ラベル Turgenev の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Turgenev の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年6月12日土曜日

ツルゲーネフの言葉から(10)















ツルゲーネフも今日が最後となった

最後の一節を以下に書き写して終わりたい


ロシヤのある遠い片田舎に、一つの小さな墓場があって、ほとんどすべての、わが国の墓場とおなじように、これもわびしいすがたをしている。まわりをとりまく溝はひさしいまえから草にうずもれ、灰色をした木の十字架はいずれも傾いて、かつては色のついていた屋根の下で、朽ちかけている。石の墓標はまるでだれかが下からつきあげたもののように、いずれもすこしずつ位置がずれている。枝を折られた、みすぼらしい木が二、三本、わずかにまばらな陰を落とし、羊の群れがところかまわず墓のあいだをさまよう。・・・けれど、そのなかに一つだけ、人間の手に荒らされることもなく、動物の足にもふみつけられない墓がある。わずかに小鳥がその上にとまって、明け方の歌をうたうのみである。鉄の柵がその墓をとりかこみ、二本の若いもみの木がその両わきに植わっている。この墓にエヴゲーニイ・バザーロフは葬られている。ほど遠からぬ村から、老いおとろえた、ふたりの老人が、しばしばこの墓を訪れるーー夫と妻である。ふたりは助けあいながら重い足をはこんでくる。柵のそばへ近づくと、倒れるようにひざまずいて、ながいあいだ、にがいなみだを流して泣きながら、物言わぬ石を注意ぶかく見つめている。その石の下に彼らのむすこが眠っている。ふたりはなにか短いことばをとりかわし、墓石のちりを払ったり、もみの枝を直したりして、ふたたび祈りにかかる。いつまでも、この場所を立ち去ることができない。ここにいると、むすこに、その思い出に近づくことができるかのように。・・・彼らの祈りやなみだは、みのりのないものであろうか? いな! どれほどはげしい、罪ぶかい、反逆のたましいがこの墓のなかに隠れていようとも、その上に咲く花は、けがれのない目で、おだやかに人々をながめている。これらの花が人々に語って聞かせるのは、ただとこしえの安静のみではない。「無心の」自然の偉大な静けさのみではない。彼らはまた永遠の和解と、かぎりない生命をも語っている・・・

 

 (金子幸彦訳)

 





2021年6月11日金曜日

ツルゲーネフの言葉から(9)















今朝も素晴らしい快晴であった

蜘蛛も朝から日向ぼっこか


久し振りという感覚だが、1日を空けただけであった

今日もツルゲーネフを読んでみたい


ーーいまのぼくは、はじめてここへきたころのような、高慢ちきな子供じゃありません・・・とアルカーヂイはつづけたーーぼくはもう二十三になったんです。有益な人間になりたいと望んでいることに変わりはありません。自分のすべての力を真理にささげたいと思っています。しかし、自分の理想を、まえに求めていた方面に求めようとは思いません。理想はぼくにとって・・・ずっと近いところにあるような気がします。いままでは自分が分からなかったんですね。がらにない任務を自分に課していました・・・僕の目はちかごろになってやっと開いたんです。ある感情のおかげで・・・

 


ーーところで、いまわかれるにあたって、もう一度言っておこう・・・なにも自分をいつわることはないからね。われわれは永久に別れることになる。それは君も感じているだろう・・・君は利口にふるまったよ。君は、ぼくらのにがい、じみな、貧乏人の生活には、むいていないんだ。君には大胆さも、怒りもない。ただ若気の勇気といたずらっ気があるだけだ。われわれの仕事には、そんなものは役に立たない。君たち貴族連中は上品なあきらめか、それとも上品な興奮以上には、進めないんだからな。これではどうにもならないさ。たとえば、君たちはけんかしない。それで自分をえらい人間だと思ってる。ところが、ぼくらはけんかしたいんだ。そうなれば、ぼくらのほこりが君の目にはいるし、ぼくらの泥が君の着物をよごすだろう。君はぼくらの高さまで成長していないんだ。君はおもわず自分に見とれて、自分をののしっていれば、気もちがいいんだろうが、ぼくらにとっては、それはたいくつなことだ。ぼくらには相手が必要なんだ。相手をやっつけることが必要なんだ。君はいい青年だが、やっぱり骨のない、自由主義的な貴族の若だんなだよ、ぼくの親父のいうヴォラトゥ(Voilà toutーそれっきり)だよ。

