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2021年5月27日木曜日

ディドロの言葉から(5)











 

 

 

 

 

 

 

  ディドロの言葉を少しだけ

 

しかし、誰でも望みどおりのことはできるもんじゃないんだから、手に入るものをすなおに受け取って、それから最上の利益を引き出さなくちゃなりますまいて。

 

 私ーー誰でも他人を必要とする者は貧者だよ。だから、そいつはポーズをとるもんだ。国王もその愛妾の前や神の前ではポーズをとり、パントマイムのステップを踏むんだ。大臣も、自分の国王の前では、廷臣やおべっか使いや召使や乞食と同じような歩き方をするよ。…

しかし、パントマイムを必要としない存在が一つある。それは哲学者だ。なんにも持っていないし、なんにも求めない哲学者だ。

彼ーーへえ、そんな動物がどこにいますかね。なんにも持たなければ、そいつは苦しみますよ。なんにもねだらなけりゃ、なんにも手に入りはしませんよ。そうだと、いつも苦しみますよ。

私ーーいや、ディオゲネスは欲望をあざわらったよ。

彼ーーしかし、着物は着なけりゃなりませんね。

私ーーいや、彼はすっ裸で歩いたんだ。

彼ーー時々はアテネだって寒かったでしょうよ。

私ーーここほどじゃない。

彼ーーあすこでも飯は食ったんでしょうね。

私ーー勿論。

彼ーー誰が負担しましたか。

私ーー自然だ。未開人は誰にたよるかね。大地や、動物や、魚類や、樹や草や木の根や、小川にだ。

 …

彼ーーところで、あんたがさっき言われたことから、わしのかわいい女房が一種の哲学者だったことがわかりましたよ。あいつにはライオンのような勇気がありました。時々、わしらは、パンにもこと欠き、1スーもないことがありました。わしらはぼろ着類もほとんど売り払っていました。… ところで、彼女(あいつ)ときたら、河原鶸のように陽気に、クラヴサンに向かって歌い、自分で伴走していました。

 (本田喜代治、平岡昇訳)

 

 

 

 

2021年5月25日火曜日

ディドロの言葉から(4)















今日もディドロの言葉を少々

 

私ーーまあ、君の思索はそのくらいにして、君の話を続けてくれたまえな。

彼ーーそうはいきませんよ。わしだって思索しなけりゃならん時がありますよ。こいつは一種の病気で、その進行するままにまかしておかなくちゃならないもんです。

 

われわれは自分にわかると思う言葉だけを記憶にとどめるものなんだ、そうした言葉を頻繁に使ったり、正しく適用したりさえしてね。それでいて、精神の中には、ただ曖昧な観念しかないんだからね。僕が歌という語を発音する時でも、僕は君や君の同胞の大部分が、声望、非難、名誉、不徳、徳、廉恥、礼節、恥辱、嘲笑などと言う時と同様、たいして明確な観念をもっちゃいないんだよ。

 

情念は強烈でなくちゃいけません。音楽家や抒情詩人の愛情は極端でなくちゃいけません。舞台は大概アリアでしめくくられるものです。われわれには感嘆詞や、間投詞や、区切りや、中断や、肯定や、否定が必要です。われわれは率直に、呼んだり、訴えたり、叫んだり、呻いたり、泣いたり、笑ったりするんです。才智や、警句や、あの気の利いた思想なんかありゃしません。あんなものは素朴な自然からはおよそ縁遠いものです。

 (本田喜代治、平岡昇訳)

 




2021年5月24日月曜日

ディドロの言葉から(3)















今日の写真も数日前にはなかったもの

あっという間に一斉に咲いている

なぜか嬉しくなる景色である


今日もディドロの言葉を少しだけ

ひとは徳をほめたたえます。が、ほんとうは徳を憎み、敬遠しているんです。だから徳は寒さにこごえてるんです。… 徳があれば尊敬されるが、尊敬って、窮屈なものです。徳があれば賞賛されるが、賞賛なんて愉快なものじゃない。

 

ちっぽけな事をやるくらいならでかい事を書くほうがましですよ。そうすりゃ精神は高く昇り、想像は熱して、燃えひろがりますからな。

 (本田喜代治、平岡昇訳)


そう言えば、昨日の夜のセッションでこれまでのもやもやが晴れたと思って外に出ると、町が霧にかすんでいた

こういうこともあるのだ

実はまだ霧の中ですよ、ということだったのか





2021年5月23日日曜日

ディドロの言葉から(2)


















先日見たばかりだったので、あっという間に群生する姿に驚く

前回と色が全く違う

瑞々しいという形容がぴったりする


ディドロの言葉をもう少し

誰でも、天才がおしなべて風変わりな人間であること、つまりは、諺にもいうとおり、一粒の狂気がなければ偉大な人物もないことは、君とともに認めるとしても、やはり彼らに対するおどろきは変わらないだろう。天才を少しも生み出さないような世紀は軽蔑されるだろう。天才はその仲間として生存した国家の名誉になるだろう。

 

彼ーーラシーヌに話を戻しましょう。この男は、自分の知らない人々に対してだけ、自分の生きていなかった時代に対してだけ、親切だったんですな。

私ーーその通り。しかし功罪を秤にかけて見給え。今から千年たっても彼は涙を流させるだろう。彼は地球のあらゆる地方で人々の賞賛の的になるだろう。彼は人情と憐憫と愛情を呼び起こすだろう。ひとは彼がどういう人間で、どこの国の人だったかと尋ねるだろう。 そして彼を生んだフランスを羨むだろう。彼はもう生きていないいく人かの人間を苦しめたが、それらの人々については、今日われわれはほとんど何の関心ももってやしない。

(本田喜代治、平岡昇訳)



さて目を横に転じると、この姿

一体どこからそんなエネルギーが出てくるのか

これでは秋に刈っても何の効果もなさそうである




















2021年5月22日土曜日

ディドロの言葉から



















ドゥニ・ディドロの言葉から


あれもあれなりに哲学者ですからな。あれは自分のことだけしか考えちゃいない。自分以外の世界のことはあの人にとっちゃ一文の値打ちもありませんや。… それがあの人にとって幸福なことなんでさあ。これがわしが天才というやつのうちでとくに高く買っている点ですよ。彼らはただ一つのことにしか役に立たないんです。それから先は、ろくでなしなんだ。市民とか、父親とか、母親とか、親類とか、友だちとかであることがどんなことだか、彼らにゃわかりゃしません。… 天才なんかいりませんや。いやまったく、そんなものはちっとも必要じゃない。ところが、地球の表面を変化させるのは彼らなんだ。しかも、どんな些細な事柄についても、人間の馬鹿さかげんはひどく行き渡っていて根強いもんだから、わいわい騒ぎ立てなくちゃその改革なんかできっこないですよ。彼ら天才の想像したことの一部は実現されていますが、一部は前のとおりです。

(本田喜代治、平岡昇訳)