2021年6月23日水曜日

エンツォ・パーチさんの日記から(5)















30 mai 1957

名声には何の意味もない。権力には何の意味もない、君の個人的な成功には何の意味もない。虚栄。フッサールが常に闘ったこの虚栄。彼は誠実であった。彼はこころから真理を愛し、真理のために生きた。名声は世俗のもので、生の意味は世俗を否定する中でだけ、世俗の奴隷になっていない世界で行動する中でだけ姿を現す。これはわたしが固く信じていることである。

それは世界の中で行動し生きることを放棄することではない。それは真理の意味を持つ行動の欲求である。それができなければならない。そのように生きたいと思わなければならない。そのように生きようとしなければならない。


22 juillet 1957

バンフィが今日亡くなった。突然電話がかかってきた。病院では他の友人を見付けた。わたしは我々すべてに思いを馳せた。この死に向き合っている我々すべてに。この死を理解するのは難しいものになるだろう。彼のすべての著作はこれから意味が変わり、新しい評価が必要になるように感じる。・・・彼が引用した最後の人は、ガリレイ、フッサール、ジンメルだった。これらすべてが彼の共産主義に行き着いたのだ。彼の態度によって最後まで言いたかったことは、生は死よりも重要だということであった。フッサールは「生がなければ死はない」(Ohne Leben kein Tod)と言った。

*アントニオ・バンフィ(1886-1957):哲学者、ミラノ大学哲学史教授で、パーチさんの指導教授だった。

 

31 juillet 1957

わたしはバンフィ自身に、彼がガリレイについて書いたことを報告する。「これがガリレイの活気に満ちた性質である。現実の具体的なすべての問題に対する好奇心、快適で自由な生活への渇望、建設的な精神、柔軟で普遍的な人間性・・・」。ガリレイの眼鏡は単に科学の道具ではなく、新しい哲学的方向付けと「主観性と相対性に関するすべての哲学的主張にも拘わらず」共通の経験を擁護する象徴である。鋭敏さを勝ち取った目は、経験の中に新しい要素と構造の無限を発見する。





0 件のコメント:

コメントを投稿