 

 

 バザーロフはもうそれきり目ざめないように運命づけられていた。夕方から彼は完全な昏睡状態におちて、つぎの日に死んだ。アレクセイ神父が彼の死ぬまえに宗教上の儀式をとり行った。塗油式をして、聖油が彼の胸にふれたとき、彼の片目があいた。祭服をつけた僧侶や、煙のたちのぼる香炉や、聖像のまえのろうそくなどを見て、一瞬なにか恐怖のおののきに似たものが、死相をおびた顔に映ったように思われた。彼が最後の息をひきとって、家のなかに嘆きの声がみちわたったとき、思いがけない、怒りの発作がヴァシーリイ・イヴァノ-ヴィッチをおそった。

ーーわしは天をうらむと言っておいた!ーーのぼせた顔をゆがめて、だれかをおどかすようにこぶしをふりながら、彼はしわがれた声で叫んだーーだからわしはうらむぞ、うらむぞ!

 けれども、アリーナ・ヴラーシエヴナが、顔じゅうなみだでぬらしながら、彼の首にすがりついた。そしてふたりは一しょにうつぶせにたおれた。

 

(金子幸彦訳)






2021年6月9日水曜日

ツルゲーネフの言葉から(8)







 

 

 

 

 

 

 

 

これまでにも感じ書いてきたが、日本から見るヨーロッパは美しく見える

昨日、プラハの映像を見ながら、日本で思い描くヨーロッパも悪くないとの考えが浮かぶ

日本に落ち着くことになったことも、その思いを強くした原因のようだ

もう一つ楽しみが増えたことになる

 

今日もツルゲーネフの言葉を少しだけ

 

ーーそうだーーとバザーロフは言い出したーー奇妙な動物だよ。人間なんて。ここで「親父たち」が送っているような、浮世ばなれした生活を、はたで見ていると、これほど結構なことはなさそうに思われる。飲んだり食ったりして、自分はこの上なく正しい、この上なく道理にかなった行いをしている、と考えている。ところがそうじゃない。ふさぎの虫にやられてしまうんだ。そこで人間を相手にしたくなる、たとえ悪口を言うんでもいい、とにかく人間を相手にしたくなるんだ。

ーー一つ一つの瞬間に意味があるように、そういう風に生活をいとなむことが必要なんだーーとアルカーヂイはふかく考えこんだ様子で言った。

ーーそりゃそうさ! 意味あることは、たとえまちがっていても、美しいものさ。意味のあることとなら和解ができる。・・・ところが、くだらないいざこざというやつ・・・こいつがこまるんだ。

ーーいざこざなんてものは、人間にとって存在しやしない、そんなものを認めようとさえしなければね。

ーーふむ・・・君は分かりきったことを裏から言ってるんだ。

ーーなんだって? 君はなんのことをそんな風に言っているんだね?

ーーこういうことだよ、たとえば啓蒙は有益であると言えば、それは分かりきった文句だ。ところが、啓蒙は有害であると言えば、それは分かりきったことを裏から言っていることになる。ちょっと見ると、この方がすこししゃれているようだが、本当はどっちもおなじことなんだ。

ーーしかし、真理はどこに、どっちのがわにあるんだ?

ーーどこにって? ぼくもこだまがえしに言おう、どこに?

