2016年9月14日水曜日
エマニュエル・フェイ氏インタビュー
今日の昼間、天高く鰯雲が見えた
もう秋である
先日書いたエマニュエル・フェイ(EF)氏のル・ポワン(LP)によるインタビュー記事があった
以下にポイントを紹介したい
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LP: ハンナ・アーレントが崇拝の対象にまでなっているのはなぜ?どのようにして?
EF: まず、ハイデッガーとの関係、そして『イェルサレムのアイヒマン』が巻き起こしたスキャンダル。アーレントはユダヤ人だったので、ハイデッガーにとって都合のいい保証となった。さらに、ナチズムの非ドイツ化(ナチズムをドイツのものとしなかった?)とハイデッガー、カール・シュミット、アーノルト・ゲーレンなどのナチスの体制を支えた人の罪を問わなかったことがドイツ時代の成功に結び付いた。
LP: 注釈学者らがこれらの側面を見ていなかったのをどう説明するのか?
EF: 『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』 を書いたラウル・ヒルバーグや参照されるべき文献となっているヒトラー伝を書いたイアン・カーショーは、常にアーレントの仕事には批判的だった。 断片的でコンテクストから離れた読み方をする人たちに彼女の名声が留まるところを知らないものなったのは、政治理論、文化研究、それから哲学の領域である。フランスでの受容は、『文化の危機』出版の1972年にハイデッガー主義のリーダーによって仕組まれたものであった。
LP: アーレントを別の視点から見ることを可能にしたものは?方法論は?
EF: アーレントの意図を掴むためには、ドイツ語バージョンを考慮に入れなければならない。例えば、アーレントの「共にある者」( l'être ensemble)は、ハイデッガーの Mitsein (l'être en commun)「共同する者」を訳した空似言葉(faux ami)である。どういうことかを説明しよう。自由な個人が共存する民主的な社会を護ることには問題はない。しかし、そこから排除された人の自然権を全く認めない政治的共同体を推奨することは問題である。そう考えると、アーレントがわたしというものや個人の自由意志に対して攻撃したこと、そしてアフリカ系アメリカ人の権利要求の政治的正当性を認めることを拒否したことがよく理解できる。
同様に、彼女の著作の元にはナチスの歴史家、社会学者、法律家、哲学者が入っていることにも注意を払うことが重要である。最も難しいのは、彼女が対象となっている崇拝と縁を切り、最も受け入れ難い彼女の主張、例えば、ナチス収容所における犠牲者と死刑執行人との間に差を認めないことなどを真面目に受け止めることである。
LP: アーレントが哲学を破壊しようとするというのは言い過ぎでは?
EF: アーレントは哲学の破壊を試みた人の中に自らを数え、「哲学消滅後」に自分を位置付けている。1945年以降のハイデッガーと同様に、彼女が「思想」(パンセ)と名付けた哲学に反対している。わたしの批判は、彼女がアイヒマンに抗するためのモデルとしてハイデッガーをうまく描く時、思想が人質に取られて見えるそのあり方についてです。しかも彼女は間違ってアイヒマンを「思想の欠如」と動機の不在として描いている。最近の研究、例えば、イギリスの歴史家デイビット・セサラニはアイヒマンの伝記において、彼が思想のない死刑執行人だったのではなく、大量虐殺の考えを持つ狂信的な反ユダヤ主義者だったことを示している。
LP: ハイデッガーの思想の痕跡があるすべての人、レヴィナスからサルトルとデリダを経てバディウまで、あなたが確立した関係性に照らして批判的に再読されるべきでしょうか?
EF: 識別は必要です。例えば、レヴィナスはハイデッガーに対して倫理的な要求をしているが、それはアーレントには見られない。『黒ノート』に見られるように、彼が国家社会主義の皆殺しの反ユダヤ主義をどのような過激さをもって自分のものにして行ったのかを発見する時、再検討はその始まりにしか過ぎないと考えて当然だろう。アラン・バディウがどのようにしてハイデッガーの共同体の概念から「共産主義の仮説」と彼が名付けたものを一新したと主張しているのかを見る時、彼が火遊びをしていると考えないわけにはいかない。
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