今日もツルゲーネフの言葉に耳を傾けてみたい
ーーまえには冬になると、モスクワで暮らしていましたけど … いまはわが夫なるムッシウ・クークシンがあちらに住んでいます。それにモスクワもいまは、よくわかりませんけど、やはりむかしとちがってきました。わたし外国へゆきたいと思っているんです。去年などはもうすっかり支度ができたんですけど。
ーーもちろん、パリでしょうねーーとバザーロフはきいた。
ーーパリとハイデルベルヒ。
ーーなぜ、ハイデルベルヒへ?
ーーあら、あすこにはブンゼンがいるじゃありませんか!
バザーロフはなんと答えていいか分からなかった。
ーーこの街にきれいな女の人はいますか?ーー三杯目をのみほしながら、バザーロフがきいた。
ーーいますよーーとエヴドークシヤは答えたーーだけどみんな空っぽな人間です。たとえば、mon amie のオヂンツーヴァなんか、なかなかきれいな人です。惜しいことに、なんだか妙な評判のある人で … でも、そんなことどうでもいいんですが、自由な見解というももないし、ひろい理解というものもなし、まあそういうものが … まるでなんにもないんです。教育制度というものをすっかり変える必要がありますね。わたしそのことをまえから考えているんです。ロシヤの女はほんとにひどい教育をうけてますからね。
その日アルカーヂイはたえずおどろいてばかりいなければならなかった。彼はバザーロフがオヂンツォーヴァをかしこい婦人として、これに自分の確信や意見を語るものと期待していた。彼女自身も、「何ものをも信じない、大胆な人」の話を聞きたいと言ったのである。ところがそういう話のかわりに、バザーロフが語ったのは、医学のことや、同種療法のことや、植物学のことであった。話してみると、オヂンツーヴァが孤独の時間をむだにすごしていないことが分かった。彼女はいくつかの、立派な本を読んでいたし、正しいロシヤ語を話すことができた。彼女は音楽の方へ話をむけたが、バザーロフが芸術をみとめないのを知ると、アルカーヂイがさっそく国民的旋律の意義を説きはじめたにもかかわらず、それとなく植物学の方へ話をもどした。
(金子幸彦訳)
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