 

 (金子幸彦訳)

 




2021年6月7日月曜日

ツルゲーネフの言葉から(7)









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もツルゲーネフの言葉を読んでみたい

 

ーーわたしはここで日の入りを見ながら、哲学的想念にふけるのが好きでしてな。わたしのような世すて人には、それが相応しておりますよ。それから、あのすこしさきに、ホラティウスの愛した木をすこしばかり植えましたよ。

ーーなんの木です?ーーとバザーロフがそれを耳にとめて、たずねた。

ーーきまっとるじゃないか・・・アカシヤだよ。

 バザーロフはあくびをしはじめた。

ーーところで、もうそろそろ旅人たちはモルフェウスの手にいだかれるころあいだろうなーーとヴァシーリイ・イヴァーノヴィッチが言った。

ーーつまり、ねる時分なんですねーーとバザーロフがひきとって言ったーーそれは公正なお説です。まさにそのころあいです。

 

 

アリーナ・ヴラーシエヴナはふるい時代のきっすいのロシヤ貴族に属する婦人であった。二〇〇年ほども前の旧モスクワ時代に暮らす方が彼女にはふさわしかった。彼女はきわめて信心ぶかい、感じやすいたちで、ありとあらゆる前兆とか、うらないとか、まじないとか、夢のお告げというようなものを信じていた。また狂信者の予言、家の魔、森の精、不吉の出会い、のろいのための病気、民間の療法、神聖週間の木曜の塩、世の終わりの切迫などを信じた。それから、復活祭の終夜祈祷にろうそくが消えなかったら、そばのみのりがよいとか、きのこは人の目に見られたらもう大きくならないとかいうようなことを信じていた。それからまた悪魔は水のあるところが好きだとか、ユダヤ人はみんな胸に赤あざがあるということも信じていた。彼女は二十日ねずみ、へび、かえる、すずめ、ひる、かみなり、冷水、すきま風、馬、雄ヤギ、赤毛の人間、黒ねこなどを恐れ、こおろぎや犬は不浄な生き物だと思っていた。彼女は子牛の肉、はと、へび、チーズ、アスパラガス、きくいも、うさぎ、西瓜などは食べなかった。西瓜の切ったのは洗礼者ヨハネの首を思い出させるからであった。かきとなると、話をしても身ぶるいが出るほどであった。

 

 

ーー・・・気性がしっかりしているのを悪く言って、それを高慢や無情のしるしのように思う人もありますが、しかしああいう人間はありきたりの物さしで計るわけにはゆきません。そうでしょう?・・・

ーー彼は欲のない、正直な人間ですーーとアルカーヂイは言った。

ーーそうです、欲のない人間です、わたしはな、アルカーヂイ・ニコラーエヴィッチ、あの子を神のようにあがめておるばかりでなく、あれを誇りにしておるんですよ。わたしの野心といったら、ただいつかあれの伝記にこういう文句が書かれればよい、ということだけです。「彼の父は平凡な一軍医であったが、はやくよりむすこを理解して、その教育のためになにものをもおしまなかった・・・」

 老人の声はとぎれた。

 アルカーヂイはその手をにぎりしめた。

ーーあなたはどうお思いになりますな?ーーとヴァシーリイ・イヴァーノヴィッチは、しばらくだまっていたのちに、きいたーーあなたが予言して下さる、せがれの名声は、医学の方面じゃないのでしょうな。

ーーむろん、医学の方じゃありません。もっともその方面でも、やはり一流の学者になるでしょうが。

ーーすると、どんな方面でしょう、アルカーヂイ・ニコラーエヴィッチ?

ーーいまから言うのはむつかしいですが、とにかく有名になりますよ。

ーーあれが有名になる!ーーそう老人はくりかえすと、考えこんでしまった。

 

 (金子幸彦訳)

 

 

 



2021年6月5日土曜日

ツルゲーネフの言葉から(6)











 

 

 

 

暴風雨一過、昨日が嘘のような素晴らしい朝を迎えた

庭も緑が目に沁みるようになってきた 

緑がこれほど味わい深く感じられるのは、今年が初めてではないだろうか


空に面白い形が現れていたので、カメラに収める

すでに言ってきたことだが、空は芸術家なのだ

さらに言えば、自然は・・・となるだろう

 

乗り掛かった舟なので、今日もツルゲーネフを読むことにしたい


卑俗なものの出現はしばしば生活に益をもたらすことがある。それはあまりにつよく張られた絃をゆるめ、思いあがった気もちや、おのれを忘れがちな感情をしずめるものである。こういう感情も卑俗なものととなりあわせのものだということを、思い出させるからである。

 

 

ーーくどいようですが、ご不自由の点はおゆるし願います。もっとも、パイプにたばこをつめるくらいはできますので、あなたはたばこをおあがりでしたな?

