この週末、新たな繋がりが見え、一つの塊となった
以前から気付いていることだが、自分の考えるようなことはすでに深く考えられている
これは古典などを読むうちに見えてきたことである
逆に言うと、自分の考えを知るためには古典を読まなければならないことになる
読書が欠かせないのだ
今回のベルクソン・カフェでは、「読むことを学ぶ」というエッセイを読んだ
読むということは事実を追うような読み方をすることではない
そうではなく、一つひとつの前で立ち止まって、反芻し、瞑想することである
読書は魂の鍛錬になるのだという
魂の鍛錬とは真の自分に迫るための方法である
これだけではまだ本当のところが明らかにされていないのではないか
そこで隠されていたものは何だったのか
読書と魂の鍛錬を結びつけるものが、実は冒頭の観察にあることに気付いたのである
わたしにとっての発見である
それはどういうことなのか
ソクラテスの時代から、自分を知ることが哲学の、さらに言えば生きる目的であった
冒頭で、自らの考えは過去人の思索の中にあると言っている
だとすれば、自分を知る最上の方法は読書になるのではないか
つまり、過去人の声を聞くことが魂の鍛錬になる理由がそこで明らかになる
事実だけを集める読みではそこには到達できないことも見えてくる
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