2021年6月4日金曜日

ツルゲーネフの言葉から(5)














今日は朝から暴風雨で、まだ収まっていない

余り記憶にはない

ということで、久し振りに家に籠ってやることにした

偶にはよいだろう


今日もツルゲーネフを読んでいきたい

この状態は昨年前半に『現代哲学』を読んでいた時のことを思い出させる


ーーでは、あなたは芸術的感情を一滴も持っていらっしゃらないんですの?ーー彼女はひくい声で言って、テーブルにひじをついた。そのために、彼女の顔はバザーロフにちかづいたーーどうしてあなたは、それなしですまされるのでしょう?

ーーでも、なんのためにそれが必要なんです? うかがいたいもんですね。

ーーまあ、少なくとも人間を知って、それを研究するために必要なんですわ。

バザーロフはかすかな笑いをうかべた。

ーー第一、そのためには生活の経験というものがあります。第二には、あえて申しますが、個々の人間を研究するなんて、むだなことです。すべての人間は、体から言っても、精神から言っても、似かよったものです。われわれはひとりひとりの脳や、脾臓や、心臓や、肺は、みんな同じようにできています。いわゆる精神的資質だって、みんな同じようなものです。すこしは変種もありますが、そんなものはなんの意味もありません。人間の標本が一つあれば、そのほかのすべてを判断するのに十分です。人間は森のなかの木と同じことですよ。白樺の木を一つ一つ研究する植物学者なんていませんからね。

 

 

アンナ・セルゲエヴナはかなり風変わりな女で、かたよった考えはすこしももっていなかったし、つよい信念さえもまるでなかったが、どんなもののまえにも譲歩したこともなく、自分の道をふみはずすこともなかった。彼女は多くのことをはっきりと見ぬいていて、多くのことに興味をもっていたが、なにものも彼女を完全に満足させることはできなかった。それに、彼女自身も完全な満足などはほとんど望んでいなかった。彼女の知力は探求的であると同時に、また冷静なものであった。

 

 

ーーわたしがふしあわせなのは希望もないし、生きる興味もないからです。… わたし、なにもかくしません。わたしはあなたのいう安楽がすきです。でもそれと同時に生きたいという望みもすくないんです。この矛盾をどうとってもかまいません。もっとも、あなたから見ると、これはみんなロマンチズムなんでしょうね。

バザーロフは首をふった。

ーーあなたは健康で、自由で、お金もちです。その上なにがいります?なにがお望みなんです?

ーーなにがのぞみなのかですって?ーーと相手のことばをくりかえして、オヂンツォーヴァはためいきをついたーーわたしはとてもつかれて、年をとってしまって、ずいぶんながいこと生きてきたような気がします。ええ、わたし年をとってしまいました … わたしのうしろにはいろんな思い出が重なっています。ペテルブルクでの生活、富、それから貧乏、それから父の死、結婚、それからおきまりの外国旅行 … 思い出はたくさんありますけど、思い出したいことはなにもないんです。これからさき、行く手に、ながい、ながい道がつづいて、それでいて、目的というものがありません … さきへすすむ気がしないんです。

 

(金子幸彦訳)





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