ーーぼくはたいてい葉巻きをすいますーーアルカーヂイは答えた。

ーーそれは一番よろしいですな。わたしも葉巻きの方がすきですが、こういうへんぴな土地では、なかなか手に入りませんのでな。

 ーーこぼすのはもうたくさんですよーーとバザーロフはまたさえぎったーーそれよりそこの長椅子に腰かけて、顔を見せてくれませんか。

・・・

ーーこぼしているわけじゃない!ーーとヴァシーリイ・イヴァーノヴィッチは言ったーーこれ、エヴゲーニイ、考え違いをしてはいかん。わしはお客さまにむかって、こんな片田舎に暮らしておりますなどと、泣きごとを言って、同情してもらおうと思っておるわけではない。それどころか、わしは、思索をする人間にとっては片田舎もなにもありゃせん、と思っている。すくなくとも、わしはできるだけ、いわゆる体にこけを生やさんように、時世におくれんように努めておるよ。

 

 

ーーまあ、一つうちの庭がどんなになったか見てくれ。わしが自分で木を一本一本植えたんだよ。果樹もあるし、木いちごもあるし、それに薬草はなんでもある。いやお前たちがどんなにうまいことを言っても、パラケルススのいったことは不滅の真理だよ。in herbis, verbis, et lapidibus.(草と木と石の中に)。

 

(金子幸彦訳)

 

 




2021年6月4日金曜日

ツルゲーネフの言葉から(5)














今日は朝から暴風雨で、まだ収まっていない

余り記憶にはない

ということで、久し振りに家に籠ってやることにした

偶にはよいだろう


今日もツルゲーネフを読んでいきたい

この状態は昨年前半に『現代哲学』を読んでいた時のことを思い出させる


ーーでは、あなたは芸術的感情を一滴も持っていらっしゃらないんですの?ーー彼女はひくい声で言って、テーブルにひじをついた。そのために、彼女の顔はバザーロフにちかづいたーーどうしてあなたは、それなしですまされるのでしょう?

ーーでも、なんのためにそれが必要なんです? うかがいたいもんですね。

ーーまあ、少なくとも人間を知って、それを研究するために必要なんですわ。

バザーロフはかすかな笑いをうかべた。

ーー第一、そのためには生活の経験というものがあります。第二には、あえて申しますが、個々の人間を研究するなんて、むだなことです。すべての人間は、体から言っても、精神から言っても、似かよったものです。われわれはひとりひとりの脳や、脾臓や、心臓や、肺は、みんな同じようにできています。いわゆる精神的資質だって、みんな同じようなものです。すこしは変種もありますが、そんなものはなんの意味もありません。人間の標本が一つあれば、そのほかのすべてを判断するのに十分です。人間は森のなかの木と同じことですよ。白樺の木を一つ一つ研究する植物学者なんていませんからね。

 

 

アンナ・セルゲエヴナはかなり風変わりな女で、かたよった考えはすこしももっていなかったし、つよい信念さえもまるでなかったが、どんなもののまえにも譲歩したこともなく、自分の道をふみはずすこともなかった。彼女は多くのことをはっきりと見ぬいていて、多くのことに興味をもっていたが、なにものも彼女を完全に満足させることはできなかった。それに、彼女自身も完全な満足などはほとんど望んでいなかった。彼女の知力は探求的であると同時に、また冷静なものであった。

 

 

ーーわたしがふしあわせなのは希望もないし、生きる興味もないからです。… わたし、なにもかくしません。わたしはあなたのいう安楽がすきです。でもそれと同時に生きたいという望みもすくないんです。この矛盾をどうとってもかまいません。もっとも、あなたから見ると、これはみんなロマンチズムなんでしょうね。

バザーロフは首をふった。

ーーあなたは健康で、自由で、お金もちです。その上なにがいります?なにがお望みなんです?

