そのようなこともあり、プラトンの言いたいことはよく分かると感じながら読んでいた
参加された皆様はどうだったのだろうか
何かを考える機会になったとすれば幸いである

週末のお忙しい中、参加していただいた皆様には改めて感謝したい


会のまとめ









2017年10月19日木曜日

サイファイ研ISHEの活動への参加者数に驚く



今日は、明日のカフェフィロPAWLの準備をした
勿論、まだ姿は見えていない
最後の最後まで姿が見えそうもないことに変わりはないだろう
今回はプラトンの『パイドン』を読むことになる
実は昨日、懇親会で出た話がこのテーマにそっくりそのまま繋がることに驚いていた
こんなによく繋がるとは、という感じだろうか


今日、これまでのサイファイ研の活動に参加された人数について初めて調べてみた
昨日の雑談の中で訊かれたからである
その結果、総数が160名にも及ぶことが分かり、驚いた
リピーターの方もいるので、延べ人数となると更に多くなる
また、今年の春から始めたFPSSについては賛同者が36名で、今回も20名ほどの会になりそうである
これらの会で展開された議論がわたし自身を刺激し、変容に大きな影響を与えていたと想像される
参加された方々にも何らかの影響があったことを願いたい

これまでお時間を割いて参加された皆様に改めて感謝したい






2017年10月6日金曜日

第4回サイファイ・カフェSHE札幌、無事に終わる



昨日、4回目になるサイファイ・カフェSHE札幌を開催した
いつものように、寸前まで準備に追われていた
そのせいかどうかは分からないが、電源コードを持ってこなかったことに気付かずにいた
パリカフェでも忘れひやひやしたが、今回はバッテリーの残りが殆どなくなっていて慌てる
幸いマルチタイプのものが近くの店で見つかり、胸を撫で下ろした
間違いなく、何かが進行しているようだ

今回は、内的生活をどのように捉え、どのように充実させるのがよいのかについて考えることにした
我々の中に、精神生活を重要なものとして位置付けようとするところが弱いように見えるからであった
それは個人レベルだけではなく、社会や国のレベルでも観察される
その欠落がわれわれにいろいろな不利益を齎していると考えたからでもある
講師の10年に及ぶフランスでの無為の生活の中で気付いた点を中心に紹介した
そこから現段階における内的生活の一つの形を提示できないかと考えたのである

第一に、これまでに提唱している意識の三層構造モデルについて説明
第1層は日常生活で使われる領域で、第2層は職業生活で使われるものである
この二層に留まりがちな生活では精神生活が浅く貧しいものにならざるを得ない
その上で、この二層を超えた全的生活が占める第3層を充実させることが重要になることを指摘した
そこでは、瞑想や省察が行われる
無を目指すのではなく、活発に記憶の中を歩き回り、繋がりを探すのである
この層の開拓は、「考える葦」である人間に課せられた義務として捉えることもできるだろう
さらに言えば、それは人生の目的と言っても良いものである

第二に、第3層の充実には時間をたっぷり取って自らを振り返る瞑想や省察が欠かせない
つまり、暇がなければならないのである
西欧では、ジョン・カバット・ジン博士が無宗教の瞑想として広めたマインドフルネスがある
「いま」の経験に注意を集中して心を開き、ネガティブなものも受け入れる姿勢が求められる
そして、その中に入り込むのではなく、少し離れて対応することが重要になるという
この点で、わたしが行っている瞑想とは明らかに異なることが分かる
マインドフルネスのプログラムを行うことで、身体にも良い効果が出るという結果が蓄積している
例えば、疼痛、ストレス、不安の軽減、免疫増強、うつ病再発予防、心血管系の改善も齎すという

また、特定のタスクをするのではなく、こころを彷徨わせた状態で活性化されるものにDMNがある
デフォルトモードネットワークである
これは記憶の蓄積や引き出し、これから起こることに対する準備などに重要な役割があるという
さらに、創造性や芸術性にも関与している可能性も指摘されている
瞑想は、このDMNと自己の統御に関与する領域との機能的な連絡を増強する効果があると言われる
DMNによる活発な活動に対し、抑制的に作用するということだろうか

そして第三には、瞑想にも関連するストア哲学について簡単に紹介して意見交換に入った
その中で指摘された問題として、わたしも感じていることがあった
それは、充実した内的生活を送るには、仕事から離れた暇な時間が不可欠になる
しかし、それを実現することは、仕事に追われている現役には難しいのではないかという点である
講師はその時間に恵まれているが、我々はどうすればよいのかという問いであった

これに対してまず言えることは、上で述べた内的生活、特に第三層の重要性を意識することだろう
その上で、少しでもその実現に向けて試みることである
各自が試行錯誤して獲得するしかないのではないだろうか
ここで忘れてならないのは、瞑想や省察の前には生の経験がなければならないことである
つまり、静は重要ではあるが、動を軽視してはならないことである
動の蓄積にも生き生きとした哲学を生み出す力があるように感じているからだ

今回は直前で急用のために参加できなくなった方がおられた
また、岐阜から着いたばかりで空港から駆けつけてくれた若者もいて議論が盛り上がっていた
それは懇親会においても衰えることはなかった
次回も若手の参加を期待したい

お忙しい中、参加して議論に加わっていただいた皆様に改めて感謝したい


会のまとめ