イタリアの哲学者エンツォ・パーチ(Enzo Paci, 1911–1976)さんの本がフランスから届いた
Journal phénoménologique de Enzo Paci(2021; publication originale, 1961)
先日、初めてになるイタリア人が「現象学的」と名づけて書いた日記の仏訳が出たというニュースを見た
以前のブログやエッセイでも触れたように、「現象学」はわたしにとってのマジックワードになっている
わたしの中に現象学的な見方があるという指摘を受けたことがあるからである
早速注文したところ、意外に早く手元に届いた
パーチさんによれば、現象学という言葉はヨハン・ハインリヒ・ランベルト(1728–1777)によって最初に使われた
1764年のことである
現象学とは「ものそのもの」に回帰すること
表れている現象を見る前に判断することなく、そのものとして見、忠実に記述できるもの
それは主体、コギトに回帰するもので、人工的な主体ではなく真の主体に戻るものである
これをするためには、経験をする前にすべての知、すべての判断を一旦保留しなければならない
古代ギリシアの懐疑派が「エポケー」と言ったものである
パーチさんによれば、現象学は瞑想ではなく、鍛錬(exercice)を通して完璧を目指す禁欲主義だという
社会の変容に関わるものだという
日記とは、危機を生きる、弁証法の道を見付ける個人的なやり方である
コミュニティの批判であるが、それはそれぞれの個人の批判である
これからどんな省察が現れるのか、楽しみである
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