ーーなにがのぞみなのかですって?ーーと相手のことばをくりかえして、オヂンツォーヴァはためいきをついたーーわたしはとてもつかれて、年をとってしまって、ずいぶんながいこと生きてきたような気がします。ええ、わたし年をとってしまいました … わたしのうしろにはいろんな思い出が重なっています。ペテルブルクでの生活、富、それから貧乏、それから父の死、結婚、それからおきまりの外国旅行 … 思い出はたくさんありますけど、思い出したいことはなにもないんです。これからさき、行く手に、ながい、ながい道がつづいて、それでいて、目的というものがありません … さきへすすむ気がしないんです。

 

(金子幸彦訳)





2021年6月3日木曜日

ツルゲーネフの言葉から(4)












 

 

 

今日もツルゲーネフの言葉に耳を傾けてみたい


ーーまえには冬になると、モスクワで暮らしていましたけど … いまはわが夫なるムッシウ・クークシンがあちらに住んでいます。それにモスクワもいまは、よくわかりませんけど、やはりむかしとちがってきました。わたし外国へゆきたいと思っているんです。去年などはもうすっかり支度ができたんですけど。

ーーもちろん、パリでしょうねーーとバザーロフはきいた。

ーーパリとハイデルベルヒ。

ーーなぜ、ハイデルベルヒへ?

ーーあら、あすこにはブンゼンがいるじゃありませんか!

バザーロフはなんと答えていいか分からなかった。

 

 

ーーこの街にきれいな女の人はいますか?ーー三杯目をのみほしながら、バザーロフがきいた。

ーーいますよーーとエヴドークシヤは答えたーーだけどみんな空っぽな人間です。たとえば、mon amie のオヂンツーヴァなんか、なかなかきれいな人です。惜しいことに、なんだか妙な評判のある人で … でも、そんなことどうでもいいんですが、自由な見解というももないし、ひろい理解というものもなし、まあそういうものが … まるでなんにもないんです。教育制度というものをすっかり変える必要がありますね。わたしそのことをまえから考えているんです。ロシヤの女はほんとにひどい教育をうけてますからね。

 

 

その日アルカーヂイはたえずおどろいてばかりいなければならなかった。彼はバザーロフがオヂンツォーヴァをかしこい婦人として、これに自分の確信や意見を語るものと期待していた。彼女自身も、「何ものをも信じない、大胆な人」の話を聞きたいと言ったのである。ところがそういう話のかわりに、バザーロフが語ったのは、医学のことや、同種療法のことや、植物学のことであった。話してみると、オヂンツーヴァが孤独の時間をむだにすごしていないことが分かった。彼女はいくつかの、立派な本を読んでいたし、正しいロシヤ語を話すことができた。彼女は音楽の方へ話をむけたが、バザーロフが芸術をみとめないのを知ると、アルカーヂイがさっそく国民的旋律の意義を説きはじめたにもかかわらず、それとなく植物学の方へ話をもどした。

 

(金子幸彦訳)

 







2021年6月1日火曜日

ツルゲーネフの言葉から(3)






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もツルゲーネフを読むことにしたい


人間というものはすべて自分で自分を教育しなくちゃならない。たとえば、ぼくみたいなものさ … 時代ということにしても、なぜ僕が時代に支配されなくてはならないんだい? 時代の方でこそ、僕に支配されるべきだよ。

 

 

ーー君はよく親父を知らないんだよーーとアルカーヂイが言った。

ニコライ・ペトローヴィッチは息をひそめた。

ーー君のお父さんはいい人だーーとバザーロフはひくい声で言ったーーしかしもう時代おくれだ、あの人の役割はすんでしまったよ。

ニコライ・ペトローヴィッチはじっと耳をすました … アルカーヂイはなんとも答えなかった。「時代おくれの人間」は、二分ばかりうごかずに立っていたが、やがてゆっくりと家の方へ帰って行った。

ーーおとといだったかな、あの人はプーシキンを読んでいるんだーーとバザーロフはそのあいだにことばをつづけたーー君、どうか、よく説明してあげろよ、あんなことはなんの役にもたたないって。あの人はもう子供じゃないんだから、もうあんなばかげたものはやめてもいいころだよ。いまどき、ロマンチストでいるなんて、物ずきな話じゃないか! なにか実際的なものを読ませてあげろよ。

ーーなにがいい?ーーとアルカーヂイがたずねた。

ーーそうだな、ビュヒネルの Stoff und Kraft(物質と力)なんか、手はじめにいいだろう。

 

 

むかしはわかい人たちは勉強しなければならなかった。教養のない人間と言われたくなかったので、いやでも勉強したものです。ところが、いまは「世のなかのことはみんなばかげてる!」と言いさえすれば、それで上首尾なのだ。だからわかいものは大喜びです。実際、まえには彼らはただのばか者だったが、いまでは急にニヒリストになってしまった。

 

 (金子幸彦訳)

 

 

 

 

 

 

2021年5月29日土曜日

ツルゲーネフの言葉から(2)















今朝、ティンパニーか和太鼓が連打するような激しい雷があった

一時期、雨が叩きつけるように降っていた

庭の植物は喜んでいたのではないだろうか

次第に緑の割合が優勢になってきた

 

さて今日もツルゲーネフの言葉を読んでみたい

 

ーーバザーロフが何者かというんですか?ーーとアルカーヂイはうす笑いしたーーじゃ、伯父さん、あの男が一体何者か、言いましょうか?

ーーああ、どうぞ。

ーーあの男はニヒリストです。

ーーえ?ーーとニコライ・ペトローヴィッチがききかえした。パーヴェル・ペトローヴィッチは、刃先きにバターのかたまりをつけたナイフをもちあげたまま、動かなくなった。

ーーあの男はニヒリストですーーとアルカーヂイはくりかえした。

ーーニヒリストーーとニコライ・ペトローヴィッチは言ったーーそれは、わしの判断するところでは、ラテン語のnihilつまり虚無から出ているようだな。するとそのことばは、つまり…その、なにものをもみとめない人間をさすんだな?

ーーなにものをも尊敬しない人間といった方がいいーーとパーヴェル・ペトローヴィッチは口をいれて、またバターの方にとりかかった。

ーーつまりすべてのものを批判的見地から見る人間ですーーとアルカーヂイが言った。

ーーそれはおなじことじゃないか?ーーとパーヴェル・ペトローヴィッチははずねた。

ーーいえ、おなじことじゃありません。ニヒリストというのは、いかなる権威のまえにも屈しない人間です。まわりからどんなに尊敬されている原理でも、それをそのまま信条としてうけいれることはしないんです。

 

 

ーーあなたはそんなにドイツ人を高く評価されるんですか?ーーとパーヴェル・ペトローヴィッチは優美に、ねんごろに言った。彼はひそかないらだちをおぼえた。すこしも遠慮しないバザーロフの態度が彼の貴族的な性格に怒りを呼びおこすのである。この軍医のむすこは臆する色がないばかりか、かえって切れ切れな調子で、気のすすまないような答え方をして、しかもその声には、なにか粗暴な、ほとんど不適ともいえる何ものかが感じられた。

ーーむこうの学者はしっかりしています。

ーーそう、そう。ところでロシヤの学者には、あなたはそれほど好意をもたないでしょうね?

ーーまあ、そうでしょうな。

ーーそれはまたすこぶる賞賛すべき自己犠牲の精神ですなーーバーヴェル・ペトローヴィッチは体をのばして、首をうしろの方にそらせながら言ったーーしかしいまアルカーヂイ・ニコラーイチが話してくれたところによると、あなたはいかなる権威も認めないそうですが、これはどうしたわけです?あなたは権威というものを信じないのですか?

ーーええ、そんなものを認めてどうします?それになにを信じたらいいんです?なんでも筋のとおったことを言われれば、それに同意します。それだけです。

ーーじゃ、ドイツ人はいつも筋のとおったことばかり言いますかね?ーーとパーヴェル・ペトローヴィッチはひくい声で言った。その顔はすっかり無関心な、つめたい表情をおびて、彼がまるでどこか雲のかなたの高みにでも昇ってしまったかのようであった。

ーーみんながみんなというわけではありませんーーとバザーロフはあくびをかみころしながら答えた。あきらかに論争をつづける気がなかったらしい。

ーーわたしとしてはーーと彼はいくらか努力しながら、再び話しはじめたーーわたしは、そう言っては悪いが、わたしとしては、ドイツ人というやつはあまり好きませんね。ロシヤにいるドイツ人のことはなにも言わないことにします。あれがどういう連中か、誰でも知っていますからね。しかしドイツにいるドイツ人も、わたしには気にいりませんな。むかしはそれでも、どうにかがまんできました。そのころはあそこにもーーシルレルとか、その、ゲーテとか…いった人間がいて、現にこの弟などは、かくべつ好意をもっていますがね…ところが、いまでは、なんだか知らんが、化学者とか唯物論者とかいう連中ばかりでてきて…

ーーしっかりした化学者はどんな詩人より二〇倍も有益ですよーーとバザーロフがさえぎった。

ーーおや、おやーーとパーヴェル・ペトローヴィッチは言って、まるで眠りかけてでもいるように、かすかにまゆをつりあげたーーでは、あなたは芸術を認めないんですね。

ーー芸術なんて金もうけのためか、痔病薬の広告ぐらいの役にしか立ちません!ーーさげすむような微笑をうかべながら、バザーロフは声をたかめて言った。

ーーなるほど、なかなかしゃれがお上手ですな。そうすると、つまり、すべてのものを否定するんですか?つまりその…あなたは科学だけを信ずるんですか?

ーーさっき申し上げたでしょう。ぼくはなにも信じません。それに科学とはなんですかーー科学一般というのは?いろいろな仕事や職業があるように、科学もやはりいろいろあります。しかし科学一般なんてものは全然ありません。

ーーなかなか結構です。ところで、人間社会に用いられているほかの、いろんな法則についても、あなたはやはりそういう否定的態度をとっているんですか?

ーーなんです、それは、訊問ですか?ーーとバザーロフはきいた。

  (金子幸彦訳)

 

 

 



 


2021年5月28日金曜日

ツルゲーネフの言葉から(1)



















今日は少し肌寒い日であった

今日からイワン・ツルゲーネフ(1818-1883)の言葉を読んでいきたい


ーーシガーいるかい?ーーふたたびバザーロフの叫ぶ声がきこえた。

ーーよこしたまえーーとアルカーヂイは答えた。

ピョートルはほろ馬車にもどってきて、黒っぽい太巻きのシガーをマッチ入れと一しょにさし出した。アルカーヂイはさっそくそのシガーに火をつけた。古たばこのすっぱいような、つよいにおいが、あたりにひろがったので、生まれてから、たばこをすったことのないニコライ・ペトロ―ヴィッチは、思わず顔をそむけたが、それも、むすこの気を悪くさせないために、目立たないようにした。

 

しかしそのとき中背の人が客間にはいってきた。これはパーヴェル・ペトロ―ヴィッチ・キルサーノフで、黒っぽい、イギリス風のスーツを着て、流行の、小さなネクタイをつけ、つや出しの半長靴をはいている。年のころは四十五くらいに見えた。みじかくかりこんだ白髪はあたらしい銀のような、くすんだ光沢を放ち、癇性らしい、だが、しわのない顔はさながらするどいのみでたくみに彫りあげたように清らかで、なみなみならぬ端正な輪郭を示し、おどろくばかりの美貌のなごりをとどめていた。とりわけ見事なのは、切れのながい、黒味がかった、薄色の目であった。アルカーヂイの伯父の顔はすべてが優美で上品で、青年らしいみずみずしさと高いものへのあこがれを保っていた。こうしたあこがれは、多くの場合、二十台をすぎると、失われてしまうものである。

 (金子幸彦訳)